直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

生きる恐怖とエトセトラ

2020年12月18日 | ちょこのひとかけ

中学生だか高校生だかの女の子が行方不明になったあと、
自殺したと思われる姿で発見されるという事件が最近ありました。

それに対し、「なんでそんな年で……」とか
「生きていればいいこともあっただろうに……」とか言うのを
見かけましたが、まったくの的外れに思います。

中学生や高校生のころから生きるのが苦痛で、
死を選ぶような指向性を持つ人は、
その後の人生で『生きててよかった!』などと思うできごとに
遭遇することは決してありません。
そう思えるようになるのは、奇跡のひとしずくでもあたえられるような
神にでも愛された人だけです。

生きていれば、知識なり物なり思い出なり、
自分なりに愛着をもつものが増えていきます。
幸せな人はそれを喜びますが、
不幸な人はそれを失うことを恐れます。
生きるごとに恐怖が増えていくのです。

なにも自分のものをもっていないこどもは、
死ぬのと寝るのとはほぼ変わりませんが、
寝るのと死ぬのは違う、死ぬのは自分が愛着を持っているものが
決して手に入らなくなることだとかみ締めるほど
死ぬのが苦しくなっていきます。

人生を幸せに生きられない人が、どうせ自分で死ぬのなら、
自分のもの、自分が愛着を持つものが少ないうちに死ぬほうが、
長く生きてから死ぬよりも、よっぽど楽です。

だから、こどもの自殺は、
「苦しみがまだすくないうちに楽になれてよかった」
「自殺に失敗して、さらに苦しむことにならなくてよかった」
「自分の意志を貫けて立派だった」
程度でいいと思います。

生きていたところで幸せなどこないし、
相談したからって苦しみがなくなることなどないのです。
なにかが変わったと思うなら、それは死者への侮辱であり、
とんだ思い上がりです。
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