わたしは基本的に、値段の高いものが嫌いです。
1200円のランチを食べるくらいなら、
カロリーメイトもどき1箱と缶コーヒー1本で250円でいいですし、
コンビニでおにぎり2個とコーヒー1杯で300円でもいいです。
そんな300円の食事と1200円の差額の900円分が無駄で、
すごくもったいないように感じてしまうのです。
この気持ち、この概念がうまく言葉にならないものかと、
ずっと、頭の気にしておく領域に入れておいたのですが、
昨日ふとひらめきました。
わたしが思う無駄は『贅沢』だったのです。
300円で済む食事に1200円かける無駄、それが900円分の『贅沢』。
わたしは贅沢が嫌だったのでした。
どこかにわざわざ食べに行くとかいうときに感じるのは、
すごく落ち着かないというか、居心地が悪いというか、
いたたまれないというか、気が引けるというか、
そんな感じの気持ち。
この気持ちもなんなのかと思ったら、うまくまとまるのは
『罪悪感』という言葉でした。
わたしは贅沢に罪悪感がある……
もしくは、わたしは贅沢すると罪悪感を持つ。
だから、高いお店の食事なり、高い場所への外出なりが
心から楽しめなかったのです。
前に、値段を知らないようかんを、結構おいしい! と食べていたら
それが一本4500円もすると知って、
うわ、もったいない! と思ったりもしたので
知らない分には楽しめますが、
最初から値段がちらつくものは苦手です。
なぜわたしはそんなものに罪悪感を持つのかと考えると――
いつかの前世で、清貧の誓いを立てて修道士として死んだか、
贅沢は敵だと言われ続けて戦時中に死んだかの
たぶんどちらかでしょう。
わたしはお酒も飲めないし、
うさばらしになにか贅沢しようとしても罪悪感が勝って楽しめないし、
体調に不安があるので旅行も苦手だし、
旅行自体が贅沢なので基本的に心苦しいし、と、
なにかをやろうとしても思考と嗜好に邪魔をされ、
実際やってみても物理的に邪魔をされて、
わたしは人生だいたい楽しめません。
去年は自転車を買って走り回ったものの、事故により壊されました。
とにかくわたしの人生は妨害ばかり目立ちます。
友達とのドライブはとても楽しいですが、
自分ひとりで車に乗ったら、楽しめない上に
なにか起こりそうで嫌な感じはします。
こんなわたしでも、年収3億円とかになったら、
湯水のようにお金を使い、それを楽しいと思うようになるんですかねえ。