以前に私は首吊りをしたことがある。
もちろう死のうと思ったから。
今この日記を書いているとおり
死ねなかった。
死ぬ前に、家族にみつかってしまった。
死ぬことすらできない、情けなさと言えば・・・。
ドアノブでマフラーをくくりつけて首を強く縛った。
気が遠くなり、楽勝でこの世とおさらばだと思えた。
やっぱりドアノブでもクビ吊れるんだねとも思ってた。
運よくというか運悪くというか、予想もせず家族が帰ってきて
みつかってしまった。
意識は半分遠のいてたから、気づいたら病院のベッドで即入院。
なぜか、話せなくなって、高熱が続いて苦しかったのをうっすらと覚えている。
話せないのはなぜだかわからないけど、声が出なかった。
首には紫色のあざ。
入院は精神病院の閉鎖病棟。
今の精神病院は清潔で、思ったよりも明るい。
でも、4階にあった病室の窓には、しっかりと鉄格子がつけられてあった。
鎮静剤というのかわからないけど、点滴をして数日ベッドの上で寝て過ごした。
夜中にナースコール(ベッドで受ける側ね)が鳴って、私の名前を呼ぶ。
でも、すぐ消える。
私は不思議に思って、何度もナースステーションに連絡をした。
でも、誰も私の名前なんて呼んでもいなかった。
いわゆる幻聴というやつ。
その前から幻聴も幻覚もいっぱいあった。
もう頭が狂っていたんだろうね。
入院して1か月目に調子がいいからと外泊許可が出た。
私は自宅に戻り、久しぶりに家族で食事をした。
嬉しかった。でもご飯の味は全くしなかったのを覚えている。
作ってくれた家族にはおいしいと伝えた。
気持ちがおいしかったから。
でも夜中に発作的に苦しくなって、家を飛び出した。
何もかも怖くなって、外に置いてある車の中に閉じこもった。
家族や実家から携帯に電話がかかり、みんな私を探したが、
案外近くの車の中で閉じこもっているのが見つかった。
姉も自転車で私のところへかけつけてくれた。
けど、私は車の鍵をかけて、出ることをしなかった。
ただただ怖かったから。
入院先の病院の主治医から携帯に電話がかかってきた。
その先生は、それはそれは親身に私のことを気にかけてくれていた。
夜中にも関わらず、今から迎えにいくからとも言ってくれた。
女医さんだけど、男のような口のききかたで、威勢のいい人だったけど、
心は本当にあったかい、大きな人だった。
結局、入院は3か月した。
退院する時はなぜだか寂しい気持ちと不安でいっぱいになった。
数年後、私の主治医の先生は亡くなった。
がんだった。
私を診てくれている間も先生は病と闘っていた。
先生の残した言葉は今も忘れない。
「医者になって自分の命よりも守らなければならない命がたくさんあることに気づいた」
いつも先生が言ってた。
先生はあの世で待ってくれてると思う。
でも、あまりに早くいったら、怒られると思う。
ましてや、首にアザなんてつけていったら怒鳴られるだろうな。
今も入院していた病院の近くを車で通ることがある。
その度に、家族に悟られないように、心の中で黙とうしている。
もちろう死のうと思ったから。
今この日記を書いているとおり
死ねなかった。
死ぬ前に、家族にみつかってしまった。
死ぬことすらできない、情けなさと言えば・・・。
ドアノブでマフラーをくくりつけて首を強く縛った。
気が遠くなり、楽勝でこの世とおさらばだと思えた。
やっぱりドアノブでもクビ吊れるんだねとも思ってた。
運よくというか運悪くというか、予想もせず家族が帰ってきて
みつかってしまった。
意識は半分遠のいてたから、気づいたら病院のベッドで即入院。
なぜか、話せなくなって、高熱が続いて苦しかったのをうっすらと覚えている。
話せないのはなぜだかわからないけど、声が出なかった。
首には紫色のあざ。
入院は精神病院の閉鎖病棟。
今の精神病院は清潔で、思ったよりも明るい。
でも、4階にあった病室の窓には、しっかりと鉄格子がつけられてあった。
鎮静剤というのかわからないけど、点滴をして数日ベッドの上で寝て過ごした。
夜中にナースコール(ベッドで受ける側ね)が鳴って、私の名前を呼ぶ。
でも、すぐ消える。
私は不思議に思って、何度もナースステーションに連絡をした。
でも、誰も私の名前なんて呼んでもいなかった。
いわゆる幻聴というやつ。
その前から幻聴も幻覚もいっぱいあった。
もう頭が狂っていたんだろうね。
入院して1か月目に調子がいいからと外泊許可が出た。
私は自宅に戻り、久しぶりに家族で食事をした。
嬉しかった。でもご飯の味は全くしなかったのを覚えている。
作ってくれた家族にはおいしいと伝えた。
気持ちがおいしかったから。
でも夜中に発作的に苦しくなって、家を飛び出した。
何もかも怖くなって、外に置いてある車の中に閉じこもった。
家族や実家から携帯に電話がかかり、みんな私を探したが、
案外近くの車の中で閉じこもっているのが見つかった。
姉も自転車で私のところへかけつけてくれた。
けど、私は車の鍵をかけて、出ることをしなかった。
ただただ怖かったから。
入院先の病院の主治医から携帯に電話がかかってきた。
その先生は、それはそれは親身に私のことを気にかけてくれていた。
夜中にも関わらず、今から迎えにいくからとも言ってくれた。
女医さんだけど、男のような口のききかたで、威勢のいい人だったけど、
心は本当にあったかい、大きな人だった。
結局、入院は3か月した。
退院する時はなぜだか寂しい気持ちと不安でいっぱいになった。
数年後、私の主治医の先生は亡くなった。
がんだった。
私を診てくれている間も先生は病と闘っていた。
先生の残した言葉は今も忘れない。
「医者になって自分の命よりも守らなければならない命がたくさんあることに気づいた」
いつも先生が言ってた。
先生はあの世で待ってくれてると思う。
でも、あまりに早くいったら、怒られると思う。
ましてや、首にアザなんてつけていったら怒鳴られるだろうな。
今も入院していた病院の近くを車で通ることがある。
その度に、家族に悟られないように、心の中で黙とうしている。