毎年訪れようと考えていたスペインのカタルーニャ地方、英語がほとんど通じないこともありスペイン語を勉強していました。コロナで行けないままです。
スペインが生んだ不世出の天才建築家ガウディ
ガウディは幼い頃から貧しく苦労人で、大変な努力家であったと言われています。
ガウディは、1852年6月25日、バルセロナを中心とするカタルーニャ地方南部の町で、金物職人の家に生まれます。
貧しい家庭に生まれた事もあって、学費と生活費を稼ぐために建築現場でアルバイトをせざるを得なかったために、学業に専念できる環境ではなかったようです。
そんな彼に若手実業家、エウゼビ・グエルというパトロンが1883年、ガウディは、「サグラダ・ファミリア」の2代目の主任建築士になりました。
サグラダ・ファミリアの建築は、彼の人生そのものになっていきます。
ところが突然の死が訪れます。
晩年のガウディは、親族や友人の相次ぐ死や、制作上の衝突、経済不況による作品の工事遅延、パトロンの死去など多くの逆境に出会ったようです。
そのため彼は俗世を捨て去り、キリスト教関連以外の仕事をすべて断り、
ザグラダ・ファミリアの足元にあった工房に閉じこもり、創造にのみ没頭する隠者のような生活をしていたと言われています。
そして1926年6月7日、晩年は敬虔なカトリック教徒として過ごしていたガウディは、この日いつものように夕方のミサに出かけました。
そして、そのまま帰らぬ人となりました。
彼は30年来通うミサの道中、市電に跳ねられたのです。
彼の体は地面にたたきつけられました。
しかし、道ゆく人は、あまりに貧相な格好をしたその老人が、偉大な建築家、アントニ・ガウディであることに気付きません。
誰もがホームレスが跳ねられたのだと思い、病院への搬送が遅れました。
搬送先の病院でも、誰も彼がガウディであることに気付かず、夜中に彼が帰らないことに心配した知人の神父がようやく探し当てたのです。
病院が、彼がガウディであることに気付くと、懸命の救急措置が取られ、何度か意識を取り戻しました。
しかし、事故から3日後の6月10日、彼は力尽き、永眠します。73歳でした。
亡くなった病院を取り囲むように人だかりができ、バルセロナ市民はみな悲しみに打ちひしがれました。
そして、ローマ法王庁の許可のもと、サグラダ・ファミリア内に眠ることになりました。
サグラダ・ファミリアの建築に没頭するあまり外見を気にせず仕事に没頭し、最期はホームレスと間違われた 孤高の芸術家アントニ・ガウディ
現在も彼は自分が生涯を捧げた聖堂で眠っています。
そして彼の死後も、彼の築いたもの全てが世界中の人々を魅了し続けています。
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