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直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

ひさびさに論文

2018年10月10日 | ちょこのひとかけ


適当に公募のところを眺めていたら、
論文を読み物風に書き直したら送れそうなものを見つけました。
最近はいろいろ落ち込んで何をする気も起きませんでしたが、
せっかくだし、と気を奮い立たせます。

規定を読み、手元のファイルを見てみると、
応募するには今の論文を1.4倍にしなければいけません。
論文なんて磨きに磨いてあのサイズなのに、
それを1.4倍にするなんて、どれだけ水増しすればいいのでしょうか。

でもまあ、ひとまずやってみようと、
頭から読み直し、水増しできるところは水増しして、
詳細な説明なども加えていきます。

……と。その内容は、昔確かに書いたように思いました。
なのになぜ、書かれた部分がないのでしょうか?

おかしいと思って旧バージョンのファイルを探していったら、
ずいぶんと前のバージョンには、付け加えようとした内容も、
それ以外の長い説明まで、書いてありました。

これを原稿換算で何枚なのかと変換してみたところ、
すでに応募のページ数はクリアしていました。
なぜこのバージョンを使わずに、別のバージョンを作ったのか……
すこし首を傾げましたが、気づきます。
前に送った先の規定枚数がすくなかったから、
必要充分を書いた内容から、五分の三にまで圧縮したのだと。

そういえば前に論文書いているときは、
本当につらくてたまりませんでした。
あれは必要な箇所もそぎ落とし、
無駄に圧縮しなければいけないせいだったとは。

というところで、最低枚数しかないならいくらでも書けばいいやと
いろいろ考えながら書いてみたら、かなり楽しかったです。
やはり、頭の中のはっきりしない部分に意識をむけ、
いろいろ考えて言語化する、形にするという行為は
すごくわくわくするのです。

でも、いったん書き終わったら、
どうせまた何の意味もなく没なのに、
どれだけの時間と労力をかけたのだろうと、
ものすごく落ち込みました。

わたしは基本的にどれだけ努力したところで
努力が報われたことなんてまったくに近いほどないので、
賽の河原で石を積むような徒労感がものすごいです。

応募用にと表紙を打ち込んでいたら、
どうせ没で何も返るものなんてないのに、住所の記載なんている?
と、わたしのゴーストがささやきます。

そう考えれば、何かあったとき用のメールアドレスを書くだけで
いいのではないでしょうか。それ以外なんて無駄です。

無駄といえば、送る郵便代金も安くはないのに無駄になるし、
紙も無駄、インクも無駄で、エコにも逆らう行為です。
こんな無駄をしてまでも、誰にも評価されないということを
確認しなければならないものなのでしょうか。

だんだん冷静になってみると、
誰にも評価されないのに、それでもと期待している自分に気づいて、
はずかしくていたたまれない気分になります。

なんなのでしょうねえ、この気持ち。
無駄なことをなぜやるのか、という自責のようなものなのでしょうか。

なんだか、贅沢をしようとしたときに感じる、
おまえは贅沢をしても無駄なのに、なぜ贅沢をしようとするのか
というような気分とすごく似ている気がします。

余計なことをした気分で、とてもつらいです。
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