そして、今日、クリスチャンの大切な友人から、すごいコメントとメッセージが届きました。同じ雷の音を聞いてもこんなに感じる世界が違うのですね。ちょっと反省です🥲
そのメッセージが聖書のことを分かりやすく説明しているので、思わずシェアしたくなりました。許可を得て、掲載させて頂きます。ちょっと、長くなりますが、ご一読くださいな🙏
友人のメッセージから。
昨夜はこれまで体験した事のない、長時間の雷雨に見舞われました。
空からの稲妻と雷鳴だけでなく、地を揺るがすほどの強烈なもので、神への恐れ(畏敬の念)をいただきました。
聖書にはアダム以来、罪ある世界の回復(新しい秩序)を最終ゴールとして描かれています。罪を完全に担う権威を持った方は、神しかおらず、その神が人となって、私たちがうけるべき罪の代価を、十字架の死を通して完済してくださったのが、イエスキリストだと言うのです。
聖書で啓示された神は宗教というレベルではありません。私たちは死を迎えるまで、少なからず、真理を求め、葛藤する時があると思います。
伝道と言うと、他の信仰から(無神論も含め)キリスト教にするために福音を伝えることだと考えがちですが、そうではありません。
一般的に、宗教と分類される経典と聖書の何が決定的に違うのかと考えると
①創世から人類の始まり、人類の死後について、地上の終末、新天新地に至るまで、歴史観を持った書物であること。
②人間を構成しているものは、肉体と霊からなっていて、肉体の死後も、霊は生き、後に、新しい体に復活することを明確に説明しています。
③その説明の根拠として、キリストはこの地上で生き、死と復活を体験し、人々の前で、多くの目撃者によって証明されました。それが、新約聖書となって語り継がれ、キリスト教へと発展しています。
④聖書は預言と成就という形式を持っていますが、旧約聖書にほとんどの預言はされています。その預言は100%はずれたことはなく、あと、残された預言は幾つかの終末預言です。聖書スタディをし続けている者にとって、これは深刻、かつ、希望のあるものです。残された人生の大切な時間に、自分のこととして、一度、聖書に向き合っていただきたいと、心からおすすめします。
昨夜の雷鳴をきっかけに、私の思いが変わらぬうちにお届けします。あしからず。
いかがでしたか⁉️人間、死んで終わりではありません。そのあとの行く道を聖書はしっかりと教えてくれています。私はそれを心から信じています。そして、いつも、神さまが側にいてくれて導いてくれています。ちょっと、長くなりました。🙏でも友人のメッセージに心から、感謝します🥲