真宗高田派の本寺(栃木県二宮町高田)の如来堂(本尊 一光三尊佛)
真宗高田派の本寺(栃木県二宮町高田)の御影堂(親鸞聖人座像ご安置)
根本道場下野本寺と一光三尊佛
高田教団が下野高田の如来堂を中心として起こったことは皆さん高田門徒の方はご存知ですが、如来堂はやがて高田専修寺として寺院威容をととのえました。
寛政六年(1465)第十代中興真慧上人が教腺強化のため本山を伊勢の国一身田に移されるに際し、下野の専修寺(せんじゅじ)を本寺(ほんじ)と
呼んで本山と区別することになりました。
下野の本寺は、聖人の御在世の昔を最もよく伝える聖域として、昭和42年、国の史跡に指定されましたが、古くから真宗の根本道場と言われ、全真宗念仏門徒の故郷であります。こうした聖人直接の御旧跡を護持しているのは高田のみであり、根本教団の威光を輝かせています。
この本寺の如来堂に安置する本尊は、聖人の夢に現れて長野の善光寺から貰い受けたと伝える一光三尊佛であります。
聖人が自ら親しく御恭敬あそばした尊像として現存唯一のものであり、永く秘仏として扉を閉ざされていましたが、第17代円猷上人の時代になって初めて本山に出開帳され、爾来17年目毎に出開帳を仰ぐことになりました。
そもそも真宗の御本尊は観無量寿経の「住立空中」の仏にたかどったものと言われていますが、そこに見えているのは正しく三尊佛でありまして、弥陀一仏といっても、阿弥陀仏の右手が慈悲(観音)を、左手が智慧(勢至)をあらわしていることから、逆に阿弥陀仏一仏が三尊佛をあらわしているともいえるのであります。聖人みずから御恭敬あそばした御本尊が三尊佛であることは、このように見てきますとむしろ自然なことであります。
私達は一光三尊佛の中に、聖人の深い願行を仰がずにはいられないのであります。
「念仏高田」と高田門徒は呼ばれてきました。その言葉に示されているように、信行具足の念仏重視の傾向であります。今日の真宗教団に、称名念仏を信後の報謝行として、信心の蔭に追いやろうとする傾向があります。
それは高田の宗風にそぐわないところなのです。それは親鸞聖人のお心にそぐわないことと考えます。聖人は「教行証文類」にも行文類の次に信文類を次第せられており、御和讃にも「弥陀の名号となえつつ 信心まことに得る人は 憶念の心つねにして 佛恩報ずる思いあり」とし、まず念仏を称えるということがあって信が展開するのです。高田の宗義は、この行信のお心を正しく相続してきたのです。
従来、高田の宗義をけなして「半鎮半台」と言われてきました。これは、高田は半分は浄土宗鎮西派で半分は天台宗の自力念仏宗だという意味です。
しかしながらこれは、念仏重視の宗風を表面的に受け取って非難したものなのでしょうが、むしろ、こういう非難こそが、念仏を置き去りにして、真宗教団の衰弱化を進めます。