2023年 第123回全米オープン 最終日結果など ⛳
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いよいよ最終日、、個人的には無冠のファウラーに勝たしてあげたいですが、、
初日62だったシャウフェレは3日目3つ落としてー5の6位タイ、、 首位はー10でファウラーとWクラークが並び、Rマキロイがー9の1差、最後劇的イーグルで復帰のシェフラーがー7の3差で追う展開、、
2つボギーで落とした7番、ファウラーは3人しかバーディーを取っていない難ホールでバーディでバウンスバック!!、、 兎に角メジャーの難しいセッティングにも関わらずバーディ量産のファウラーですが、、女神降臨、そして載冠はあるのか!?
日に日に固くなってきたFW、茶色く焼けたようにも見え速くなってきたG、、
さあ最終日です! トロフィーは誰の手に
--※ハイ ให้ の用法 まとめ AがBにあげる、BがAにもらう ⇒ A + ハイ + B Bに~してあげる ⇒ 動詞 + ハイ + B AがBに~させる ⇒ A + ハイ + B + 動詞 A~になるまで、なるように~する ⇒ 動詞 + ハイ + A ※タイ語のメモ帳先生作
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー M1:【123th 2023USOPEN Final‐Round Result ⛳】
最終日、、Gのあちこちに茶色い「ドライスポット」が現れ、固く締まったFWとGは信じられないファーストバウンドを見せ、コースがタフに豹変する。。
最終日、首位ファウラーがまるで別人、、距離も出ずそして何よりパットが全く入らなくなってしまった、、結局シードの4位以内も獲れなかった。
シェフラーなど上位陣も後退、バックナインに入ってクラークとマキロイの一騎打ちの形になった、、
今日一番伸ばしたのはフリートウッドのー7(63)でレコードタイ迄1打だった。。
@;Amateur *;インスタート ※揺れご容赦 R fl TS Name HOLE Today R1 R2 R3 R4 Total
1 - -10 W.クラーク F E 64 67 69 70 270 2 1 -9 R.マキロイ F E 65 67 69 70 271
3 1 -7 S.シェフラー F E 67 68 68 70 273
4 5 -6 C.スミス F -3 69 67 71 67 274
5T 4 -5 R.ファウラー F +5 62 68 70 75 275
5T 33 -5 T.フリートウッド F -7 73 69 70 63 275
5T 7 -5 ミンウ・リー F -3 69 65 74 67 275
8T 3 -4 H.イングリッシュ F +2 67 66 71 72 276
8T 1 -4 トム・キム F -1 73 68 66 69 276
10T 4 -3 X.シャウフェレ F +2 62 70 73 72 277
10T 28 -3 J.ラーム F -5 69 73 70 65 277
10T 4 -3 D.ジョンソン F +2 64 70 71 72 277
10T 28 -3 A.エックロート F -5 71 68 73 65 277
14T 1 -2 P.カントレー F -1 71 71 67 69 278
14T 6 -2 R.ヘンリー F -2 71 71 68 68 278
14T 1 -2 C.モリカワ F -1 71 69 69 69 278
17T 2 -1 M.フィッツパトリック F E 71 70 68 70 279
17T 3 -1 B.ケプカ F -1 71 69 70 69 279
19 7 E V.ホブラン F +2 69 70 69 72 280
20T 11 +1 B.デシャンボー F +4 67 72 68 74 281
20T 27 +1 N.ハーディ F -3 70 69 75 67 281
20T 30 +1 Jo.スミス F -4 70 71 74 66 281
20T - +1 K.ミッチェル F +1 68 71 71 71 281
20T 12 +1 永野竜太郎 F +5 71 67 68 75 281
20T 12 +1 D.マッカーシー F E 71 67 73 70 281
20T - +1 Sh.ローリー F +1 72 70 68 71 281
27T 18 +2 S.ティーガラ F -1 74 66 73 69 282
27T 7 +2 J.サー F +2 69 69 72 72 282
27T 11 +2 S.ガルシア F E 70 71 71 70 282
27T 7 +2 T.ハットン F +2 74 67 69 72 282
27T 12 +2 P.ハリントン F +3 73 69 67 73 282
32T - +3 P.ロジャース F +2 71 69 71 72 283
32T 12 +3 J.ニーマン F +3 68 72 70 73 283
32T 12 +3 C.ヤング F +3 72 70 68 73 283
32T - +3 D.ウー F +2 68 70 73 72 283
32T 20 +3 松山英樹 F +5 72 69 67 75 283
32T 17 +3 T.フィナウ F +4 68 69 72 74 283
32T 12 +3 S.バーンズ F +3 69 70 71 73 283
39T 19 +4 キム・シウー F +4 67 72 71 74 284
39T 11 +4 G.サージェント@F -1 69 71 75 69 284 BA
39T 19 +4 E.コール F +4 69 70 71 74 284
39T 20 +4 David Puig Currius F -3 69 73 75 67 284
43T 11 +5 Ry.フォックス F +4 68 74 69 74 285
43T 4 +5 Sa.ベネット F +1 67 68 79 71 285
43T 23 +5 B.ハーマン F +5 65 73 72 75 285
43T 5 +5 A.パットナム F +3 68 71 73 73 285
43T 5 +5 S.スティーブンス F +3 75 67 70 73 285
43T 11 +5 B.ホーシェル F +4 73 67 71 74 285
49T 4 +6 C.ホフマン F +3 71 67 75 73 286
49T 17 +6 G.ウッドランド F +5 70 68 73 75 286
49T 2 +6 S.ムニョス F +2 68 74 72 72 286
49T 11 +6 K.ストリールマン F +4 72 69 71 74 286
49T 1 +6 M.ヒューズ F +1 67 73 75 71 286
54T 1 +7 R.ランガスク F +1 71 68 77 71 287
54T 1 +7 A.アンセル F +1 70 72 74 71 287
56T 8 +8 P.リード F -1 72 69 78 69 288
56T 6 +8 R.ジェラルド F +3 69 70 76 73 288
58 8 +9 桂川有人 F +4 69 71 75 74 289
59 4 +11 A.ハドウィン F +5 70 72 74 75 291
60T 1 +12 J.ソロモン F +4 68 73 77 74 292
60T 1 +12 A.スベンソン F +4 71 70 77 74 292
62 3 +13 B.カー@ F +6 70 72 75 76 293
63 2 +14 石川 遼 F +4 69 73 78 74 294
64 9 +15 A.ポットギーター@ F +9 70 72 74 79 295
65 4 +17 M.Moldovan@ F +9 71 71 76 79 297
66TUnder Cut
(出展: USGA)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー M2:【全米オープンとコース改修の歴史~「オープン・ドクター」今昔物語~】2023年6月15日佐々木雄介
今回は、「オープン・ドクター」とも呼ばれる全米オープン開催コースの改修設計を行う設計家たちの変遷について取り上げます。今回のコラムでは、全米オープンにおけるコース改修の歴史についてご紹介します。
▷ 全米オープンの難コースには「オープン・ドクター」の力あり 今年も間もなく、ゴルフの全米オープンが開幕します。今年の開催コースは、ロサンゼルス・カントリークラブ(LACC)のノースコース。 街の中心部であるビバリーヒルズに位置する1921年完成の超名門コースで、初めて全米オープンが開催されます。
全米オープンと聞くと、「難コース・難セッティング」というイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。「優勝スコアが★イーブンパーとなるようなコース作りがされている」ともいわれるコースセッティングですが、その陰には全米オープン仕様にコースの改修設計を行った設計家たちの尽力があります。
そんな彼らは、★別名「オープン・ドクター」とも呼ばれます。 今回はオープン・ドクターの変遷を通じて、全米オープン開催コースの歴史についてご紹介していきます。
▷ オープン・ドクターの祖~ロバート・トレント・ジョーンズ・シニア~ そもそもオープン・ドクターという呼び名を生み出すきっかけになったのは、ロバート・トレント・ジョーンズ・シニアが行ったコース改修でした。
1906年にイングランドで生まれたロバートは、1912年に母や兄弟と共に父が待つアメリカに渡りました。 その後、カントリー・クラブ・オブ・ロチェスターでキャディをしていた彼はある日、当時そのクラブ所属のクラブプロであり「キング・オブ・プロ」とも称された★ウォルター・ヘーゲンを目撃します。 愛車を運転してクラブに現れた際の堂々たる姿に、彼はゴルフの道で生きていく事を決めたと言います。
最初は選手としての大成を目指し、16歳の時にはトーナメントでローアマチュアにも輝きました。 しかしその後、十二指腸潰瘍で長期入院してしまい、トッププレイヤーへの道は断念。 退院後、高校を中退して父の営む会社で製図工として働いていましたが、ゴルフに携わりたいという思いは捨てきれないままでした。
そんなロバートに1925年の夏、幸運が舞い込みます。 ゴルフインストラクターをしていた彼は、オンタリオ湖のソダス湾近くに完成した★ソダスベイハイツ・ゴルフクラブの開場記念エキシビションマッチでプレー。 さらにはクラブ側から、「グリーンキーパー兼クラブプロ兼マネージャー」という、願ってもみない★総合職のオファーを受けたのです。
更に幸運は続きます。クラブのメンバーの一人が、ロバートを★コーネル大学の農学部学部長に紹介。 学部長は、ロバートが特別学生として講義を受けられるよう取り計らいました。1928年の秋の事です。 こうしてロバートは、コース設計家への足場を固めていきました。
そしていよいよコース設計家としての活動を開始したロバートでしたが、当初パートナーとした先輩設計家との関係がなかなか上手くいきませんでした。 その上、時代も大恐慌から第二次世界大戦へと動いていった事により、長く不遇の時代を過ごすことになります。
第二次世界大戦後、再びロバートの元にチャンスが舞い込みます。 かねてから彼の設計に関心を持っていたロバートと同じイニシャルRTJの名を持つ人物から、自身の設計したコースの改造を依頼されたのです。 その依頼主こそ★「球聖」ボビー・ジョーンズ(本名:ロバート・タイアー・ジョーンズ・ジュニア)であり、改造を依頼されたのは★オーガスタナショナル・ゴルフクラブでした。 ロバートは★11番ホールのグリーン左への池の造成、16番ホールの池越えのホールへの変更といった今にも残る大幅な改造を行います。 これらの改造は、ボビーから高い評価を得るとともに、ロバートの設計家としての評価も高めることになりました。
そんな中で依頼されたのが、1951年の全米オープン開催を控えた★オークランド・ヒルズCC(サウスコース)の改修です。 オークランド・ヒルズCC(サウスコース)は1917年に名匠ドナルド・ロスが設計したコースでしたが、ゴルフの進化に対して対応できていない面がありました。
ロバートはこれに対応すべく、「ターゲット・ゴルフ」の概念に基づいて改造を行いました。 具体的には、➊コースの延長や➋バンカーの新設、➌フェアウェイの絞り込みなどを行い、★ターゲットを狙ってショットを打つ技量を求めたのです。 そして迎えた、全米オープン本番。一日でもアンダーパーで回ったのは、優勝したベン・ホーガン他1名。 ホーガンの優勝スコアは+7でした。 最終日にアンダーパーで回ったホーガンは優勝時、「このモンスターをねじ伏せたことに満足している」とのコメントを残し、それ以来コースは「モンスター」の名で知られることになりました。
またロバートもこの改造が高い評価を得たことによって、その後バルタスロル、サザンヒルズ、オリンピックC、コングレッショナルなどで全米オープンに向けた改造を手掛けるようになり、いつしか「オープン・ドクター」と呼ばれるようになったのです。
▷ ドクター親子鷹~リース・ジョーンズ~ ロバートの次にオープン・ドクターと呼ばれるようになったのは、★ロバートの次男であるリース・ジョーンズです。 1941年に生まれたリースは、1963年にイエール大学を卒業。 その後、ハーバード大学の造園コースで1年間学び、さらにカリフォルニア大学バークレー校の造園学プログラムでも勉学したのち、父の東海岸事務所の運営を引き継ぎました。
ちなみに★西海岸の事務所を任されたのが、リースの兄でありロバートの長男である、ロバート・トレント・ジョーンズ・ジュニアです。 ロバートJrがアメリカの★西側や海外のコース設計を担った一方、リースはアメリカ★東側のプロジェクトに専念。先輩社員らからも実践的な設計の指導を受けながら、10年間で20以上のプロジェクトに携わります。そして、1974年に父であるロバートの事務所を辞め、自らの設計事務所と立ち上げました。
独立後もリースは海外のコース設計をほとんど行わず、ほぼアメリカ国内のコース設計のみを行っていました。そんな中で1985年にリースが手掛けたのが、その3年後に全米オープンの開催を控えたボストン近郊にある★ザ・カントリークラブのコース改修です。
アメリカで★最も古いカントリークラブであり、かつ全米ゴルフ協会の設立にも関わった歴史あるザ・カントリークラブのコースを改修するにあたり、リースは➊グリーンの大きさや形を、1890年代にコースが作られた当時のオリジナルのものに戻しました。
その上で、➋バンカーをフェアウェイの奥に配置したり、➌チャンピオンティーを多数追加したりするなどして飛距離の伸びに対応したのです。 この改修が評価されたリースは、以後パインハーストNo.2コース、ベスページ・ブラックコースの他、かつて父のロバートが改修を行ったオークランド・ヒルズやバルタスロル、ヘイゼルティン・ナショナル、コングレッショナルの再改修も行います。 こうして、父ロバートの後を継ぐ「オープン・ドクター」へとなっていったのです。
▷ 近年のドクター~ギル・ハンスら~ リース・ジョーンズがザ・カントリークラブで行ったクラシックコースのレストア(復元改修)は、人工的な景観ではなく★自然に溶け込んだコースを良しとするゴルファーの増加や世界的なゴルフ場ランキングにおける評価傾向によって、今や世界的なトレンドとなっています。 全米オープンの開催コース改修においても、近年はそのトレンドを踏まえつつも、★飛躍的な道具の進化に対応しうる改修が行われるようになってきました。 その改修設計を手掛けている設計家の筆頭に挙げられるのが、★ギル・ハンスです。
1963年生まれのギルは、1989年にコーネル大学で造園学の修士号を取得後、モダンクラシックコースを手本としたコース設計で知られるトム・ドークの元で働き、経験を積みます。 1993年に独立後、モダンクラシック時代の有名設計家であるセス・レイナーやA・W・ティリングハストらが設計したコースのレストレーションで、ギルは早々に一流の復元改修設計家としての地位を確立しました。 それ以来、リオデジャネイロ五輪用のゴルフコース設計など多くの新設コースプロジェクトと並行して、全米オープン開催コースの改修設計も担当。 これまでにウィングド・フット、サザンヒルズ、メリオン、オークモント、オリンピックCなどを手掛けました。
そして★今年の開催コースであるLACC(ノースコース)の改修を担当したのが、誰あろうギルその人なのです。またギル・ハンス以外の設計家では、マスターズ2勝の名手★ベン・クレンショーがビル・クーアと共同で、パインハーストNo.2コースの再改修を行いました。 今後も新たにレストアされたクラシックコースが、全米オープンの開催コースに名を連ねるかもしれません。
▷ 今年の日米のナショナルオープンは新旧ドクターの競演 今回は、全米オープンのコース改修を担った「オープン・ドクター」についてご紹介してきました。 ちなみに今年日本オープンが開催される茨木CC・西コースは、2011年に★リース・ジョーンズが日本のコースでは初めてとなるコース改修を行いました。 グリーンの➊ワングリーン化や➋バンカーの見直しを主とする改修によって、一部では「世界基準のコースになった」との声もあるようです。 ギル・ハンスが改修したLACCと、リース・ジョーンズが改修した茨木CC・西。 今年はくしくも、新旧のオープン・ドクターが改修したコースで日米のナショナルオープンが開催されるわけです。
ぜひこの機会に皆さんも、選手たちのプレーのみならずオープン・ドクターが手を施したコースに目を向けられてはいかがでしょうか。 (出展; とても参考になる面白い記事でした。ありがとうございます<()>。久々に早坂氏の本も読みたくなったなぁ、、 /賢者の人事 ⇒https://blog.people-resource.jp/usopen_doctor/)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー M3:【全米オープン 話 ~タケ小山氏 】
今年で123回を迎える全米オープンゴルフ選手権は、いわゆる四大メジャー大会の中で全英オープンに次いで2番目に古い歴史を誇る。プロはもちろん、アマにも門戸が開かれていて参加者が最も多い大会でもある。
「一次予選は★全米109会場で行われ、最終予選★13会場は日本、英国、カナダなど世界中に及びます。 メジャーでも最大規模で、コース難度に関しては世界一ともいわれています。 主催者の全米ゴルフ協会(USGA)の方針で、★ゴルフ人口を増やすために以前ほど厳しいコース設定ではなくなってきています。 ただ、それでも難しいコースであることは確か。過去大会でもアンダーパーが出ることが少なく、いつも"我慢大会"になります。 誰かが飛び出して大差で逃げるような展開にはなりません。最終日の最終ホールまでもつれるのが常で、プレーオフで決まることも非常に多い。『史上最高の戦い』と称された★2008年大会は、タイガー・ウッズとロッコ・メディエイトが★18ホールのプレーオフでも決着がつかず、サドンデスでウッズがようやく優勝を決めました。後にプレーオフは当日2ホールまでに改正され、あんな死闘は見られませんが、見る者にとっては最後まで目が離せず、面白い大会であることは間違いないです」 (出展; /ホミニス)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー M4:【全米オープン 歴代勝者と参加日本人選手らの成績 今年&過去30年+最高位タイの1年 】
年度 回 優勝者 ※黒丸数字➊は複数勝者の回数 /日本人成績 ★歴代最高位 :会場 ---------------------------------------------------------- 2023第123回 W・クラーク ※メジャー初V 永野竜太郎 20位T 松山英樹 32位T 桂川有人 58位 石川 遼 63位 :ロサンゼルスCCノースC
2022第122回 M.フィッツパトリック 松山英樹 4位
小平 智 予落
星野陸也 予落
中島啓太 予落
出水田大二郎 予落
杉山知靖 予落
香妻陣一朗 予落 :ザ・カントリークラブ
2021第121回 J.ラーム 松山英樹 26T
星野陸也 26T
浅地洋佑 予落
石川 遼 予落 :トーリーパインズGC
2020第120回 B.デシャンボー 松山英樹17T
石川 遼 51T
今平周吾 61
金谷拓実 62T(予落) : ウィングドフットGC
2019第119回 G.ウッドランド 松山英樹 21T
堀川未来夢 112T
今平周吾 129T
市原弘大 148 :ペブルビーチGL
2018第118回 B.ケプカ➋ 松山英樹 16T
小平 智 136T
星野陸也 136T
秋吉翔太 148T :シネコック・ヒルズGC
2017第117回 B.ケプカ ➊ 松山英樹 2T★
小平 智 46T
宮里優作 60T
池田勇太 予落
谷原秀人 予落
今平周吾 予落 :エリンヒルズ
2016第116回 D.ジョンソン 宮里優作 23T
谷原秀人 51T
池田勇太 予落
松山英樹 予落
谷口 徹 予落 :オークモントCC
2015第115回 J.スピース 松山英樹 18T
藤田寛之 予落
川村昌弘 予落
石川 遼 予落
薗田峻輔 予落 :チェンバーズベイ
2014第114回 M.カイマー 松山英樹 35T
谷口 徹 67位
矢野 東 予落
宮里聖志 予落 :パインハーストNo.2
2013第113回 J.ローズ 松山英樹 10T
藤田寛之 予落
塚田好宣 予落
上田諭尉 予落 :メリオンGC
2012第112回 W.シンプソン 藤田寛之 51T
石川 遼 予落
谷口 徹 予落
高山忠洋 予落 :オリンピッククラブ
2011第111回 R.マキロイ 石川 遼 30T
久保谷健一 68T
藤田寛之 予落 :コングレッショナルCC
2010第110回 G.マクドウェル 石川遼 33T
藤田寛之 58T
池田勇太 58T
谷口 徹 63T
矢野 東 予落
横尾 要 予落 :ペブルビーチGL
2009第109回 L.グローバー 矢野 東 27T
今田竜二 予落
横尾 要 予落
甲斐慎太郎 予落 :ベスページ ブラック
2008第108回 T.ウッズ➌ 今田竜二 18位
片山晋呉 予落
谷口 徹 予落 :トーレ・パインズGC
2007第107回 A.カブレラ 今田竜二 予落
片山晋呉 36位
谷口 徹 予落
増田伸洋 予落
横尾 要 予落 :オークモントCC
2006第106回 G.オギルビー 今田竜二 12位
片山晋呉 予落
深堀圭一郎 予落
谷口 徹 予落
高山忠洋 予落 :ウィングドフットGC西コース
2005第105回 M.キャンベル 今田竜二 15位
丸山茂樹 33位
深堀圭一郎 57位
片山晋呉 予落
谷口 徹 予落 :パインハーストリゾート&CC
2004第104回 R.グーセン ➋ 丸山茂樹 4位
田中秀道 36位
伊澤利光 予落 :シネコックヒルズGC
2003第103回 J.フューリック 田中秀道 15位
谷口 徹 予落
丸山茂樹 予落 :オリンピアフィールズCC
2002第102回 T.ウッズ➋ 丸山茂樹 16位
片山晋呉 35位
田中秀道 37位
清田太一郎* 予落
横尾 要 予落
伊澤利光 棄権 :ベスページ ブラックC
2001第101回 R.グーセン➊ 伊澤利光 44位
片山晋呉 予落
谷口 徹 予落 :サザンヒルズCC
2000第100回 T.ウッズ➊ 丸山茂樹 予落
今田竜二 予落 :ペブルビーチGL
1999第99回 P.スチュアート ➋ 横尾 要 57位
尾崎将司 予落 :パインハーストリゾート&CC
1998第98回 L.ジャンセン➋ 尾崎将司 予落 :ザ・オリンピックC
1997第97回 E.エルス➋ 加瀬秀樹 28位
尾崎将司 予落 :コングレッショナルCC
1996第96回 S.ジョーンズ 尾崎将司 67位 :オークランドヒルズCC
1995第95回 C.ペイビン 尾崎将司 28位 :シネコックヒルズGC
1994第94回 E.エルス➊ 尾崎将司 28位
飯合 肇 予落
倉本昌弘 予落 :オークモントCC
1993第93回 L.ジャンセン➊ 尾崎将司 33位
倉本昌弘 予落 :バルタスロールGC
-- 1980第80回 J.ニクラス➍ 青木 功 2位★ :バルタスロールGC
(出展; GDO)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー M5:【ゴルフ四大メジャー 複数覇者の優勝回数 】
マ;マスターズ P;PGA選手権 O;USOPEN 英;全英OP G;グランドスラマー ※重複・漏れご容赦--------------------------------------------------------------- 1 位 18 J・ニクラウス マ6P5米4英3 G 2 位 15 T・ウッズ マ5P4米3英3 G 3 位 11 W・ヘーゲン マ0P5米2英4 4 位T 9 B・ホーガン マ2P2米4英1 G 4 位T 9 G・プレイヤー マ3P2米1英3 G 6 位 8 T・ワトソン マ2P0米1英5 7 位T 7 H・バードン マ0P0米1英6 7 位T 7 B・ジョーンズ マ0P0米4英3 7 位T 7 G・サラゼン マ1P3米2英1 G 7 位T 7 S・スニード マ3P3米0英1 7 位T 7 A・パーマー マ4P0米1英2 12位T 6 L・トレビノ マ0P2米2英2 12位T 6 N・ファルド マ3P0米0英3 12位T 6 F・ミケルソン マ3P2米0英1 15位T 5 S・バレステロス マ2P0米0英3 15位T 5 R・ネルソン マ2P2米1英0 15位T 5 J・H・テイラー マ0P0米0英5 15位T 5 P・トムソン マ0P0米0英5 15位T 5 J・ブレイド マ0P0米0英5 15位T 5 B・ケプカ マ0P3米2英0 21位T 4 W・バーク マ0P0米0英4 21位T 4 T・モリスSr マ0P0米0英4 21位T 4 T・モリスJr マ0P0米0英4 21位T 4 B・ロック マ0P0米0英4 21位T 4 R・フロイド マ1P2米1英0 21位T 4 A・エルス マ0P0米2英2 21位T 4 W・アンダーソン マ0P0米4英0 21位T 4 R・マキロイ マ0P2米1英1 29位T 3 J・デュレー マ3P0米0英0 29位T 3 J・アンダーソン マ0P0米0英3 29位T 3 R・ファーガソン マ0P0米0英3 29位T 3 H・コットン マ0P0米0英3 29位T 3 P・ハリントン マ0P1米0英2 29位T 3 H・アーウィン マ0P0米3英0 29位T 3 L・ネルソン マ0P2米1英0 29位T 3 N・プライス マ0P2米0英1 29位T 3 V・シン マ1P2米0英0 29位T 3 P・スチュワート マ0P1米2英0 29位T 3 J・スピース マ1P0米1英1 40位T 2 W・バークJr マ0P0米0英2 40位T 2 H・H・ヒルトン マ0P0米0英2 40位T 2 G・ノーマン マ0P0米0英2 40位T 2 H・M・オラサバルマ2P0米0英0 40位T 2 B・クレンショー マ2P0米0英0 40位T 2 H・スミス マ2P0米0英0 40位T 2 A・スミス マ0P0米2英0 40位T 2 J・マクダーモットマ0P0米2英0 40位T 2 R・ガルダール マ0P0米2英0 40位T 2 K・ミドルコフ マ0P0米2英0 40位T 2 J・ボロス マ0P0米2英0 40位T 2 B・キャスパー マ0P0米2英0 40位T 2 A・ノース マ0P0米2英0 40位T 2 C・ストレンジ マ0P0米2英0 40位T 2 L・ジャンセン マ0P0米2英0 40位T 2 R・グーセン マ0P0米2英0 40位T 2 D・ストックトン マ0P2米0英0 40位T 2 K・モリカワ マ0P1米0英1 40位T 2 D・ジョンソン マ1P0米1英0 40位T 2 J・ラーム マ1P0米1英0 40位T 2 J・トーマス マ0P0米2英0 40位T 2 Z・ジョンソン マ1P0米0英1 40位T 2 B・ワトソン マ2P0米0英0 40位T 2 M・カイマー マ0P1米1英0 40位T 2 A・カブレラ マ1P0米1英0 (64人 延べ268勝/マ87回+P105回+米123回+英150回=465回中)
※単純に獲っている数だけでランキング。創設年・活躍年などは考慮していない。 少なくともB・ジョーンズは自らがマスターズを創設、全米プロはないが、全米アマ、全英アマの当時の4冠を成し遂げている。 ※同位の順番には意味はない。
ーーー 初版20230620 朝は涼しいのが続いています。。
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