ー創作と社会ー
私は、昔からアートで人と人とを繋げることが好きでした。
しかし、対人関係に疲れやすい私は、 友達から誤解を受けることが多かった。基本的に一人で行動をするのが好きだからだ。ベッタリした関係は好きではなく、お互いがラフに話せて、尚且つプラスになっていくコトを常に望んでいた。
その交流手段には、イラスト、ゲーム、アニメまたは、サブカルチャーに関するお話や出会いがてんこ盛りでした。
それを魅力的に思ってくれる人には、好意的に感じてもらえたが、 人は基本的に自分にとって都合がいい相手が好きだ。その交流の仕方が友情を育む方に繋がっていなかったのかもしれない…。お互いの為というより、今思えばワガママに付き合って貰える関係だったのかも。
そんな独りよがりな私は友達といる時でも、空気を読まない発言や行動をしていた。 そういうのも含めて受け入れてくれるから友達でいられていると思っていた。
しかし、徐々にその人とは、価値観が合わずに離れていってしまった。 久しぶりに関係を構築しようと、こちらから行動をしたが、結果は衝突する状態になり、 ついに絶縁してしまった…。
そのトラウマからか仲良くなれそうでも、 無理してまで関係を維持する意味を見出せなくなりました。
創作は(個性)だ。誰かにゴチャゴチャ言われても、何かが間違いなセカイではない。個性を社会的に表現できる自由がある状態こそ、アートだと私は考えています。
対人関係では、 個性を出し過ぎると相手に迷惑をかける場合があり制御しないといけない。何故なら歯止めが効かず、 暴走集団になってしまう可能性があるからだ。
だから、(個性)と(迷惑)は違う。なんでも個性だからといって迷惑をかけていいのなら世界が混沌としてしまう。
私は、アート活動を表現が迷惑とならないような立ち位置。または、個人同士が対人関係では成立しない所を補助するような役割として活動を続けていきたいと思っている。
相変わらず、私の行動は他人から見ればマイペースなようだ。 指摘されても無理に合わせようとは思っていない。 おおよその範囲内はモラルとして守るけど……
人に合わせてしまうと、自分の人生を生きてるとは言えない感覚があり、それがどうも性に合わない。疲れてしまうんだ…
本当に、良い関係を作る為にはどうしたら良いんだろうなぁと考えてはいるものの、合わないコトをしても身体を壊してしまうので、なるようになるしか無いのかも。
そして、それは今の日本では間違っているのかもしれない。多様性とは言いつつ同調圧力はあるので、皆んなと同じように出来ない私は生きづらい。
でも、現在生きにくいとされる日本が(生きやすい国) になる為の行動をしているかもしれない。皆んながマイペースに生きるのが軸になれば変わったりして…?
何が真実で、何が正解か分かりにくい世の中だからこそ自分と社会とが、無理なく生きれるその案配を見定めていきたい。
私は、(個人の範囲内でも他者に伝える努力を諦めてはいけない)という内容で活動をしたり、このように文書にしています。
よそはよそ、うちはうち。と考えた方が日本は楽かもしれませんね。しかし、社会全てを変えるチカラが最終着地点ではなく(生きれる範囲内を増やす為に、努力しよう)と心掛けることからまず始めたいということです。
それはどう思うと自由ですし。私はそれに基づいて頑張りたいと思います。また、更新しようと思いますので参考や活力になって頂ければ幸いです。
そういう自分に、社会や多数派が合わせてくれる事を、特に期待してません。
何故かを説明します。
日本人は、縄文人と弥生人と渡来人が混ざってできた人種です。(事実)
遺伝子で言うと、10%が縄文人由来の遺伝子です。(事実)
多様な人がいるといっても、遺伝子の何が強く出るかで決まるとも言えて、縄文人的な形質が強い人が10%ぐらいの少数派で居ると考えられます。(私の感覚)
縄文人は古代から狩猟採集をしていた自由気ままな生活をしていた人達で、渡来人は朝鮮や中国から技術を伝えに来た技術者で、弥生人は規則正しく農耕をしていた人達です。(事実)
当たり前ですが、弥生人の人口が一番増えやすいので、(事実)日本人でも比率が大きく、現在ではいわゆる一般労働者になってると言えます。(私の予想)
縄文式土器はご存知の通り、意味不明な使いづらい個性的な形をしていて、弥生式土器は機能的で使いやすいシンプルな形をしています。(事実)
これについて、考えてみると分かりますが、お互いの文化を理解するのは難しそうです。(私の想像)
「結論は出ている」
というのが、私の考えです。
分かり合えない状態が、最良の状態であると考えられます。
何故なら、日本と同じ島国のイギリスでは、妖精や魔法を信じるケルト人を、大陸から渡ったローマ人は支配した。そのローマ人をさらに大陸から渡ったゲルマン人は駆逐した為、ケルト人はアイルランドへ逃げた。
一方、日本は、分かり合えないのに、国が分かれる事も、民族が分かれる事もなく、混じったのです。
混じった結果、個人個人に、多様な形質の人が現れるのですが、外国のようにひどい差別される事もなく、だからと言って外国のように歩み寄るという事もなく、「自分には良く分からない人もいる」という国になった。
外国の場合は、自分の村に何をやってるのか分からない人が居たら排除の対象となって、いわゆる魔女狩りになりますが、日本では「野山にまじりて竹を採りつつよろずの事に使いけり」という竹でいろんな物作ってるらしい謎の爺さんの家に謎の若い女子が居ても、普通に天皇の嫁候補になるぐらい許容されている。
外国の場合は、職人は工房なので、集団作業だが、日本は集団に馴染めないタイプの人が一定数いる国なので、そういう人は、個人の職人になっていた可能性が高いのだろうと、歴史を見ると理解できる。
外国から制度を学んだ学校制度は、集団を強制する物です。西洋では全員がキリスト教である事が前提で、日本でも寺子屋と言うように、同じ思想を強制します。
日本に一定数出現する集団に馴染めない人は、強制される集団が辛いのですが、それは学校であって、社会は違います。日本社会は歴史的に、集団を苦手とする人も尊重する社会なので、学校の感覚を大人になってまで引きずらずに、世界一生きやすい国である事を実感した方が幸福なはずだと思ってます。