中学生だか高校生だかの女の子が行方不明になったあと、
自殺したと思われる姿で発見されるという事件が最近ありました。
それに対し、「なんでそんな年で……」とか
「生きていればいいこともあっただろうに……」とか言うのを
見かけましたが、まったくの的外れに思います。
中学生や高校生のころから生きるのが苦痛で、
死を選ぶような指向性を持つ人は、
その後の人生で『生きててよかった!』などと思うできごとに
遭遇することは決してありません。
そう思えるようになるのは、奇跡のひとしずくでもあたえられるような
神にでも愛された人だけです。
生きていれば、知識なり物なり思い出なり、
自分なりに愛着をもつものが増えていきます。
幸せな人はそれを喜びますが、
不幸な人はそれを失うことを恐れます。
生きるごとに恐怖が増えていくのです。
なにも自分のものをもっていないこどもは、
死ぬのと寝るのとはほぼ変わりませんが、
寝るのと死ぬのは違う、死ぬのは自分が愛着を持っているものが
決して手に入らなくなることだとかみ締めるほど
死ぬのが苦しくなっていきます。
人生を幸せに生きられない人が、どうせ自分で死ぬのなら、
自分のもの、自分が愛着を持つものが少ないうちに死ぬほうが、
長く生きてから死ぬよりも、よっぽど楽です。
だから、こどもの自殺は、
「苦しみがまだすくないうちに楽になれてよかった」
「自殺に失敗して、さらに苦しむことにならなくてよかった」
「自分の意志を貫けて立派だった」
程度でいいと思います。
生きていたところで幸せなどこないし、
相談したからって苦しみがなくなることなどないのです。
なにかが変わったと思うなら、それは死者への侮辱であり、
とんだ思い上がりです。