直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
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自己中心性と救助

2022年08月16日 | ちょこのひとかけ
おぼれた人などを助けるために撃つ銃があって、
それを誤射する事故があったのだとか。

その使用訓練みたいなのをテレビで映していたところでは、
装備した人が
「これから救命索を発射しまーす!」
とか叫んでいました。

……が、そう叫ばれて、何をどうされるかわかります?

もしあなたがおぼれていたとして、
『救命索』が打ち込まれると聞いて、
何をどうされるか想像できましたか?

わたしだったら、
『キュウメイサクってなに?』
『発射したらどうなるの?』
とわけもわからずあわあわするはず。


こういう、
『自分がわかるんだから相手もわかるだろう』
『自分がわかっていることは相手も理解して当然』
とする思考様式を、心理学では自己中心性などと呼んだはず。
小さなこどもがやりがちな思考パターンです。

助ける人に内容を伝えたいなら、
正式名称を伝えることなんてどうでもよくて、
『ロープ出しますのでつかまってくださーい』などで
いいのではないでしょうか。
なんで『救命索』なんて内輪単語使うんでしょうか。

すこし位相を変えるなら、
『救命索』の正式名称が『プンヌロヴァヌッペロロ』で
それを相手がつかめる位置に撃って落とすことを
『メヌスファマモスフンヌスァ』とか言うとしたら、
救助の人は、
「これからプンヌロヴァヌッペロロを
メヌスファマモスフンヌスァしまーす!」
と叫んでるのと同じことです。
これで何が伝わると思うのでしょう。

わたしはこういう、人のことを何一つ考えない言動は
本当に苦手で、嫌いで、会社にいるときも
お客さんに話をするならお客さんが理解できる、
お客さんの目線に立った言葉を使うべきと述べてきましたが、
うるさがられるだけでなんの意味もなく終わりました。

相手がわからないような内輪単語や正式名称を使うことは
そんなに重要なのでしょうか。
あるいは、相手がわからないかもしれないと思うのはわたしだけで
言われた人は案外即座に意味をつかんでいて
なにも気にしないものなのでしょうか。

……わたしは他人も世界もぜんぜんわからないので
この世界にわたしの居場所なんてないと思うし
いきつづけていたいとは思わないのです。
それもまた理解されませんけれど。
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