シャンパンブレイク

30年以上JAL国際線客室乗務員としてフライトし現在癌の治療中。お酒大好き旅が大好き趣味はランニング~

あれからもうすぐ28年

2013年07月19日 | ひとりごと
1985年8月12日に起きた単独機としては世界最悪 の犠牲者数を出した航空機墜落事故

操縦桿使えない状態で1時間近く飛べてたんだからなんか打開策あったんじゃ?

なんて声もあったけど

詳しいことは話せませんが・・・・・・・

コックピットクルーもキャビンクルーも最善を尽くしたことに間違いはありません。

成田へ帰る飛行機の中で

美しいグアムの島を眼下に見下ろして

ふと

切なくてつらい気持ちがよみがえりました。



8 月12日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行
123便ボーイング747SR- 46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)

この日

わたしは同時刻

成田発伊丹行きに乗客として乗り(D/H CREW)

伊丹で制服に着替え

グアム行きの便に乗務しました。

乗務する予定の飛行機はボーイング747SR- 46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)

国内線の123便が乗客を降ろし機内点検を行い

内航機から外航機へと変わります。

そして

グアムへ


フライトする予定だったのです。

代わりに来た飛行機は

JA8117号機(1973年-1988年)

日本国内線用747SRの1号機でもありました。

後に

1985年のJAL123便事故の影響で退役を強いられました。


いま

多くを語ることはできませんが

事故後

わたしたちのフライトスケジュールはその時に限ってグアムに2or3泊するパターンでした。

その間の気持ち

グアムのホテルに息をひそめ

情報収集にあたったり

何も手に付かず

食事をする気にもならず




後日

原因は

1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後の、ボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が事故原因とされています。

このしりもち事故には親友の同期が乗務していました。

圧力隔壁の破損が事故原因だとしたら

わたしはその中の中心

グラフで黒く点で表すと

中心の中の本当に中心の1点だったと思われます。

紙一重だったのです。

この思いを忘れずに

その後乗務を続けてきました。

退職して2年以上が過ぎ


眼下に見下ろす美しいグアム

せつないです









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2 コメント

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運命 (ogachan)
2013-07-20 10:24:18
すべてのことに意味があり、
すべてのことが偶然ではなく、
すべてのことが必然だと考え、
その運命と向かい合い、
自分を信じて、
力強く、楽しく
生きていきたいものです。
返信する
Unknown (ノン)
2013-07-21 09:09:00
その時々で自分に都合のいいように生きていることをちょっと反省もしています。

これkらhは少しでも世の中に貢献できるような、約にたてるようなことをしたいと思います。
返信する