こんにちは 論系室助手の宮本明子です。
きょうは現代人間論系4年生の板垣志穂さんにきてもらいました。
板垣さん こんにちは~。
―こんにちは、よろしくお願いします。
論系室ではときどき、「留学」を考えている学生さんから相談をうけます。
板垣さんの場合はどうだったのでしょうか。とくに学生さんから多いつぎの相談について、
気軽にお応えいただけたらとおもいます。
【1】留学先はどちらでしたか? もしよかったら、雰囲気もおしえてください。
韓国の南西部にある、全州(チョンジュ)という町です。 のどかなところですが、歴史的な街として、また食の都としても有名です。風景や人情など「ちょっと昔の韓国」がたくさん残っている、すてきな町です。ソウルから高速バスで3時間くらいのところにあります。日本ではまだ知名度が高くないようで、あんまり日本からの観光客は見かけません。穴場ですよ(笑)。4年生の春から、交換留学生として1年間 (実質10ヶ月間)留学していました。今月(2013年1月)帰国したところです。
【2】留学しようか、悩んでいます。留学してよかったことがあればおしえてください。
一番大きいのは、視野が広がったことです。ありきたりな言い方ですが。
それは、周りの人を通じてでしょうか? エピソードなどがあれば、おしえてください。
大きく分けてふたつあります。
ひとつめは、自分の問題意識に関することです。留学前にもっていた問題意識そのものを、何度も根本から問い直すことになりました。留学先では、いわゆる「歴史問題」について考えるために、歴史(特に韓国史、日韓交流史)を専攻しました。「歴史を学ぶ」とは、ある「歴史上の事実」をどのように明らかにするかということだと漠然と考えていた私は、授業をはじめとする様々な場面で、その語り方の違いや語られるストーリーの違いに驚いてしまいました。よく両国の間で問題になる「誇張」や「歪曲」ということ以前に、その根底の「痛み」のありかが全く違うということがどういうことなのか、実感しました。韓国で語られる「痛み」に向き合うと同時に、韓国では語られない、日本に住む者としての自分の「痛み」についても直視せざるを得ませんでした。日々苦しかったですが、本当に鍛えられたと思います。同時にこの問題について、もう逃げられないな、見なかったことにはできないなという、ずっと考え続けるための覚悟ができたようにも思います。どうしても直視できず、もやもやしていた部分が、ふっきれたような気持ちです。
ふたつめは、韓国以外の国に関することです。韓国語を学ぶ授業や寮生活を通じて、留学生同士の付き合いが多くなりました。首都ソウルと違い、日本からの留学生がほとんどいないところだったので、当然日本・韓国以外の国から来た友達が多くなるわけです。わたしの場合、特に中国、モンゴル、東南アジア、中央アジアに友人が多くできました。また人数としては少ないですが、ヨーロッパにも大事な友人ができました。正直にいえば留学前には、世界のニュースなどもあまりピンとこないまま、義務感だけで見ていた部分がありました。しかし今では「友達の住んでいるところ」に関するニュースにはいやでも目が行きますし、報道される内容だけでなく、そこにある人々の生活や歴史的背景などについても考えるようになりました。
▼つづきはその2(近日アップ予定)で
先週帰国したばかりという板垣さん、
時間をかけて、具体的におしえていただきありがとうございました。
話していたとき、私がちょうど韓国に短期滞在していた折、
板垣さんとそう遠くない場所にいたことが判明してうれしかったです。
宮本明子(助手)
きょうは現代人間論系4年生の板垣志穂さんにきてもらいました。
板垣さん こんにちは~。
―こんにちは、よろしくお願いします。
論系室ではときどき、「留学」を考えている学生さんから相談をうけます。
板垣さんの場合はどうだったのでしょうか。とくに学生さんから多いつぎの相談について、
気軽にお応えいただけたらとおもいます。
【1】留学先はどちらでしたか? もしよかったら、雰囲気もおしえてください。
韓国の南西部にある、全州(チョンジュ)という町です。 のどかなところですが、歴史的な街として、また食の都としても有名です。風景や人情など「ちょっと昔の韓国」がたくさん残っている、すてきな町です。ソウルから高速バスで3時間くらいのところにあります。日本ではまだ知名度が高くないようで、あんまり日本からの観光客は見かけません。穴場ですよ(笑)。4年生の春から、交換留学生として1年間 (実質10ヶ月間)留学していました。今月(2013年1月)帰国したところです。
【2】留学しようか、悩んでいます。留学してよかったことがあればおしえてください。
一番大きいのは、視野が広がったことです。ありきたりな言い方ですが。
それは、周りの人を通じてでしょうか? エピソードなどがあれば、おしえてください。
大きく分けてふたつあります。
ひとつめは、自分の問題意識に関することです。留学前にもっていた問題意識そのものを、何度も根本から問い直すことになりました。留学先では、いわゆる「歴史問題」について考えるために、歴史(特に韓国史、日韓交流史)を専攻しました。「歴史を学ぶ」とは、ある「歴史上の事実」をどのように明らかにするかということだと漠然と考えていた私は、授業をはじめとする様々な場面で、その語り方の違いや語られるストーリーの違いに驚いてしまいました。よく両国の間で問題になる「誇張」や「歪曲」ということ以前に、その根底の「痛み」のありかが全く違うということがどういうことなのか、実感しました。韓国で語られる「痛み」に向き合うと同時に、韓国では語られない、日本に住む者としての自分の「痛み」についても直視せざるを得ませんでした。日々苦しかったですが、本当に鍛えられたと思います。同時にこの問題について、もう逃げられないな、見なかったことにはできないなという、ずっと考え続けるための覚悟ができたようにも思います。どうしても直視できず、もやもやしていた部分が、ふっきれたような気持ちです。
ふたつめは、韓国以外の国に関することです。韓国語を学ぶ授業や寮生活を通じて、留学生同士の付き合いが多くなりました。首都ソウルと違い、日本からの留学生がほとんどいないところだったので、当然日本・韓国以外の国から来た友達が多くなるわけです。わたしの場合、特に中国、モンゴル、東南アジア、中央アジアに友人が多くできました。また人数としては少ないですが、ヨーロッパにも大事な友人ができました。正直にいえば留学前には、世界のニュースなどもあまりピンとこないまま、義務感だけで見ていた部分がありました。しかし今では「友達の住んでいるところ」に関するニュースにはいやでも目が行きますし、報道される内容だけでなく、そこにある人々の生活や歴史的背景などについても考えるようになりました。
▼つづきはその2(近日アップ予定)で
先週帰国したばかりという板垣さん、
時間をかけて、具体的におしえていただきありがとうございました。
話していたとき、私がちょうど韓国に短期滞在していた折、
板垣さんとそう遠くない場所にいたことが判明してうれしかったです。
宮本明子(助手)