直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
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手稲と死と腐りと納豆

2020年08月20日 | ちょこのひとかけ
テイネの続きです。

テイネはアイヌ語でじめっとした感じを表し、
あの世であるポクナモシリの修飾語としても使われます。
テイネポクナモシリでもポクナモシリと同じものをさします。

これで思い出すのが、アイヌが恐ろしく思う概念。
むかしすこし調べたところによると、アイヌが恐れるのは
どうも『腐る』ということのようです。

イナウも腐らないようにしていたし、腐ったら交換せねばなりません。
腐ってもっとも恐ろしいのが死であり、死後の体、墓場です。
死んだあとの体は怖くありませんが、
埋葬後や墓地など、腐っている場所を恐ろしく思うようで、
なるべく目にすることさえしないように気をつけるほどです。
もしかすると、腐って発生する病毒により、民族として、
なにかものすごくひどい目にあった歴史を持っているのかもしれません。

それを思うと、関西人が納豆をすごく嫌がるというのも
理解できるような気がします。
腐ること、腐ったものをものすごく恐れたアイヌのように、
関西圏の人は、そういう意識、そういう概念をもった民族の
後裔なのではないでしょうか。

そう考えれば、言葉が違うことにも意味が通りますし、
自分以外の文化を受け入れない性質にも理解ができます。

そういう人に対し、納豆を勧めて、
おいしいから、腐っているのではなくて発酵だから、
などと言ってみたところで意味がありません。
なぜなら概念として、見た目として、『腐り』を喚起するものは
『死』そのもの、あるいは死の『ケガレ』そのものを
見ているような嫌悪感に通じるからです。
それはたとえるなら、腐った死体を見るようなものなのかもしれません。

一方で、九州や関東では、歴史的にお葬式は腐らせてもかまわない
という風土がありました。
直接的なもっとすごいものになると、
たしかもがりだったか、特に偉い人が亡くなった場合、
一定の場所に柵で囲うなどして腐らせ、あるいは何かに食わせ、
骨になるまで置いておく風習があったのです。
そういう行為をする民族にとっては、腐ることは問題ではありません。
腐りはコントロールできるものであり、
よい腐りは生活の一部であるからです。


……まあ、実際はどうなのか、なにから来ているかなんて
確かめることはできませんが、いろいろ考えるのは好きです。
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