ネガティブな日々~毎日生きてみる~

精神病患者が書くネガティブ&毒を吐いている日記です。

首吊りをしたことがある。

2018-08-20 15:40:52 | 日記
以前に私は首吊りをしたことがある。
もちろう死のうと思ったから。

今この日記を書いているとおり
死ねなかった。

死ぬ前に、家族にみつかってしまった。
死ぬことすらできない、情けなさと言えば・・・。

ドアノブでマフラーをくくりつけて首を強く縛った。
気が遠くなり、楽勝でこの世とおさらばだと思えた。
やっぱりドアノブでもクビ吊れるんだねとも思ってた。

運よくというか運悪くというか、予想もせず家族が帰ってきて
みつかってしまった。

意識は半分遠のいてたから、気づいたら病院のベッドで即入院。
なぜか、話せなくなって、高熱が続いて苦しかったのをうっすらと覚えている。
話せないのはなぜだかわからないけど、声が出なかった。

首には紫色のあざ。
入院は精神病院の閉鎖病棟。
今の精神病院は清潔で、思ったよりも明るい。
でも、4階にあった病室の窓には、しっかりと鉄格子がつけられてあった。

鎮静剤というのかわからないけど、点滴をして数日ベッドの上で寝て過ごした。
夜中にナースコール(ベッドで受ける側ね)が鳴って、私の名前を呼ぶ。
でも、すぐ消える。
私は不思議に思って、何度もナースステーションに連絡をした。
でも、誰も私の名前なんて呼んでもいなかった。

いわゆる幻聴というやつ。

その前から幻聴も幻覚もいっぱいあった。
もう頭が狂っていたんだろうね。

入院して1か月目に調子がいいからと外泊許可が出た。
私は自宅に戻り、久しぶりに家族で食事をした。
嬉しかった。でもご飯の味は全くしなかったのを覚えている。
作ってくれた家族にはおいしいと伝えた。
気持ちがおいしかったから。

でも夜中に発作的に苦しくなって、家を飛び出した。
何もかも怖くなって、外に置いてある車の中に閉じこもった。
家族や実家から携帯に電話がかかり、みんな私を探したが、
案外近くの車の中で閉じこもっているのが見つかった。
姉も自転車で私のところへかけつけてくれた。
けど、私は車の鍵をかけて、出ることをしなかった。
ただただ怖かったから。

入院先の病院の主治医から携帯に電話がかかってきた。
その先生は、それはそれは親身に私のことを気にかけてくれていた。
夜中にも関わらず、今から迎えにいくからとも言ってくれた。
女医さんだけど、男のような口のききかたで、威勢のいい人だったけど、
心は本当にあったかい、大きな人だった。

結局、入院は3か月した。
退院する時はなぜだか寂しい気持ちと不安でいっぱいになった。

数年後、私の主治医の先生は亡くなった。
がんだった。
私を診てくれている間も先生は病と闘っていた。
先生の残した言葉は今も忘れない。

「医者になって自分の命よりも守らなければならない命がたくさんあることに気づいた」

いつも先生が言ってた。
先生はあの世で待ってくれてると思う。
でも、あまりに早くいったら、怒られると思う。
ましてや、首にアザなんてつけていったら怒鳴られるだろうな。

今も入院していた病院の近くを車で通ることがある。
その度に、家族に悟られないように、心の中で黙とうしている。

猫になりたい。

2018-08-20 15:32:12 | 日記
小さいころからずっと猫を飼っていた。
何匹も。

私は猫になりたい。
猫が楽そうだから、というのも理由だけど
こんなに人から愛される生き物になりたい。

確かに嫌われることもあるだろうけど、
基本はかわいい存在。

いろんなキャラクターに猫がつかわれている。
テレビを見ると、必ずと言っていいほど、いつも猫がでてくる。
かわいいね、猫は。

今日、散歩してたら猫に出会った。
トラ柄のちょっと太めのかわいい奴。

いつもするように、手を出して「ちょちょちょ」と舌を鳴らして呼んでみた。
そしたら「ふーっ!」と威嚇されてしまった。

今は猫にさえ私は嫌われてしまうのか。
そうか、猫は愛されるスターだからネガティブな人間は寄せ付けないんだ。

私が生まれ変わって猫になれば、
誰にだって「にゃー」と笑顔ですり寄っていくよ。
誰かの癒しになれるなら、偽りの鳴き声も出してみるよ。

たとえ、寿命が短くとも、人のためになれるならいいよ。
今の自分はと言えば・・・全く誰のためにもなっていない。

だから猫になりたい。

仕事のこと

2018-08-20 15:21:23 | 日記
もうかれこれ精神病になってから10年は経つ。
新卒からずっとサラリーマンをして、10年経って発病。
会社で倒れた。
過労だった。

会社は一生懸命に私を復帰させようと努力してくれたけど、
何度も復帰計画を成功させられない私を、会社は捨てた。
仕方なかったのかもしれない。

家族もいるからどうしようかと途方にくれた。
幸い、家族のみんなが理解してくれて、私を助けてくれた。

ある会社が、精神病に私を助けてくれた。
その道はイバラの道を提示してくれたといっても過言ではない。
けど、もう社会復帰できないと腹をくくっていた私は
藁をもすがる気持ちで、つかむしかなかった。

イバラの道とは、私が個人事業主として起業して
手を差し伸べてくれた会社と業務委託契約を結ぶこと。
社会生活もままならない私には容易ではなかった。
でも、やってみるしかないという事実もあった。

税務署に個人事業主として、事業を行っているという
申請を出した。
一人前に屋号も決めた。

そして、手を差し伸べてくれた会社と業務委託契約を結んだ。

今はその会社のおかげで、細々だけど仕事ができている。
月に数万しか稼げない私だけれど、家族だけは優しく見守ってくれている。

でも、今の私には何もないよりは仕事をしていると言えることだけで
身体の状態はよくなるのは言うまでもない。

サラリーマン時代の友達と飲みに行ったりも、たまにはする。
みんな私のことを心配してくれている。
私は常に笑顔で楽しそうに答える。
「それなりに収入はあるよ。家族も私も今はそれで幸せ」だと。

当然、そんなことはありえない。
友だちを安心させるための、精一杯の嘘だ。
友だちも気づいているだろうけど、優しく見守ってくれる。

私の今はこれで精いっぱい。
他に求められてもできない。
なんにもできない。

情けない人間だ。

親友と言える唯一の友達を失った。

2018-08-20 09:27:15 | 日記
数年前、古くからの親友を失った。
親友が死んだのではない。
親友が、私から離れていった。

親友は便宜上「A」くんとする。

その日は突然やってきた。
とある共通の友達の結婚式で、久しぶりに親友のAに会った。
Aとは学生時代からずっと一緒にいた。
遊ぶ時も勉強する時も、入試まで一緒だった。
一緒に笑って、泣いて、時にはケンカもして…。
何でも言える親友とはまさにこのことだった。

私は精神病になった時、Aもまたうつ病にかかってしまった。
仲良くしてただけに、そこまで一緒になることはないだろうと
周りは苦笑いしてた。
Aは自分の体調のいい時は、私を気遣い外に連れ出してくれた。
逆も然りだ。

ある日、私は調子が悪く取り乱してAをカフェに呼び出して
心のうちを話したことがある。
今、思えばこれが発端だったのかな。

これ以来、Aとはすれ違うようになった。
なんとはなしに、私が原因だと思うようになった。
そう、私はとてもネガティブだから。

友人の結婚式の話に戻すよ。
久しぶりに会った親友Aは、まったくの別人のようだった。
私とは距離をとっているように感じた。
そして私は勇気を振り絞ってAに話かけた。
「家族も子供も元気?」と聞いた。
私は、おおよそ、「そっちはどう?」と聞いてくると思っていた。
でも、反応は全く違った。

「うん、まぁ」と言い、鼻で笑ったように私には映った。
その笑い方を見て、私の背筋は凍り付いた。

その笑い方は、Aが嫌いな人や、合わない人や、見下している人にする
まさにその「笑い方」だった。

それに気づいてからの私は、もう話すことができない。
怖かった以上に、悲しすぎた。
何も話せないまま、結婚式の数時間が過ぎ去った。

それから数年が経った。
いまだに連絡は取りあっていない。

そういうことだ。
もう親友Aとは親友ではなくなったんだ。
受け止めるまで時間がかかりすぎてしまった。

そう言いながら、ここに泣き言を書いて受け止めきれない自分がいる。

ネガティブ日記はじめました。

2018-08-20 09:22:15 | 日記
はじめまして。
ネガティブ日記はじめました。

表向きは元気にしているけれど、内面はネガティブなことばかり考えてる。
私は精神病患者。
誰が何と言おうと、頭がいかれている。
自分でもよくわかっている。

誰にも言えないことをここでは綴っていこうと思う。
そう、誰にも吐き出すことができないから。
吐き出せる相手もいないから。

ネガティブなこと見るのが嫌な人は見ないほうがいいよ。
だって暗すぎて辛いからね。

絵文字も顔文字もカラフルな何かも使わないと思うけど
読んでくれる人、これからもよろしくね。