パンチ・ムック・なおこ

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七夕

2009-07-07 11:29:25 | 日記
七夕の歴史・由来

七夕は「たなばた」または「しちせき」とも読み、古くから行われている日本のお祭り行事で、一年間の重要な節句をあらわす五節句(※)のひとつにも数えられています。
毎年7月7日の夜に、願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りをする習慣が今も残ります。みなさんも子供のころ、たくさんの短冊をつるしておりひめとひこぼしにお願いごとをしたのではないでしょうか?
では七夕はいったいいつから、どのようにして始まったのでしょうか?
その起源には数多く説があります。

※五節句
人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)

もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」
「棚機(たなばた)」とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうというものでした。
選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために心をこめて着物を織ります。そのときに使われたのが「棚機」(たなばた)という織り機です。
やがて仏教が伝わると、この行事はお盆の準備をする7月7日の夜に行われるようになりました。現在七夕という二文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのも、ここから来ていると言われています。


おりひめとひこぼしの伝説
琴座のベガと呼ばれる織女(しゅくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星と考えられていました。この二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕ストーリーが生まれました。

奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」
「乞巧奠(きこうでん)」は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習から生まれ、やがて芸事や書道などの上達も願うようになりました。
その後日本でも芸の上達を願って行われるようになり、歌を梶の葉に書いて祈りました。
昔はサトイモの葉にたまった夜つゆを「天の川のしずく」と考えて、それで墨を溶かし梶の葉に和歌を書いて願いごとをしていました。江戸時代になると梶の葉のかわりにたんざくに色々な願い事を書いて星に祈るお祭りとなりました。
五色のたんざくの五色は五行説にあてはめた五色で、緑・赤・黄・白・黒をいい、中国では五色のたんざくではなく、五色の糸をつるします。

という行事があわさったものと言われています。


江戸時代の
七夕まつりは江戸時代に入って五節句の一つとされてから、全国的に行われるようになりました。
笹竹に願い事を書いたたんざくをつるしたり、たらいに水を張って梶の葉を浮かべ、そこに織女星とひこぼしの二つの星をうつしておりひめとひこぼしが無事に会えるように祈りました。