『なぜ人を殺してはいけないのか』という問いは
昔からあったように思います。
なんとなく、考えるでもなく考えてきましたが、
今日、ふとこたえがわかりました。
『なぜ人を殺してはいけないのか』という問いのこたえは、
『質問の意図が不明瞭』です。
ちゃんと解釈すると、この問いは、
なんの立場で、何を根拠として、何についてたずねているか
明確に示していない不完全なものでした。
だから、答えが難しくなっていただけなのです。
……というのも、そもそも。
『なぜ人を殺してはいけないのか』
という問いは意味がわかりません。
人殺しなんか普通に世界のあちこちで起こっていますし、
戦争でも犯罪者の処分でも人間を殺しています。
つまり、『別に人を殺してもいい』のです。
『なぜ人を殺してはいけないのか』という問い自体が間違っています。
むしろなぜ、『人を殺してはいけない』と思うのか。
その根拠はどこで、何を見た思い込みなのか。
まずはそこから問い直さなくてはなりません。
『どこかの法律には、人を殺してはいけないと書いてあるけど、
なぜ人を殺してはいけないのか』
と訊ねられたら、
『知らない。その法律を作ったやつがそう決めたんだろうから
そいつに訊け』
と答えられます。
緊急避難や罪人の処刑が法律にあるならば、
そもそも法律自体が人を殺すことを認めているということにもなります。
『先生は、人を殺してはいけないと言ったけど、
なぜ人を殺してはいけないのか』
と訊ねられたら、
『先生に訊け』と言えます。
世界として見れば、
『人を殺してはいけない』という確固としたなにかは存在しません。
人ごろしが一切認められなかった時代など
この世界には存在していないのです。
『人なんて別に殺していいものだけど、
もろもろのことを考えるなら、まあ、やめとけ』
という言葉をわかりやすくまとめたのが、
『人を殺してはいけない』
という言葉であるだけです。
たとえば、道徳問題にしたって、自分が殺されそうになり、
手の届くところに落ちている刃物で相手を殺せば
自分が助かる、となれば、人を殺すことをとがめはしないでしょう。
たとえば宗教にしたって、
敵対勢力、敵対宗教の徒はぶちころしていいと述べてきたでしょう。
いけにえが必要ならば、人を殺していけにえにしてもいいと
これまでやってきたでしょう。
たとえば国だって、
他の領土を奪うためなら、あるいは自分の領土を守るためなら、
敵はぶちころしていいとしてきたのが歴史でしょう。
そのように、これまで、人を殺すことが認められなかった時代なんて、
一度もありません。
人は別に殺してもいいのです。
ただ、『もろもろのことを考えるなら、まあ、やめとけ』
というだけ。
まとめます。
『なぜ人を殺してはいけないのか』という問いは
その問い自体が誤りです。
『人なんて別に殺していいもの』です。
それは歴史でも法律でも宗教でも嗜好でも、
これまでのすべてが示しています。
ただ、『もろもろのことを考えるなら、まあ、やめとけ』です。
どこの立場にたって、なんについての議論をするのか、
はっきり定義していないから、
ふわふわとした机上の空論や言葉遊びに終始するのです。
昔からあったように思います。
なんとなく、考えるでもなく考えてきましたが、
今日、ふとこたえがわかりました。
『なぜ人を殺してはいけないのか』という問いのこたえは、
『質問の意図が不明瞭』です。
ちゃんと解釈すると、この問いは、
なんの立場で、何を根拠として、何についてたずねているか
明確に示していない不完全なものでした。
だから、答えが難しくなっていただけなのです。
……というのも、そもそも。
『なぜ人を殺してはいけないのか』
という問いは意味がわかりません。
人殺しなんか普通に世界のあちこちで起こっていますし、
戦争でも犯罪者の処分でも人間を殺しています。
つまり、『別に人を殺してもいい』のです。
『なぜ人を殺してはいけないのか』という問い自体が間違っています。
むしろなぜ、『人を殺してはいけない』と思うのか。
その根拠はどこで、何を見た思い込みなのか。
まずはそこから問い直さなくてはなりません。
『どこかの法律には、人を殺してはいけないと書いてあるけど、
なぜ人を殺してはいけないのか』
と訊ねられたら、
『知らない。その法律を作ったやつがそう決めたんだろうから
そいつに訊け』
と答えられます。
緊急避難や罪人の処刑が法律にあるならば、
そもそも法律自体が人を殺すことを認めているということにもなります。
『先生は、人を殺してはいけないと言ったけど、
なぜ人を殺してはいけないのか』
と訊ねられたら、
『先生に訊け』と言えます。
世界として見れば、
『人を殺してはいけない』という確固としたなにかは存在しません。
人ごろしが一切認められなかった時代など
この世界には存在していないのです。
『人なんて別に殺していいものだけど、
もろもろのことを考えるなら、まあ、やめとけ』
という言葉をわかりやすくまとめたのが、
『人を殺してはいけない』
という言葉であるだけです。
たとえば、道徳問題にしたって、自分が殺されそうになり、
手の届くところに落ちている刃物で相手を殺せば
自分が助かる、となれば、人を殺すことをとがめはしないでしょう。
たとえば宗教にしたって、
敵対勢力、敵対宗教の徒はぶちころしていいと述べてきたでしょう。
いけにえが必要ならば、人を殺していけにえにしてもいいと
これまでやってきたでしょう。
たとえば国だって、
他の領土を奪うためなら、あるいは自分の領土を守るためなら、
敵はぶちころしていいとしてきたのが歴史でしょう。
そのように、これまで、人を殺すことが認められなかった時代なんて、
一度もありません。
人は別に殺してもいいのです。
ただ、『もろもろのことを考えるなら、まあ、やめとけ』
というだけ。
まとめます。
『なぜ人を殺してはいけないのか』という問いは
その問い自体が誤りです。
『人なんて別に殺していいもの』です。
それは歴史でも法律でも宗教でも嗜好でも、
これまでのすべてが示しています。
ただ、『もろもろのことを考えるなら、まあ、やめとけ』です。
どこの立場にたって、なんについての議論をするのか、
はっきり定義していないから、
ふわふわとした机上の空論や言葉遊びに終始するのです。