ドラマ板 韓流時代劇編 ~ 千年の夢
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2003年2月1日 KBS 前後編
高麗王朝末期、、元に追われながらも青磁を守り続けた陶工を描いた短編です、、
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タイの青磁器 『セラドン』サンスクリット語で「緑の石」の意味 ※AI先生作 「セラドン」は、ベンジャロン、ブルー&ホワイトとならぶタイ三大陶磁器の1つで北部チェンマイ ※AllAbout先生作
ーーーーー M:【青磁を作った陶工たちの生きざまを描いた『千年の夢』 】【名作劇場】2020年06月13日 スペシャル #名作劇場
★高麗(コリョ)末期に栄えた高麗青磁の名工と、その弟子たちの姿を描いた人間ドラマ『千年の夢』。
『朱蒙』主演のソン・イルグクが、陶工の息子として生まれながらも商人を目指すテソンに扮し、自分の進んだ道や師匠への復讐心に葛藤しながらも、優れた陶工へと成長していく主人公を好演した。
また、『宮廷女官チャングムの誓い』や『ホジュン~宮廷医官への道~』に出演したイム・ホが、テサンのライバルとなるオプトン役に扮し、感情の揺れが激しい若き陶工を見事に演じている。
女性ながらも息子として、陶工の親方に育てられたヒロインを演じるのはミス・コリア出身のキム・サラン。
さらには韓国ドラマではお馴染みの名優イ・ジョンギルが、青磁の秘法習得に執念を燃やす陶工に扮し、重厚な演技を披露しているのも見どころだ。
ドラマ『千年の夢』(Licensed by KBS Media Ltd. ©2003 KBS Media All rights reserved.)
【あらすじ】
青磁の秘法習得に執念を燃やす陶工たちの物語
高麗には独自の秘法で製作された美しい色合いと、優雅な紋様が特徴の高麗青磁が存在した。高麗を侵略していた中国の元は、高麗青磁はもちろんのこと、陶工らも強制的に連行する蛮行を繰り返していた。
13世紀。父のヤン親方(イ・ジョンギル)に女性ながらも男として育てられたポクトン(キム・サラン)は、捨て子のオプトン(イム・ホ)、そしてヤン親方の窯で働くテサン(ソン・イルグク)とは大の仲良しだった。
3人のなかで最も技術があるのはテサンだったが、彼は家業を継ぐのではなく、商人になって家を裕福にしたいという夢があった。
あることがきっかけで、父と大喧嘩をしたテサンは家出し、大物商人の下で働くようになる。数年後、店に持ち込まれた急須がオプトンの作品であると気付いたテサンは村を訪ねるのだが…。
(出展; /韓ドラ時代劇.コム)
ーーーーーーーー M2:【千年の夢 キャスト 】
オ・ヒョンチョル⇒ソン・イルグク :テサン
キム・サラン :ポクトン
イム・ホ :オプドン
イ・ジョンギル :ヤン老人
イ・ギヨル
(出展; /韓流俳優DATABASE)
ーーーーーーーーーー M3:【青磁(せいじ) とは 】
※龍泉窯青磁、南宋
青磁釉を施した磁器 (Porcelain) または炻器 (Stoneware) のこと。
透明感のある青緑色の磁器で、★紀元前14世紀頃の中国(殷)が起源とされる、後漢代に流行し以後次第に普及した。 製造技術は★日本や高麗にも伝播した。
特徴的な青緑色は、釉薬や粘土に含まれる★酸化第二鉄が、高温の還元焼成によって★酸化第一鉄に変化する事で発色する。 色艶は全く異なるが、★酸化クロムの還元で発色させる物も青磁と呼ばれる。
青磁釉
※高麗青磁の薄片、5mm、透明性に注目
1200度以上で焼成される高火度釉で、★植物灰を主成分とし、酸化第二鉄を含有する。 ボディ(胎)から釉に拡散する鉄の寄与がある場合もある。 焼成によって原料の酸化第二鉄を★還元することで酸化第一鉄ができ、青~緑を発色した透明ガラスになる。
還元の量と釉薬中に含まれる鉄分の量によって、★黄色がかった緑から、空色まで発色が大きく変化する。 現在では★石灰バリウム釉を基礎釉とし、★珪酸鉄を着色剤として使用することで澄んだ青色を得ることができるが、★本来の青磁は灰釉である。
焼成技術上の問題
古くは、発色の不安定さから同時に焼成した器のなかで不良品が出易かった(歩留まりが悪い)、製作技術の向上や窯の進歩により安定して良品が量産されるようになるのは★晩唐以降になる。 焼く前にかける釉薬の厚さを★厚くしないと(2~3ミリ程度)青が発色しないため、釉薬がはがれないように施す工夫や、厚い釉のため器が重くならないように、素地を薄く成形することもある。 釉薬の厚みから時間をかけて美しい貫入が多く入る。
広義の青磁
「青磁」用語の例外的使用として、➊クロム青磁と ➋米色(べいしょく)青磁がある。 米色青磁は、釉薬等は還元焼成の青磁とほぼ同じだが、酸素(空気)を吹き込んだり電気窯の使用等で酸化焼成し、ウイスキー色の透明釉を生成する。
本来の米色青磁は★還元焼成するはずのものが偶然、酸化焼成となり窯変したもので、常盤山文庫中国陶磁研究会では「米色」の命名の元となった★南宋官窯の米色青磁は世界に4点しかないとしている。
クロム青磁は酸化鉄ではなく、酸化クロムの釉薬によって青緑から草色に発色させる。 クロム青磁は、大量生産の安価な器物や★タイルなどに明治以降使用された。
類似用語
青磁ではない青~緑色の陶磁器には、次のものがある。
1緑釉
鉛釉をベースにして、銅イオンによって発色する。800度程度で発色する低火度釉。
2天青
微量のコバルト(「呉須(ごす)」とも呼ばれる)を釉にいれて、空色に発色させたもの。
3蘋果緑
高温で焼成し、銅イオンで発色する緑色釉。アップルグリーン。
4青釉
アルカリ釉をベースにして、銅イオンで発色させた不透明低火度釉。明るい青に発色する。西アジア、エジプトなどで生産された。中国の出版物で青磁釉を「青釉」と呼ぶこともある。
※※杭州の南宋時代の遺跡から発掘された青磁の破片の部分
歴史としては、中国で発達した陶磁器であり、日本、東南アジア、朝鮮半島にも伝播した。 ★殷の時代に遡る灰釉から発展した。 「龍窯」と呼ばれる★単室の登り窯で焼成され、より効率のよい窯へ龍窯が発展するに伴って、良質な青磁が生産されるようになる。 青磁と呼ぶことのできる釉が現れるのは、★「後漢~西晋時代の江南地方」であり、★越州窯(浙江省)の青磁が有名である。
それ以前の灰釉と青磁釉の中間的な釉をもつ陶磁器を「原始青磁」「初期青磁」と呼ぶこともある。
唐代以後、青磁は多くの文人・知識人に愛されたが、その理由の一つに碧玉に近い色がある。 ★碧玉は古代より君子が身に付けるものとされ、儒教においては「徳の根源」とされ尊重されていた。 青磁は「假玉器(かぎょくき)」と称され、碧玉に近い色の青磁は貴族に宝器として受け入れられた。
また、晩唐に後に「茶祖」と称される「陸羽」が『茶経』(760) を著し、それに則った喫茶の習慣が流行した。『茶経』において陸羽は、浅黄色に抽出した煎茶を越州窯の青磁茶碗に淹れると茶の色が緑に映える、として貴んだ。 宋代にかけての陸羽茶道の流行とともに、王侯や文人たちは青磁茶碗を買い求めた。
宋が華北(白色や茶、褐色などの赤系色の磁器が主)を失陥し青磁の産地だった江南へ中心が遷った★南宋時代が最盛期で、耀州窯(陝西省)、南宋官窯(浙江省)や北宋後期官窯の汝窯(河南省)などが名窯として知られている。
名窯程ではないが評判が高く生産量の多かった龍泉窯(浙江省)の物は★秘色と呼ばれた、 魏晋時代から明中期まで生産を続けているが、元以降は輸出用の容器に用いる大型製品が多くなり、良質の原料が枯渇し始める。 著名な「景徳鎮」は宋代には主要な産地ではなかったが、★白磁が好まれた元代以降隆盛となり、清代には磁器胎の白磁が生産されている。
★高麗では、11世紀 - 14世紀に、宋から伝わった技術により朝鮮南部で青磁が作られた(高麗青磁)。
タイでは、14世紀 - 15世紀に★スワンカーロク窯を中心に青磁が制作された。
日本の文献に青磁が最初に現れるのは、唐物の流入が盛んになった★11世紀のことである。 平安時代の遺構からも越州窯産の青磁器の出土例が多くあり、中でも茶碗が最も多い。
鎌倉時代に日本でも茶の湯が広まり、安土桃山時代に渡り発展した。 茶人達は茶道具を格付けすることを好んだが、中国産の青磁を➊砧、➋天龍寺、➌七官、➍珠光、➎人形手と分類した。 中でも砧(きぬた)は最上格の名物であり、中国では「粉青釉龍泉青磁」と呼ばれている龍泉窯の「青秘」である。
また、侘び茶の始祖、村田珠光は下手物と呼ばれる青くならなかった灰黄色・褐色の青磁に価値を見出し愛用した。 以来、珠光ゆかり・珠光好みの褐色の青磁は珠光青磁と呼ばれ、その弟子筋にあたる人々のあいだで名物として扱われた。
日本での青磁生産は、★17世紀以降である。 有田を中心とする磁器胎のもので色絵などと併用したものも多い。
※明代青磁
明代青磁
宋代青磁
宋代青磁
宋 耀州窯 腕
宋 耀州窯 腕
高麗青磁
高麗青磁
文化
イスラム世界では、毒が盛られると変色すると信じられていた。 (出展; /Wiki)
ーーーーーーーーーー M4:【白磁(はくじ)とは 】
白素地に無色の釉薬をかけた磁器の総称である。 ★ケイ酸とアルミニウムを主成分とする白色の粘土の素地に、★鉄分のない植物灰と高陵石から精製された透明釉薬を掛け、高温の還元炎で焼き上げて作る磁器の一種。
また青白磁(せいはくじ)とは、白磁の一種であるが、とくに釉薬が文様の溝にたまって青みを帯び美しい水色に見えるものをいう。 青白磁は宋代の景徳鎮産の梅瓶や香炉、鉢、水差の優品がその典型例で、宮廷や日本では大名クラス以上の人々に珍重された。
なお白磁や青白磁は日本において、色の表現[要説明]としても使用されている。
歴史
中国 通説では、起源は560 - 570年代の北斉(中国)に遡ると言われ、青磁の製造技術の完成と共に発展し、北宋時代の定窯で、白磁の名品が多く作られるようになった。
しかし2009年、中国・河南省安陽市安陽県の西高穴2号墓(曹操の墓とされている)で発掘された罐(形状はいわゆる缶よりも壺に近い)が、2019年、調査に当たった東京国立博物館の研究チームによって、白磁の特徴を備えていると発表された。 曹操は後漢末期の人物(220年死去)であり、事実ならば起源は300年以上さかのぼることになる。
1000年ごろ、景徳鎮にて微量の鉄分を含む釉薬で焼く、青白磁(影青)が盛んに作られ、東アフリカまで輸出されるようになる。 元代後半になると、景徳鎮窯では青の染付をあしらった、青花(せいか)の製造がはじまるが、下地は白磁である。 清代に入ると、景徳鎮だけでなく各地の窯で白磁の量産が行われ、一般の日用品として広く普及した。
日本 白磁の製造技術が日本に伝来したのは、★16世紀ごろと言われ、文禄・慶長の役に際し、朝鮮半島から来た陶工によってもたらされたという定説になっているが、それ以前に各地の窯業地で粗製の白磁の生産が試みられている。
そして、1616年ごろ★肥前国有田の泉山で、白磁に適した地層が見つかり、李参平によって、白磁が製造され定着した。 また当時の状況として、白磁の技術は、染付の素地としてもっぱら利用されるようになった。 幕末の文化・文政年間(1804年 - 1830年)ころには、白磁や青花は日用品として、普及する事となった。
明治に入って、京都の3代目、清風与平が白磁の美を追求してひとつの分野を開拓した。
朝鮮
※李朝白磁
欧州 1709年にドイツのマイセンで白磁製造に成功し、その後、各地で製造される。
※マイセン (陶磁器) (出展; /Wiki)
ーーーーーーーーーー M5:【李朝白磁(りちょうはくじ) とは 】
李氏朝鮮で作られた白磁である。
李朝の陶磁器は、初期には粉青沙器が主流だったが、★17世紀以後は白磁に変わった。
中国の★元、明の白磁の影響を受けたものだが、17世紀には色が青味がかり、李朝末期には濁った白色に変わった。 李朝では、磁器の製造は官窯で奴婢である工匠(ko:공장 (직업))が行っていた。 1752年に広州に分院の官窯が作られ生産の中心になっていたが、1883年に分院が民営化され官窯の歴史は終わった。
下絵付はあったが、上絵付はなかった。 ★コバルト顔料で下絵付した青花も作られたが、コバルト顔料が不足したため、★鉄絵具で下絵付する鉄砂や銅絵具で下絵付する辰砂も作られた。 しかし、李朝白磁の★95%以上は他の色による装飾がない純白磁であり、江戸時代に日本で作られていたような華やかな色絵磁器は李氏朝鮮には存在しない。
(出展; /Wiki)
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ーーー 初版20250210 昨日の東京都心大手町最低気温0.7℃ 最高気温11.5℃、、 全国夏日0地点
全国 冬日846真冬日147地点(8土;冬日前日比+20真冬日-84)
ー時節項追記前日深夜未明迄 ※9日の内容が中心 時節項追記同日、
(画像・ 1) /千年の夢 | KBS World
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