好夫のブログ

奈良県に咲く花や風景を四季折々で照会させていただきます。更に僕の
趣味であるコルフ・デジタルカメラ画像を照会します。

音楽鑑賞でシルクロ-ド演奏者の「喜多郎」

2020-02-08 18:32:00 | 日記
昔よく聴いた音楽で、シンセサイザ-の第一人者喜多郎の演奏するシルクロ--ドを聴いたときに思い出されるのが。


奈良東大寺大仏殿での生演奏である。壮大な東大寺境内でシンセサイザ-の音色が館の隅々まで引きわたっている迫力が、今でも忘れられない好夫である。
 東の空から日の出の太陽を眺めながら奈良の霧が立ち込める奈良公園で演じられるのである。シンセサイザ-の生演奏で鹿が一斉に飛日野の公園内に集合する演技が素晴らしいですよ。

いよいよ奈良県で始まるシルクロ-ドの路をたどっていくのである。奈良県で開催されたのは「わかくさ国体」が終わり、ポスト事業として奈良公園を舞台にして繰り広げ-られたのですね。

当然好夫君も奈良県庁の現役職員として参加していましたね。全世界から国際豊かな模様が演じられていましたね。奈良県人は。珍し物の人種であり、飛びついていった記憶がありますね。春日プ-ルを自然の池に衣替えして水上レストランとしてシルクロ-ド料理を提供されていましたね。



田中家家族を紹介する

2020-01-14 16:39:47 | 日記

 父岩次郎は関西電力で勤勉に働いて自宅を建て奈良市田中町の田んぼの中に一軒家たてたのである。家族は両親と子供6人の大所帯で社宅に住んでいたのである。昭和22年に奈良市川久保町でうぶ声を上げたのが好夫くんである。

長男は義治で郵便局に勤務はしていた。次男が稔で中学校の教員をしていたが奈良市内に養子で出ていく。長女・次女と女二人の次に三男輝夫が関西電力に就職していく。なんと通知簿はオール5の成績を作り出した俊才でもあった。壁きな人間で兄弟の中で歌も歌手を目指したぐらいうますぎたのである。末っ子の四男が好夫である。小さいころから体が弱く何時もやせ細っていたのである。

昭和40年に奈良県庁に就職したのは不思議で奇跡でも起こったと親も兄弟も不思議がったのである。しかし好夫には気性が柔らかく、みんなを笑わせたり、頼りがいのある男となっていたのである。昭和45年に奈良県庁内で後の妻になる佳余ちゃんと同じ職で巡り合うのである。やがて昭和52年に結婚することになる。しかし養子縁組でもあった関係上兄弟や父喜ばなかったのである。しかし、母は好夫が好きな彼女との結婚を許可してくれたのである。

なんと新婚旅行は「アメリカ西海岸とハワイ旅行」をサンフランシスコ・ロスアンゼルス・ハワイ島に昭和52年の10月の秋に行っている。しかし行きの飛行機の中で喧嘩をしてしまったのである。好夫の落ち度で他人の女の人と楽しく話しているのを彼女の目に留まり大げんかで口をきいてもらえなかったのである。新婚旅行の費用は彼女が全額負担してくれていたのである。

ただし付き合っていた年月の費用はすべて好夫が払っていた。車で彼女の自宅桜井までのガソリン代金などは好夫がすべて支払っていたしデ-トで要った費用もすべて好夫が支払っていたのである。ほぼ毎日デ-トしていたすが県庁職員には内緒にしていたのである。

 

 田中家の家族の紹介です。前列右から、長男義治、真ん中が主人公の好夫、左端に母ムメノ(故人)後列の娘さん二人は左側に次女艶子、長女政子(故人)、左端に三男輝夫、後列に右側が父岩次郎(故人)右側に次男稔(故人)で令和になっての生存者は長男・次女・三男・四男の4人だけです。みんなが生存していた頃には、年の暮れには、兄弟だけで忘年会を温泉旅行として蟹の兵庫県香住や三重県の賢島など兄弟6人だけでいていましたね。当然スナックでカラオケ大会もやっていましたね。

母は初瀬出身で芸達者なおばさんで敬老会には毎年踊りと歌を演じていました。カラオケの一番うまいのが三男で二番目が次女でしたね、好夫君は次ぐらいだったと思っています。