集落の名は「二股」。駅と学校の名は「北進」。
その所以は、「白糠駅」を発した鉄路が、北法にある同じく現在は廃線になった十勝の池田─北見間を結んでいた「ちほく高原鉄道(ふるさと銀河線)」の足寄駅と結ばれる計画であったのだそうです。
基幹産業であった産炭の衰退。そして農業人口も減少して過疎が進んだ。
周辺のいくつかの学校を統合しても北進小中学校が閉校になったとき児童は4人だけであったのだとか。
現在は校舎も取り壊されて、残るのは校門とバックネットと閉校記念碑。そして草原の如しグラウンドだけ。
その中にポッカリと玉切りされた巨木が置かれています。
たぶん学校樹だったのかもしれない。
根元にいわれが書かれた板があったけれど錆と変色で、ほとんど読むことはできなくなっていました。
ただ最後に「また会いましょう。 平成22年10月17日」と書かれてあった。
その日が何の日に当るのかわからないけれど、大きな木のオブジェは、朽ちかける様子もなく、この大地に今も根付いているみたいに立っている。
ずーっと待っているよ…
その所以は、「白糠駅」を発した鉄路が、北法にある同じく現在は廃線になった十勝の池田─北見間を結んでいた「ちほく高原鉄道(ふるさと銀河線)」の足寄駅と結ばれる計画であったのだそうです。
基幹産業であった産炭の衰退。そして農業人口も減少して過疎が進んだ。
周辺のいくつかの学校を統合しても北進小中学校が閉校になったとき児童は4人だけであったのだとか。
現在は校舎も取り壊されて、残るのは校門とバックネットと閉校記念碑。そして草原の如しグラウンドだけ。
その中にポッカリと玉切りされた巨木が置かれています。
たぶん学校樹だったのかもしれない。
根元にいわれが書かれた板があったけれど錆と変色で、ほとんど読むことはできなくなっていました。
ただ最後に「また会いましょう。 平成22年10月17日」と書かれてあった。
その日が何の日に当るのかわからないけれど、大きな木のオブジェは、朽ちかける様子もなく、この大地に今も根付いているみたいに立っている。
ずーっと待っているよ…