タイ語板  5枚目~!!  

前板20230801の続き 字数制限より

「優柔決断」                   2009年の自著では、インターネットなどによって情報量に優れているため、高校生などでもそのままプロで通用するのではないかと古田自身も思える選手が増えたという。 だが、現在の若手選手は情報過多で★頭でっかちのため経験が足りないと憂慮している。 そんな古田は、➊1つの情報を得て満足するのではなく、➋違う方法も試し、➌人のアドバイスも聞いてみる情報収集を行い、➍決断をスッパリと下す、「優柔決断」を推奨しているその上で大切なのは以下の通りである。

まず➎先入観や好き嫌いで篩にかけず、➊➋本、インターネット、人づてなど何でもよいので、あらゆる手段を使って情報を収集する。次に➏現在の環境に愚痴を言わず、与えられた環境の中でいかに最大限の力を発揮するかを大事にする。➐ブレることを恐れず、進歩することが必要なら➑成功体験に囚われず変化を求めるべきである。野球の技術を手に入れるためには、情報を収集するだけではなく➌実際に体験して自分のものにする。それから15秒から20秒の思考時間で取捨選択できるように、➍頭の中にファイルを作り、情報を体系化する。 プロ野球選手は弱点を克服していなければレギュラーを守れるはずもないため、➒相手に弱点があっても、それが2年前の情報であればその情報を捨てる。そして➓成功イメージを描きすぎることによってそれに囚われて自分の打撃などができなくなるため、描きすぎないようにする。➑周りの空気に流されないことも重要である。➍即決グセを付け、最後は腹をくくることが大切である。

 人物として、趣味は将棋、ゴルフ、読書、映画鑑賞、投資など。 音楽では★U2の大ファンである。★書道は有段者。特に将棋では日本将棋連盟から1995年8月に初段、2004年11月には★三段の免状を受けている。 NHKの連続テレビ小説「ふたりっ子」にも「棋将」のタイトル保持者・毛利元彦役でスポット出演した。 また、妻の中井美穂もNHKの「将棋講座」でアシスタントを務めたことがある。 読書は、遠征での移動中にたまたま本を読んでいたところを、「漫画や週刊誌以外の、ちゃんとした本を読んでいる野球選手は見たことがない」と野村に称賛されたことを機にハマり始めた(古田曰く、「それ(褒められて)以降は漫画や週刊誌を読めなくなった」)。 後に野村自身も、「人間学、社会学を鍛える」ための最善の手法であることや、(特に捕手において)「頭脳を鍛える」という意味もかねて、後進に強く勧めている。

また、野村が晩年に暴露したところによると、野村のヤクルト監督時代には自分で食事の支払いをしたことがないほど★ケチで、選手たちからの人望もそのせいで著しく低かったといい、女性にも手が早かった。 野村は、古田ほど頭が良ければその自覚はないはずはないだろうが、古田はそれを気にしていなかったと感じていた。 現役捕手として成功した一方で監督として成功しなかったのはそうしたところからだろうと、野村は分析している。

従兄にタレントの★大木凡人がいる。 また血縁ではないが、ヤクルト時代の同僚であった城石憲之とは縁戚関係(互いの従兄弟同士が夫婦)にある。 城石の前夫人だった大橋未歩に城石との交際を薦めた。

大学時代には家庭教師などのアルバイトをしていた。4回生のゼミ(テーマは現代日本の中小企業問題)では、そのドラフト直前、当時の担当教授に進路を聞かれた際、「ドラフト待ってます」と答えている。

プロ入り後も愛車は★一貫してトヨタ車を愛用している(ソアラ→アリスト→セルシオ→レクサス・LS)。

プロ入り後につけた背番号「27」については「(憧れていた)梨田さんの背番号8+野村克也監督の背番号19=27。 とても気に入っています」と語っている。自身の引退後は準永久欠番扱いになっていたが、★2022年から中村悠平が引き継ぐこととなり、彼から直接報告を受けるとエールを送った。

1993年には母校立命館大学のイメージキャラクターに選ばれた。その際のキャッチコピーは「ぼくのチームも大したもんだが、ぼくの母校も大したもんだ」。 2008年には、京都の龍安寺にて同学の川口清史総長と語り合う、という内容の同学の広告に再登場した。

1994年にシングルCD「Xeno 〜見知らぬ人〜」を発売している(現在は廃盤)。なお、PVにはレコーディングの模様が使用されている。

1995年に野茂英雄がメジャーに挑戦し始めた際、国際大会で活躍していた野茂の姿を知っていた古田は、日本の各メディアや複数の野球評論家が「無謀」「ワガママ」と批判する中で、野茂の活躍を信じていた。

2001年のリーグ優勝の時、ウイニングボールをキャッチし、高津臣吾を抱擁して喜びを分かち合うはずだったが、石井一久に先を越され、古田はマウンド上で独りになり、日本シリーズでも同様のことが繰り返された。

2005年1月5日、故郷である兵庫県川西市から同市第1号の「名誉市民」に選ばれ、同日の記念講演で「子どもたちが大きな夢を持って育てるような環境づくりに貢献していきたい」と語った。

2005年から、公式ブログを開設。トラックバック数1位を誇る「ブログの女王」眞鍋かをりのブログを意識しており、「打倒眞鍋かをり」を宣言している。 眞鍋がブログを書籍化した際には、古田が宣伝用の帯を担当し、古田が書籍化した際には、眞鍋が宣伝用の帯を書いている。 公式ブログを開設する以前、試験的に「★吉田淳也」という偽名でブログを数回書いていた。写真を載せていたのにも関わらず閲覧数はとても少なかったが、古田の公式ブログで紹介すると一気に閲覧数が増えたという。

眼鏡を掛け、飄々とした風貌からプロ入り当初は「★のび太」と呼ばれ、マスコミにもそのニックネームでしばしば取り上げられた。 2006年・2007年には前述の「F-Project」のデーイベントの企画として、古田自らによるプロデュース企画「メガネDay」が実施された。 当日は眼鏡(伊達眼鏡も可)を着用して入場したファンには景品が進呈された他、場内には古田がこれまで着用していた歴代の眼鏡を展示。さらに試合前・イニング間には「面白メガネコンテスト」などのイベントも実施した。また選手・コーチや球団職員、マスコットも眼鏡を掛けてファンサービスに務め、報道関係者も便乗して眼鏡を掛けた。

2006年11月21日、男性誌GQ JAPANの読者投票により「GQ JAPAN Men of the Year 2006」のスポーツ部門で選出された。

プロ野球の現場退任後、数多くのマラソン大会に出場しているためマラソンランナーとしての知名度も上げている。2009年3月22日、東京マラソンを完走。2010年5月16日、ホノルルトライアスロンを完走。2011年9月18日、アイアンマン70.3 セントレア常滑ジャパンを完走。2011年12月4日には、西オーストラリアでアイアンマンレースを完走した。

引退後はタレントとしても活躍しており、番組の企画から司会までこなす。★「フルタの方程式」や「古田敦也のプロ野球ベストゲーム」「スポーツクロス」など冠番組がある。

2000本安打以上を記録した捕手では自身以外には野村克也と谷繁元信と阿部慎之助がいるが、野村と谷繁は現役引退後に専任監督を務めたことがある。 一方捕手出身の2000本安打以上を記録した監督経験者の中では古田のみ専任監督の経験がない。

年度別打撃成績

















































O
P
S
1990 ヤクルト 106 334 280 32 70 12 1 3 93 26 1 1 3 4 43 3 4 44 11 .250 .353 .332 .686
1991 128 485 412 58 140 23 5 11 206 50 4 5 4 3 62 7 4 59 10 .340 .428 .500 .928
1992 131 568 474 87 150 27 3 30 273 86 3 2 1 4 78 10 11 87 12 .316 .422 .576 .997
1993 132 595 522 90 161 29 0 17 241 75 11 4 9 2 59 0 3 83 15 .308 .381 .462 .842
1994 76 287 260 24 62 9 0 3 80 19 3 0 1 3 20 2 3 40 11 .238 .297 .308 .605
1995 130 551 487 88 143 18 1 21 226 76 6 0 5 7 46 0 6 51 24 .294 .357 .464 .821
1996 119 492 437 57 112 24 2 11 173 72 5 1 4 1 46 1 4 68 22 .256 .332 .396 .728
1997 137 598 509 74 164 32 2 9 227 86 9 4 3 4 69 4 13 64 11 .322 .413 .446 .859
1998 132 552 491 58 135 19 1 9 183 63 5 4 3 4 46 4 8 62 14 .275 .344 .373 .717
1999 128 548 483 79 146 26 2 13 215 71 10 3 4 7 51 4 3 41 8 .302 .368 .445 .813
2000 134 562 496 65 138 31 0 14 211 64 5 5 6 4 45 5 11 54 15 .278 .349 .425 .774
2001 121 503 441 59 143 23 0 15 211 66 1 0 3 7 43 2 9 41 17 .324 .390 .478 .868
2002 120 458 420 49 126 24 1 9 179 60 3 0 3 1 28 3 6 47 15 .300 .352 .426 .778
2003 139 576 509 69 146 27 1 23 244 75 2 0 4 3 49 6 11 77 14 .287 .360 .479 .840
2004 133 532 483 72 148 23 0 24 243 79 1 2 0 3 36 2 10 66 11 .306 .365 .503 .868
2005 96 357 329 29 85 15 0 5 115 33 1 0 1 3 19 0 5 54 8 .258 .306 .350 .656
2006 36 98 90 11 22 5 0 0 27 8 0 0 1 0 7 2 0 13 4 .244 .299 .300 .599
2007 10 19 18 2 6 1 0 0 7 0 0 0 0 0 1 1 0 0 1 .333 .368 .389 .757
通算:18年 2008 8115 7141 1003 2097 368 19 217 3154 1009 70 31 55 60 748 56 111 951 223 .294 .367 .442 .808
  • 各年度の太字はリーグ最高。

年度別守備成績



捕手












1990 ヤクルト 106 55 26 29 .527 5
1991 127 83 35 48 .578 12
1992 130 60 31 29 .483 2
1993 132 45 16 29 .644 7
1994 76 24 12 12 .500 2
1995 130 67 35 32 .478 6
1996 118 60 36 24 .400 7
1997 137 61 33 28 .459 7
1998 132 68 38 30 .441 10
1999 127 59 32 27 .458 13
2000 134 73 27 46 .630 7
2001 116 43 22 21 .488 2
2002 113 52 30 22 .423 8
2003 139 71 44 27 .380 5
2004 130 58 43 15 .259 8
2005 87 32 24 8 .250 1
2006 21 10 9 1 .100 1
2007 6 5 5 0 .000 1
通算 1959 926 498 428 .462 104
  • 各年度の太字はリーグ最高(試合数は捕手として全試合出場)
  • 赤太字は日本記録。
  • 太字年ゴールデングラブ賞受賞。

年度別監督成績




























2006 ヤクルト 3位 146 70 73 3 .490 18 161 .269 3.91 41歳
2007 6位 144 60 84 0 .417 20.5 139 .269 4.07 42歳
通算:2年 290 130 157 3 .448 Aクラス1回、Bクラス1回

タイトル

    首位打者:1回(1991年)
    最多安打:1回(1993年)

表彰

    最優秀選手:2回(1993年、1997年)
    ベストナイン:9回(1991年 - 1993年、1995年、1997年、1999年 - 2001年、2004年) ※捕手部門で9度受賞はセ・リーグ最多タイ(他に阿部慎之助)
    ゴールデングラブ賞:10回(1990年 - 1993年、1995年、1997年、1999年 - 2001年、2004年) ※捕手部門で10度受賞は歴代2位、セ・リーグ最多。4年連続はセ・リーグ捕手最長タイ(他に大矢明彦)
        三井ゴールデン・グラブ レジェンズ(捕手部門)
    セ・リーグ連盟特別表彰:2回(会長特別賞:2003年、特別功労賞:2007年) ※2003年は1試合4本塁打のプロ野球タイ記録を受けて
    野球殿堂競技者表彰(2015年)
    正力松太郎賞:1回(1997年)※選手として表彰
    日本シリーズMVP:2回(1997年、2001年)
    オールスターゲームMVP:2回(1991年 第1戦、1992年 第2戦)
    月間MVP:4回(1991年5月、1993年8月、1997年5月、1997年9月)
    最優秀JCB・MEP賞:1回(1993年)
    最優秀バッテリー賞:6回 ※6回選出は歴代最多タイ記録
        1991年 投手:西村龍次
        1992年 投手:岡林洋一
        1995年 投手:テリー・ブロス
        1997年 投手:田畑一也
        2000年 投手:五十嵐亮太
        2001年 投手:藤井秀悟
    最優秀バッテリー賞特別賞:1回(1993年)
    JA全農Go・Go賞:2回(強肩賞:1993年9月、最多二・三塁打賞:2000年8月)
    報知プロスポーツ大賞:3回(1992年、1997年、2001年)
    日本プロスポーツ大賞殊勲賞:3回(1993年、1997年、2001年)
    毎日スポーツ人賞
        ファン賞(1997年)
        文化賞(2004年)
    ゴールデン・アロー賞:1回(スポーツ賞:2004年)
    兵庫県スポーツ優秀選手特別賞:1回(2005年)※2,000本安打達成を受けて

記録
松山坊っちゃんスタジアムにある、古田敦也2000本安打達成記念碑

初記録

    初出場:1990年4月11日、対中日ドラゴンズ2回戦(明治神宮野球場)、6回表に秦真司に代わり捕手として出場
    初先発出場:1990年4月28日、対読売ジャイアンツ3回戦(明治神宮野球場)、8番・捕手として出場
    初安打・初打点:1990年4月30日、対読売ジャイアンツ5回戦(明治神宮野球場)、2回裏に木田優夫から左中間へ2点適時二塁打
    初本塁打:1990年6月6日、対広島東洋カープ8回戦(広島市民球場)、6回表に北別府学から3ラン

節目の記録

    100本塁打:1997年5月7日、対読売ジャイアンツ4回戦(明治神宮野球場)、7回裏に入来祐作から左越ソロ ※史上190人目
    1000安打:1997年10月3日、対広島東洋カープ24回戦(広島市民球場)、3回表に黒田博樹から中前適時打 ※史上186人目
    1000試合出場:1998年6月2日、対中日ドラゴンズ9回戦(ナゴヤドーム)、4番・捕手として先発出場 ※史上343人目
    150本塁打:2001年7月10日、対読売ジャイアンツ13回戦(東京ドーム)、6回表にダレル・メイから左越逆転2ラン ※史上118人目
    1500安打:2001年7月11日、対読売ジャイアンツ14回戦(東京ドーム)、1回表に上原浩治から右越ソロ ※史上82人目
    1500試合出場:2002年5月4日、対中日ドラゴンズ6回戦(明治神宮野球場)、5番・捕手として先発出場 ※史上135人目
    300二塁打:2003年4月4日、対阪神タイガース1回戦(大阪ドーム)、9回表にジェフ・ウィリアムスから右中間二塁打 ※史上40人目
    200本塁打:2004年6月29日、対横浜ベイスターズ14回戦(宮城球場)、9回表に土居龍太郎から左越場外ソロ ※史上80人目
    3000塁打:2004年9月25日、対広島東洋カープ27回戦(広島市民球場)、6回表に小山田保裕から左中間へソロ ※史上38人目
    350二塁打:2005年4月19日、対横浜ベイスターズ3回戦(明治神宮野球場)、3回裏に吉川輝昭から左翼線二塁打 ※史上24人目
    2000安打:2005年4月24日、対広島東洋カープ5回戦(坊っちゃんスタジアム)、6回裏に大竹寛から三塁強襲二塁打 ※史上32人目(捕手としては野村克也に次いで歴代2人目、大学卒・社会人野球出身選手として初)
    1000打点:2005年10月5日、対中日ドラゴンズ21回戦(明治神宮野球場)、8回裏に真中満の代打として出場、高橋聡文から左前適時打 ※史上27人目(大学卒・社会人野球出身選手として初)
    1000得点:2006年6月4日、対オリックス・バファローズ6回戦(明治神宮野球場)、7回裏に中前安打で出塁に後にアダム・リグスの左越3ランで記録 ※史上33人目
    2000試合出場:2007年4月19日、対横浜ベイスターズ3回戦(明治神宮野球場)、8番・捕手として先発出場 ※史上37人目(捕手登録の選手史上5人目、大学卒・社会人出身選手初。なお、古田はこの試合で退場処分を受けている)

その他の記録

    シーズン盗塁阻止率.644:1993年 ※日本記録
    4打数連続本塁打:2003年6月28日 ※史上17人目18度目、歴代2位タイ
    1試合4本塁打:同上 ※史上最多タイ
    捕手ゲーム19刺殺:2005年4月6日 ※日本タイ記録
    オールスターゲーム出場:17回(1990年 - 2006年)※現役最終年の2007年はコーチとして出場

背番号

    27(1990年 - 2007年)(準永久欠番)

著書
単著

    『古田ののびのびID野球』(学研、1993年)
    『古田のブログ』(アスキー、2005年)
    『フルタの方程式』(朝日新聞出版、2009年)
    『「優柔決断」のすすめ』<PHP新書634>(PHP研究所、2009年)
    『フルタの方程式 バッターズ・バイブル』(朝日新聞出版、2010年)
    『古田式・ワンランク上のプロ野球観戦術』<朝日新書506>(朝日新聞出版、2015年)
    『うまくいかないときの心理術』<PHP新書1041>(PHP研究所、2016年)

共著

    (周防正行)『古田式』(太田出版、2001年)
    (谷川浩司)『心を読み、かけひきに勝つ思考法』(PHP研究所、2002年) ※2004年に『「勝負脳」を鍛える』と改題し文庫化
    (岡田武史、平尾誠二)『勝利のチームメイク』(日本経済新聞社、2003年) ※2008年に文庫化
    (日本プロ野球選手会共編)『決意!合併・1リーグ制no!宣言』(双葉社、2004年)
    (鈴木寛)『子育てキャッチボール』(徳間書店、2007年)
    (NHK取材班)『ベストゲーム プロ野球最高の名勝負』(ヨシモトブックス、2017年)

関連情報
野球以外での受賞
ファッション関連

    ベストドレッサー賞:1回(スポーツ・芸能部門:2005年)

その他

    川西市民栄誉賞(1996年)
    川西市名誉市民(2005年)
    日本PR大賞(2004年)
    GQ MEN OF THE YEAR 2006(スポーツ部門:2006年)

出演 ※中略   (Wiki)


 

 

ーーー                             初版20230801

ー時節項は前板ご参照、、

ー                              (画像・1) 谷繁氏との神回。 考え方ややり方の違いが判って本当に面白かった回だった、、  /フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】 - YouTube

 

(画像・2) 最近ではこの高橋慶彦氏、ロッテ・西村、広島・正田氏との回も面白かった、、 高橋の自虐ネタが、、(笑)                     今はどのYoutubeもコラボ企画やっていますが、このサイト「フルタの方程式」は古田氏のお人柄なんだろうけれど、出演する方々が実に素で話されているのがイイんですね。。  /同上 

 

(画像・3) 広澤と金本の神回。。 広沢氏の名大名物監督ネタは最早名人芸かと、、(笑)  /同上  

 

(画像・4) 同級生の長島一茂と。 同氏は父茂雄ネタを絡めてくるから面白い。 江川氏Youtube「たかされ」でも出演していて、「ボクは聞いていた」「ネットで嘘をいってはいけません」というのは名言だったなぁ、、(笑)  /同上

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