峰中(ブチュウ)とは・・・羽黒修験においては四季の峰のうち最も尊重される秋峰の峰中修行のことを指して言う。秋の峰とも呼ばれる。
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今年は峰中直前になって羽黒へ行きたくない気持ちでいっぱいだった。
こんな思いになるのは初めてのこと。毎年楽しみに心待ちにしているのに。
さらに、峰中前には決まって仕事がゴタゴタし始めて本当に休み取れるの?という状況になってくる。
仕事のこと、山のこと、生活のこと、様々な準備のこと・・・そして色んな思いで頭の中は一杯だった。
幼稚園に行きたくない幼稚園児はお腹がいたいとか、ほんとにジタバタしていると熱が出てきたりする。
最近は水をかぶっても鼻水が出ないどころか、ますますカゼを引かなくなったりするので困ってしまう。
小学生になると地震が起きれば勉強しなくていいとか、明日学校へ行くと校舎の跡形も無くなっていてほしいとか妄想の世界の住人となる。
そして自分は出来ればこの期間は何処か南の島に飛んでしまってリゾートでゆっくりと過ごすのもいいなとふと思ったりもする。
完全に現実逃避。
迷いながらも、会社には休みますと言って夏休み休暇を取る予定にもしているので後には引けない。
良く知る友人は、仕舞いには、シュギョウ頑張って行って来な、とも言ってくれる。
行きたくない。
ただそんな気持ちで一杯だった。
しかし、峰中はみんな足取り軽い人だけではない。
こうして行こうか、行くまいか?考えながらいつしか羽黒へ帰ってくる人間も居る。
自分が実際に生まれた場所ではないけれど、ある意味本当に生まれてきた場所。
秋峰参加の修行者たちは1年に1度、里帰りする。
修行という過程を経ながら、大自然という母の胎内からまた新しく生まれ変わって誕生する。
今、自分に足らないものは何だろう。
羽黒へとすでに足だけは向かっていたが、その移動の途中も自問自答し続ける。
あっと言う間の9日間だった。
結果、今年の峰中も各地から来られた修行者の多大なるご協力があり無事満行することができました。
いつも思うのですが、一人ではこの峰中は成り立たない。
1人でも多くの方が参加して峰中を盛り上げ、それぞれに自分の得意なものを活かしながら積み上げされて形作られる。
今年の峰中において法螺の練習など出来ればと思ったが、時間的な余裕なく、すっかり出来なかった。
さて、今回峰中が始まる前に駅に迎えに行った行者さん、久しぶりにお会いする姿はとても痩せておられた。
「ワシどっこも悪いところはないんやけどな。医者が言うには治らん病気らしいんや」
良く聞けば、途中退院してきているとのこと。また峰中が終われば入院されるのだという。移動されるのも呼吸もとても大変そうだった。
自分ら若いのが動くので無理しないでバンバンあれせーこれせー言ってください、とお伝えしました。
普通の人は途中退院してまでしてなんでこんな東北の隅っこでの修行に参加するのか?と思うかもしれない。
でもこの行者さんにとって大切なのはこの峰中に帰ってきてそして皆と行をすること、そこに意味があるのだと思う。
里では自身の状況と向き合うだけになってしまう、しかしきっとこの峰中に来るということだけで心の奥底が少し軽くなったような気がするのだと思う。
謙虚に行者らしい気持ちをいつも笑顔で発信し続ける行者さん。
山に抱かれる、大きな存在に包み込まれる。そんな柔らかな気持ちになる。
ここへ来ないではいられないそんな気持ちだったのだろうと思う。
峰中最後に里へ下りてきて場柴燈を飛び越え黄金堂で勤行を行う。
お経を読みながら、今回の峰中が走馬灯のように駆け抜ける。
熱いものが込み上げてくる。
色んな人の思いを感じ取りながら、法螺を立てる。
心の奥底から包み込むように引き上げる音を意識しながら・・・。
お経を読みながらいつの間にやら涙が頬を伝う。
恥ずかしいので周りの人にさとられない様、観音経を読み続けた。
最終日の宴会は、アルコールとだだちゃ豆を摂取しつつワイワイやっていたけれど、途中から余りの眠気に今回の出峰の迎えにわざわざ来てくれた友人たちと何の話をしたのかアヤシイ状況で布団にそのまま吸い込まれてしまった。
ゴメンナサイ。
あんこ玉も買ったはずだけどどっかへいってしまってた。
今年も峰中が終わった。
ほんと行って良かった。
感謝。
この言葉以外に思い浮かばなかった。
ありがとうございました。
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今年は峰中直前になって羽黒へ行きたくない気持ちでいっぱいだった。
こんな思いになるのは初めてのこと。毎年楽しみに心待ちにしているのに。
さらに、峰中前には決まって仕事がゴタゴタし始めて本当に休み取れるの?という状況になってくる。
仕事のこと、山のこと、生活のこと、様々な準備のこと・・・そして色んな思いで頭の中は一杯だった。
幼稚園に行きたくない幼稚園児はお腹がいたいとか、ほんとにジタバタしていると熱が出てきたりする。
最近は水をかぶっても鼻水が出ないどころか、ますますカゼを引かなくなったりするので困ってしまう。
小学生になると地震が起きれば勉強しなくていいとか、明日学校へ行くと校舎の跡形も無くなっていてほしいとか妄想の世界の住人となる。
そして自分は出来ればこの期間は何処か南の島に飛んでしまってリゾートでゆっくりと過ごすのもいいなとふと思ったりもする。
完全に現実逃避。
迷いながらも、会社には休みますと言って夏休み休暇を取る予定にもしているので後には引けない。
良く知る友人は、仕舞いには、シュギョウ頑張って行って来な、とも言ってくれる。
行きたくない。
ただそんな気持ちで一杯だった。
しかし、峰中はみんな足取り軽い人だけではない。
こうして行こうか、行くまいか?考えながらいつしか羽黒へ帰ってくる人間も居る。
自分が実際に生まれた場所ではないけれど、ある意味本当に生まれてきた場所。
秋峰参加の修行者たちは1年に1度、里帰りする。
修行という過程を経ながら、大自然という母の胎内からまた新しく生まれ変わって誕生する。
今、自分に足らないものは何だろう。
羽黒へとすでに足だけは向かっていたが、その移動の途中も自問自答し続ける。
あっと言う間の9日間だった。
結果、今年の峰中も各地から来られた修行者の多大なるご協力があり無事満行することができました。
いつも思うのですが、一人ではこの峰中は成り立たない。
1人でも多くの方が参加して峰中を盛り上げ、それぞれに自分の得意なものを活かしながら積み上げされて形作られる。
今年の峰中において法螺の練習など出来ればと思ったが、時間的な余裕なく、すっかり出来なかった。
さて、今回峰中が始まる前に駅に迎えに行った行者さん、久しぶりにお会いする姿はとても痩せておられた。
「ワシどっこも悪いところはないんやけどな。医者が言うには治らん病気らしいんや」
良く聞けば、途中退院してきているとのこと。また峰中が終われば入院されるのだという。移動されるのも呼吸もとても大変そうだった。
自分ら若いのが動くので無理しないでバンバンあれせーこれせー言ってください、とお伝えしました。
普通の人は途中退院してまでしてなんでこんな東北の隅っこでの修行に参加するのか?と思うかもしれない。
でもこの行者さんにとって大切なのはこの峰中に帰ってきてそして皆と行をすること、そこに意味があるのだと思う。
里では自身の状況と向き合うだけになってしまう、しかしきっとこの峰中に来るということだけで心の奥底が少し軽くなったような気がするのだと思う。
謙虚に行者らしい気持ちをいつも笑顔で発信し続ける行者さん。
山に抱かれる、大きな存在に包み込まれる。そんな柔らかな気持ちになる。
ここへ来ないではいられないそんな気持ちだったのだろうと思う。
峰中最後に里へ下りてきて場柴燈を飛び越え黄金堂で勤行を行う。
お経を読みながら、今回の峰中が走馬灯のように駆け抜ける。
熱いものが込み上げてくる。
色んな人の思いを感じ取りながら、法螺を立てる。
心の奥底から包み込むように引き上げる音を意識しながら・・・。
お経を読みながらいつの間にやら涙が頬を伝う。
恥ずかしいので周りの人にさとられない様、観音経を読み続けた。
最終日の宴会は、アルコールとだだちゃ豆を摂取しつつワイワイやっていたけれど、途中から余りの眠気に今回の出峰の迎えにわざわざ来てくれた友人たちと何の話をしたのかアヤシイ状況で布団にそのまま吸い込まれてしまった。
ゴメンナサイ。
あんこ玉も買ったはずだけどどっかへいってしまってた。
今年も峰中が終わった。
ほんと行って良かった。
感謝。
この言葉以外に思い浮かばなかった。
ありがとうございました。
一度だけ貴方は修行しなければいけないんだと母親に言われて、「あんたは人が死に掛けるのをどう思うんだよ?」と聞いたことがあるよ。
それぐらい怖いんだよね。
行きたくなる事も凄く大事な気がして行った言葉なのね。
でも、スタートラインにはいってしまうと残念ながら特攻隊のような命の引き換えの旅をまんまと引き受けてしまうのよ。
そんな仲間と笑いながら往く道中は・・・楽しくて仕方ないわけw
で、貴方の顔みたらさ。笑うわけ。ウケルwww。
で、また、飲みたいです。どうでもいい話で。
こだわりは捨てて山へ。
文章なんか必要の無いあそこへ。
往きたいです。
参加のみなさんと十分なホラ練ができなかったのは残念でした。
でも、個人的には今回右から左からジャブボディフックアッパーと法螺試練の嵐でした。無理やり切り抜けた感じですが。
またぜひ飲みましょう
当方、貴君が文中に書いていた南の島に行っておりました。が、のんびりリゾートではなく、疾風怒濤の慰霊巡拝にて、装束に汗のシミが出てしまうほどでした。連続して行っていても時折悩むものですから、数年間離れていると、もっと悩みもまた、深くなろうというものです。いずれにしろ、仕事も大きく変わったことですので、峰中に入れるような状況の再構築からはじめなければなりません。
といいつつも、今週末からソロモン諸島に出張に行ってきます。
里の行者となりつつある宝鏡院 合掌
ソロモン諸島、またいいとこですね~。
先日峰中後へもう一度羽黒へ行き、追い込まれ帰って来ました。
峰中はいつでも帰ってこれる場所づくりしておりますので。
これから本格的な秋ですが、南方からまた戻られましたら麦ダラでも。