なんだか一仕事をやりとげた感じで、
ひどくほっとしているわたしです。
例によって気が抜けたのか、頭がぐらぐらして気持ち悪いです。
こういうとき、もしかしたらわたしの役目は終わって、
このまま死んでしまうのではという気分になります。
さて。今日はショートショートも終わったことですし、
『なんでそんなことやってたの?』という微妙な解説を書いてみます。
ショートショートタイトルを見ていただければわかりますが、
ぼちぼちと心理学用語などを出しています。
わたしはなぜか中学の頃から心理学に興味を持ち出し、
その後微妙に心理系の勉強をしたのですが――
そこであった、『内罰思考・外罰思考』のテストで
ちょっとおもしろい結果が出ました。
☆ワンポイント☆
『内罰思考・外罰思考』とは……
なにかことが起こった場合、
その理由をどこに見出すか、というものです。
内罰思考の人は、「全部自分のせいだ」と、自分の内に。
外罰思考の人は、「周りのせい、運のせい」と、自分の外に。
そしてわたし。二つの中間あたりです。
たとえば何も考えずにランダム回答したときに
出る結果に似ていたので、
ふざけて書いてる? と聞かれましたが、違います。
わたしは、まず何かができないのは
自分のせいじゃないかと考えます。
だから全力でことをなし、それでもだめだから、これはもう
そういうものだよね、と投げてしまうのです。
たとえば。だれか好きな人がいたとして。
なにもせずにもじもじしたまま終わって、
周りのせいにすることは簡単でしょう。
でも、できることはすべてして、
それでも自分が好かれないとしたら、
それは他人のせいか、運のせいか、そんなものだと
言ってしまったっていいのではないでしょうか。
いえ、いいんです。わたしはそう信じています。
・ここで有名な一句。
為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
成らぬは人の 為さぬなりけり
『なんだってやればできる。やらなければできない。
できないのはそいつがやらなかったからだ』
そんな意味。
……ばかめ!
純粋な頃のわたしには結構好きな言葉でしたが、
酸いも甘いもそれなりにかみわけたわたしには
嫌いな言葉になりました。
やったってできないことなんて、いくらでもあります。
教師になりたいと思っていくら勉強したって、
空きがなければなれないんです。
空きがなくたって、コネがあればなれるんです。
なら、自分が教師になれないのは、
かたっぱしから既存の教師を殺すなどして
雇われる人員の空きを作る努力をしなかったからだ、とでも
言うつもりでしょうか。
……絶対違います。そんな努力なんて努力じゃないです。
前ふりのつもりが大変愚痴っぽくなってきたので
それは置いておいて。
どんなに努力をしても、だめなものはだめ、
逆に、努力をしなくてもいいときはすべてがうまくいくものだと
わたしは人生に教えられてきました。
たぶん、それが運命というものでしょう。
わたしは、運命を信じています。
きっと、わたしが何かをしなければいけないとき、
それは運命によってわたしに与えられたものだと思うのです。
最終地点がどこにあるのかは知らないのですが、
『そのとき』にやるべきことをやれたのなら、
もしかしたらわたしの人生が向かおうとしている正しい方向に
行けるのかもしれない、そう思います。
むしろ……一生懸命やるから行かせてください、そんな祈り。
ショートショートを書いたのも、そういう理由です。
よくわからないのですが、わたしの目で振り返ったとき、
近頃の人生はそういう流れになっているように思えました。
たとえば、わたしがなにかを成し遂げるという約束。
短い文章が書けずに入社試験で落とされたこと、
自分の頭でものを考えるようにしむけられてきたこと、
文章を書くようにしむけられてきたこと。
会社の空き時間が微妙にあること。
会社が不満なものであること。
それはまるで、わたしにショートショートを
書かせようとしていたよう。
だから、わたしは応えました。
ほんとに、そんな理由です。
……でも、いつも疑問があります。
今回だって、これだけ書きました。
それはそれは、もう会社での評判もさげるほど、
仕事だって必要最小限のこと以外はやらないようにするほど、
すべてをかなぐり捨てて書いてきたわけですが。
これ、わたしの勘違いだったら?
もしかして、人生が求めていたのは、違う何かだったら?
やるべきことを逃して、とんでもなく変な方向に
向かおうとしてたらどうしよう……。
まあ、人生はいつだってなぞだらけ。
だから今日もわたしはへとへとになりながら小さく祈るのです。
どうぞ 祈りに、どうか こたえを。 と。