杉戸山宝性院
宗派 真言宗智山派
本尊 大日如来(胎蔵界)
当山は、杉戸宿の中央に位置していた。
不動堂は弘課三年(1846)に再建されたものである。
由来は、永禄3年(1561)幸手城主一色宮内大輔義直が亡き妻の追福菩提のため
一宇を建立し『安産不動明王』を安置し不動寺と号した。
その後、安政四年春(1858)成田山.菅谷山の不動明王を祀り、現在三体の
不動明王が祀られている。
元和二年(1616)教識大和尚が旅人の安全を願って大伽藍を建立し、
寺号を宝性院と改めた。
当時の伽藍は、大正十二年(1923)の関東大震災により大破したため
弘法大師1100年御遠忌記念事業として昭和九年現在の本堂は再建された。
杉戸町教育委員会
杉戸学校跡
明治五年(1872)八月、太政官より近代的教育法規である「学制」が出されると、
同七年四月、ここ宝性院にも杉戸宿.清地村.倉松村の児童を教育するために
杉戸学校が設立された。児童の数は男117人女35人、、教員5人であった。(同九年調べ)
同十年三月には、杉戸町下町(現在の杉戸1丁目付近)鈴木彰氏宅内に校舎を
新築し鶏鳴学校と改称した。しかし同十三年三月清地村が組合から分離したため、
杉戸宿と倉松村は鶏鳴学校を閉鎖し、再び宝性院を仮校舎として杉戸学校を開校した。
やがて児童数の増加にともなって、施設.設備が不足し同三十四年11月、
内田地内に校舎を新築し移転した。このように、初期の初等教育においては、
寺院を借用するものが多かった。
杉戸町教育委員会
入り口 posted by (C)naritatatamiten
芭蕉 posted by (C)naritatatamiten
入り口 posted by (C)naritatatamiten
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