とーちゃんがお前に伝えようとしていることを、
「綺麗事」や「戯言」と思う人たちもいるだろう。
そう、いずれお前もそう思う時期が来るだろう。
それも「心」の選択なんだ。
でも、社会や文化や環境への最適適応のための選択としたら
お前の「心」は不自由の中で仕組まれた自由に
いつまでも気づかず悩み続けるだろう。
かといって、適応が悪いわけではない。
そう、本当の適応とは、移ろいやすく案外単純で無根拠で正直な
「心」が受け入れたものが最適な適応なんだ。
忘れないでいて欲しい。
でも、適応の瞬間はほんの一瞬だ。
すれ違う時に触れる風のようなものだ。
だって、移ろいゆく「心」は常に何かを感じ取っているから
お前はその状態を維持することはできない。
それが「心」の自由だ。
だから、出会う環境と今を
触れるような感覚で受け入れなさい。
それに適さないなら、自分を認め、自分自身を
「愛」しなさい。
相手が悪いと思ってはいけません。
「愛」を持っていない人は決して「いません!」
疑うから不安になり自身を疑うのです。
自身を「愛」せないことは
お前が出会ってきた環境たちを馬鹿にしていることと同じです。
出会いがあり、今のお前の「心」があるのです。
まだまだ、出会いは沢山あります。
相手が無言でも、それを感じた時が出会いです。
自身を「愛」し、無言と付き合いなさい。
無言すらも「愛」しなさい。
でも愛するとは、
好きになること、恋することとは
違うんだよ。
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