青森のほうの方言に『まいね』というものがあるそうです。
せばだばまいねびょん
などの言い回しで使われて、意味は『だめ』。
語源はなにかわかっていないそうです。
ちょっとおもしろそうなので、
長年古語研究をしてきたわたしが
単語分析してみたところ、
語源にいたることができました。
それを一応残しておきましょう。
方言研究、語源研究において、もっともやってはだめなことは、
ある単語を特殊な一語であると考えて、
その言葉に対応する、特別な一語、一フレーズを用意すること。
『一語一説形式の語源譚は駄洒落を超えられない』のです。
たとえば、
『まいね』は『まにあわね』が縮まったとかです。
言葉は、大きなうねりがあって、大きく変化します。
その全体を説明できないものは駄洒落に過ぎません。
そもそも、方言について述べようとするのに、
言葉の揺らぎのルールさえ知らない者がいるのが
いただけません。
----
では、本題。
まいね は ダメ という意味です。
語の基本形は
まいね
myn
です。
なぜ、まいね、がダメの意味を持つのでしょうか。
本当に、まいね、は ダメ に直結する言葉なのでしょうか。
たとえば、我が北海道弁には、『あずましい』という
言葉があります。
「どういう意味なの?」と東京人にでもきかれれば、
「落ち着く みたいな意味」と答えますが、
実際の意味は『落ち着く』ではありません。
翻訳の際に、周囲のニュアンスがそげおちてしまって
丸まっただけで、正しい意味は別にあるのです。
あずまや の あずま と同じで、
実は古語に結びつく、歴史ある言葉です。
まいね、も、共通弁の意味では『だめ』となるものの、
本来の正しいニュアンスは別にある可能性を
考えておかねばなりません。
では、『ダメ』の意味を持つものの、
ダメ の形をとらない、ほかの言葉を
探してみましょう。
なぜそんなことをするのか、といえば。
それが方言を考える際の常道だからです。
この手順をとらない研究などゴミ以下です。
ほかの言葉には、『ダメ』を意味する言葉として、
わがね
おえん
あかん
いかん
などがあります。
……これを見て、なにかわかりますか?
特に何も感じない、というのが、
方言研究、言語研究の基礎もしらない人の感覚です。
言葉の揺らぎがわかっているならば、
ここで語源がわかります。
スペルをつけてみましょう。
わがね wagane
おえん woyen
あかん wakan
いかん wikan
濁音と清音は同じものなので、直すと。
わがね wakane
おえん woyen
あかん wakan
いかん wikan
これを単語の基本形に直すと。
わがね wkn
おえん wyn
あかん wkn
いかん wkn
あかん、いかん、わがね
は、同語源であることがわかります。
では、まいね、は?
あかん wkn
いかん wkn
わがね wkn
↓
おえん wyn
↓
まいね myn
『おえん』をはさめばわかりやすくなりますが、
あきらかな類似性があります。
古い音には、
ヤカンの『やくゎん(yakwan)』のように、
『くゎ』など、子音連続音がある音が存在します。
揺らぎを考えるときは、単音と同じ扱いにできます。
たとえば、
和歌山弁 かゑらし kawe lasi
東京弁 かわいらし kawai lasi
若者弁 きゃわいらし kyawailasi
佐賀弁 やーらし ya lasi
か ka
きゃ kya
や ya
概念的には同じ発音です。
方言や、言語を研究していれば簡単にわかって、言える事実です。
これをわかりやすく代入してみると、
あかん wkn=wakyan=ぅあきゃん
いかん wkn=wikyan=ぅいきゃん
わがね wkn=wakyane=ぅあきゃね
↓
おえん wyn=wokyen=ぅおきぇん
↓
まいね myn=makyine=まきぃね
となっても全部同じ音である、と論理的には言うことができます。
あかん
いかん
わがね
おえん
は概念的には全部同じ音で、同じ意味です。
まいね
は、後ろ二音は他と共通で、初音だけが違う、のです。
これはどう解釈すればいいかというと、
変換子『v=w=b=m』を考えればわかります。
変換子『v=w=b=m』は、
『v』音で発音された言葉は、
『w』音に揺らぐこともあるし
『b』音に揺らぐこともあるし
『m』音に揺らぐこともあるよ
という事実を一語で表したものです。
たとえば、
moldau モ ル ダウ
wiltahwa ウィル タッワ
は同じもの。(方言でゆれただけの同じもの)
つまり、
まいね myn
は
わいね wyn
と同じで、
わいね wyn
は、
あかん wkyn
と同じものです。
概念的には、
わがね wkn
あかん wkn
↓
あきゃん wkyn
↓
おえん wyn
↓
わいん wyn
↓
まいね myn
のようになったということです。
わいん、という言葉はおそらくありませんが、
概念的には存在できる音、あるいは
どこかに存在したかもしれない音です。
つまり、結論をまとめると。
青森弁(津軽弁)まいね の語源は
『あかん』『いかん』です。
これが方言で揺らいで、
『まいね』になっただけ。
青森の別方言
『わがね』の語源も同じ。
『あかん』の『か』部分、『ky』の発音が、
『k』に揺らいだら『わがね』
『y』に揺らいだら『まいね』
になる、という、それだけ。
言葉の揺らぎの知識さえあれば、
『一語一説形式の語源譚』といった駄洒落なんて全否定して、
揺らぎを広く、合理的に説明できます。
こういった知識を持たない人の、なんと多いことか。
揺らぎの知識さえあれば、
沖縄弁の『てぃーだ』も元が日本語であることは説明できます。
それ以外にも、言葉の知識を使って、
もっとまじめで深い古文解説などやっているので
興味があれば見てみてください。
お偉いさんたちが古文につけた、
でたらめ訳を論理で正す話を書いています。
せばだばまいねびょん
などの言い回しで使われて、意味は『だめ』。
語源はなにかわかっていないそうです。
ちょっとおもしろそうなので、
長年古語研究をしてきたわたしが
単語分析してみたところ、
語源にいたることができました。
それを一応残しておきましょう。
方言研究、語源研究において、もっともやってはだめなことは、
ある単語を特殊な一語であると考えて、
その言葉に対応する、特別な一語、一フレーズを用意すること。
『一語一説形式の語源譚は駄洒落を超えられない』のです。
たとえば、
『まいね』は『まにあわね』が縮まったとかです。
言葉は、大きなうねりがあって、大きく変化します。
その全体を説明できないものは駄洒落に過ぎません。
そもそも、方言について述べようとするのに、
言葉の揺らぎのルールさえ知らない者がいるのが
いただけません。
----
では、本題。
まいね は ダメ という意味です。
語の基本形は
まいね
myn
です。
なぜ、まいね、がダメの意味を持つのでしょうか。
本当に、まいね、は ダメ に直結する言葉なのでしょうか。
たとえば、我が北海道弁には、『あずましい』という
言葉があります。
「どういう意味なの?」と東京人にでもきかれれば、
「落ち着く みたいな意味」と答えますが、
実際の意味は『落ち着く』ではありません。
翻訳の際に、周囲のニュアンスがそげおちてしまって
丸まっただけで、正しい意味は別にあるのです。
あずまや の あずま と同じで、
実は古語に結びつく、歴史ある言葉です。
まいね、も、共通弁の意味では『だめ』となるものの、
本来の正しいニュアンスは別にある可能性を
考えておかねばなりません。
では、『ダメ』の意味を持つものの、
ダメ の形をとらない、ほかの言葉を
探してみましょう。
なぜそんなことをするのか、といえば。
それが方言を考える際の常道だからです。
この手順をとらない研究などゴミ以下です。
ほかの言葉には、『ダメ』を意味する言葉として、
わがね
おえん
あかん
いかん
などがあります。
……これを見て、なにかわかりますか?
特に何も感じない、というのが、
方言研究、言語研究の基礎もしらない人の感覚です。
言葉の揺らぎがわかっているならば、
ここで語源がわかります。
スペルをつけてみましょう。
わがね wagane
おえん woyen
あかん wakan
いかん wikan
濁音と清音は同じものなので、直すと。
わがね wakane
おえん woyen
あかん wakan
いかん wikan
これを単語の基本形に直すと。
わがね wkn
おえん wyn
あかん wkn
いかん wkn
あかん、いかん、わがね
は、同語源であることがわかります。
では、まいね、は?
あかん wkn
いかん wkn
わがね wkn
↓
おえん wyn
↓
まいね myn
『おえん』をはさめばわかりやすくなりますが、
あきらかな類似性があります。
古い音には、
ヤカンの『やくゎん(yakwan)』のように、
『くゎ』など、子音連続音がある音が存在します。
揺らぎを考えるときは、単音と同じ扱いにできます。
たとえば、
和歌山弁 かゑらし kawe lasi
東京弁 かわいらし kawai lasi
若者弁 きゃわいらし kyawailasi
佐賀弁 やーらし ya lasi
か ka
きゃ kya
や ya
概念的には同じ発音です。
方言や、言語を研究していれば簡単にわかって、言える事実です。
これをわかりやすく代入してみると、
あかん wkn=wakyan=ぅあきゃん
いかん wkn=wikyan=ぅいきゃん
わがね wkn=wakyane=ぅあきゃね
↓
おえん wyn=wokyen=ぅおきぇん
↓
まいね myn=makyine=まきぃね
となっても全部同じ音である、と論理的には言うことができます。
あかん
いかん
わがね
おえん
は概念的には全部同じ音で、同じ意味です。
まいね
は、後ろ二音は他と共通で、初音だけが違う、のです。
これはどう解釈すればいいかというと、
変換子『v=w=b=m』を考えればわかります。
変換子『v=w=b=m』は、
『v』音で発音された言葉は、
『w』音に揺らぐこともあるし
『b』音に揺らぐこともあるし
『m』音に揺らぐこともあるよ
という事実を一語で表したものです。
たとえば、
moldau モ ル ダウ
wiltahwa ウィル タッワ
は同じもの。(方言でゆれただけの同じもの)
つまり、
まいね myn
は
わいね wyn
と同じで、
わいね wyn
は、
あかん wkyn
と同じものです。
概念的には、
わがね wkn
あかん wkn
↓
あきゃん wkyn
↓
おえん wyn
↓
わいん wyn
↓
まいね myn
のようになったということです。
わいん、という言葉はおそらくありませんが、
概念的には存在できる音、あるいは
どこかに存在したかもしれない音です。
つまり、結論をまとめると。
青森弁(津軽弁)まいね の語源は
『あかん』『いかん』です。
これが方言で揺らいで、
『まいね』になっただけ。
青森の別方言
『わがね』の語源も同じ。
『あかん』の『か』部分、『ky』の発音が、
『k』に揺らいだら『わがね』
『y』に揺らいだら『まいね』
になる、という、それだけ。
言葉の揺らぎの知識さえあれば、
『一語一説形式の語源譚』といった駄洒落なんて全否定して、
揺らぎを広く、合理的に説明できます。
こういった知識を持たない人の、なんと多いことか。
揺らぎの知識さえあれば、
沖縄弁の『てぃーだ』も元が日本語であることは説明できます。
それ以外にも、言葉の知識を使って、
もっとまじめで深い古文解説などやっているので
興味があれば見てみてください。
お偉いさんたちが古文につけた、
でたらめ訳を論理で正す話を書いています。