勝負ですから、勝ち負けしかありませんが、東京学館には勝たせたかったですね。5対1となったときは、これで中盤、終盤にズルズルと追加点を奪われ、7対1?8対1での敗戦かな?と一時は頭をよぎりました。しかし、「まなざしブログ」でも書いてある通りに、選手はみんな明るく、積極的にバットを振る姿にひょっとすると、終盤に大きな山がくるのではないか、もしかすると劇的な逆転劇を見ることができるのではないかと、期待を持って見ていました。30年前に甲子園出場を決めてもおかしくない学館だけに、あの選手の笑顔、はつらつとしたプレーは、思いを叶えられなかった先輩たちが乗り移ったのではないかと思うほどでした。残念ながら負けてしまったのですが、最後の最後までやってくれたことに選手たちに敬意を表したいと思います。さらに、学館野球が今後さらに発展していくことを感じました。
前の晩堀之内町でニュースステーションのピアノ中継、終わってスタッフと打ち上げ後に飲み足りなくて朝5時近くまで飲んでいた。朝になってスタッフが私の部屋に飛び込んできた。大阪が大変なことになっているとのこと。慌ててテレビをつけると、高速道路が横倒しになっており、いたるところで火柱が上がっていた。まるで映画をみているかのような光景だった。まさかこれが始まりだとは思わなかった。日本列島震災期、いや世界の震災期はこうして1995年1月17日から始まった。
来年度から新2年生2人とメディア研究会を立ち上げることにしました。昨今スポーツ関連の研究が忙しく、メディア研究がおろそかになっていたので、私としても非常に楽しみです。