今頃になって慌てて、直島の地中美術館の本を読み始めた。直島弾丸ツアーは11日。地中美術館のキーワードは光だった。自然の景観を損なわないように、地下に建てられた美術館だが、モネの睡蓮の絵は自然光で見ることができる。
昭和町の花屋さんと100均のSeriaに行った。帰宅して残り物を食べるか、ここでサンドウィッチを食べるか。サンドウィッチにした。ここの2階はワーキングスペースになっている。時間極めで借りることができる。
フィリーチーズステーキとブラッドオレンジジュース。サンドウィッチにはビーフ、玉ねぎ、ピーマンなどとチーズが入っていた。好きな味だった。
店先で古本を売っていた。これはいい本だった。明王の勉強もできる。写真は入江泰吉。300円だった。
2時からナターシャの家に行くことになっている。お土産に柏餅を買って行こう。
柏餅とちまきを買った。
元同僚のキョウコさんと待ち合わせて、ナターシャ母娘の家を訪問。短時間、訪問すると告げていたのに、ミートパイを焼いてくれていた。ナターシャとお母さんとは2年前の6月に知り合った。ウクライナ避難民が市営住宅に入居するにあたって入居説明会があった。その時、ナターシャ母娘の担当になった。
ミートパイだけでなく、ボルシチもカナッペも用意されていた。今日はギリシャ正教会のイースターだった。グレゴリオ暦を使う西方教会とは違うのだろう。オーソドックス(ギリシャ正教会)の教会は、日本にはほとんどないとナターシャが言っていた。世界的に見ればギリシャ、ロシア、旧東ヨーロッパがギリシャ正教会なのだから、大きな勢力である。
「いただきま〜す」 ボルシチにはサワークリームを乗せて。
食後は紅茶と柏餅とウクライナのチョコレートなど。
ナターシャはかなり日本語ができるようになってきた。キョウコさんとの会話は日本語が多くなった。就活は終わり、5月から大原専門学校で英語教師をされている。ITも得意なのでオフィスで働きたかったが、日本語がまだ完全ではないので、OLにはなれなかった。大原の観光やブライダルの専門学校で20代前後の生徒に英語を教えている。3月まではウクライナの小学校の生徒にオンラインで英語を教えていた。その小学校が爆撃され閉校になった。幸い、犠牲者はいなかったそうだ。
2年前は、ドニプロはフロントラインではないとおっしゃっていたが、最近はドニプロ川沿いにある水力発電所が爆破されたりしている。ウクライナの東部なので危険だ。フロントライン以外では、キウイとオデッサが爆撃されているそうだ。こんな状況では帰国できない。去年は帰国することを真剣に考えたが、お母さんの再手術が決まり、帰国しない決断を下された。いつも明るくされているが、その決断に至るまでの葛藤に思いを馳せた。5年間有効のビザが取れ、ニトリからは病気のお母さんに月に8万円支給されることになった。入居時に支給された学校の教室にあるような小さなテーブルは、四人が座れる大きなテーブルに代わっていた。食器も増えていた。覚悟を感じた。
この頃はお母さんも車椅子で散歩できるようになった。ナターシャは相変わらずアクティブで、最近、この映画を観に行ったそうだ。安倍晴明神社が阿倍野区にある。これから訪れる人が増えるのでは、とナターシャが言ったが、あのしょぼい神社には来ないと思う。京都の安倍晴明神社にはロシア人のグループを連れて行ったことがある。フィギィアスケートファンの聖地だった。
2年前の2月にウクライナ侵攻が始まった時には、黄色と青の衣装まで着て、同情や連帯を示す人もいた。今では、BSテレビ『報道1930』でたまに詳しく報道されることがあるが、“忘れられた戦争“になりつつある。パレスチナでもスーダンでも悲惨なことが起こっている。でも、忘れられることは辛いだろうと思う。
短時間の訪問のつもりだったが、3時間もお邪魔してしまった。帰る間際にベランダガーデニングを拝見。
種から育てたトマト。ガーデニングが得意なキョウコさん、種から育てたことに驚いていた。
2年前はズームでナターシャ英会話教室をしていた。その時、知り合った人たちに会いたいというので、ズームミーティングを企画した。楽しい会になりますように。