三山雅集2巻 国立国会図書館デジタルコレクションより
三山雅集 【三山上 廿一】観音堂
十一面観音なりこの施主は下総の国香取郡福田村伊能氏何某というものにして年頃三の御山を信じけるに さりし頃関東疫癘の妖コツ(字:くさかんむりに嬖)有けるにこの者の家にして一日二日の内に牛三疋おちけり 主いとかなしみ思ひけれどもすべき力なく哀れに思いけるに或夜かの死たる牛あるじの夢に見えけるは をのれら三ツながらかく疫気に取れぬることさこそ哀に思しけん しかしこの後一家の内すべてひとりも疫神の難はおはすまじ それがゆゑにわれわれかくなれるな也 いよいよ三の山の霊威を貴みたまへと見えて夢さめぬ あるじ奇異の感を催ほしますます渇仰の心浅からず此の観音を奉納し丹誠日を追て厚し 神威是に限らずといへども近き年の事かつ此の堂の施主なれば爰に記す しかるに伊能氏さいつごろ身まかりけるに孝子亡霊の追福とて供田おほく寄付せられけり
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江戸中期に出版された版本「三山雅集」のなかで、手向に在った観音堂での牛にまつわる話が記載されている。
現在においても出羽三山信仰の厚い下総国現在の千葉県野田市のあたりの篤信家の話として、
関東に疫病が流行ったとき飼っていた牛三匹が次々と死んでしまった。あるじが哀れ悲しんでいるとある夜に夢に死んだ牛が出てきて「私たちが死んだことをそんなに悲しく思わないでもらいたい、この後一家は疫病神にかかることはありません、私たちはその身代わりになったのです」といって夢から覚めた。
主はこんな不思議なこともあるものだと日ごろ信仰している「三つの御山=出羽三山」をさらに深くお慕いし観音様を奉納されたという話である。
牛は湯殿山大権現そして出羽三山のお使いとして当時から広く知られていたものと思われる。
この話の中での三匹の牛とはいったい何を表していたのだろうか、おそらくは三つの御山、出羽三山の神々のおつかいであると考えられるのではないだろうか。
そして一家にとって大切な家畜である牛が疫病の身代わりとなって一家をお守りしてくれたということである。
牛が三匹も死んでしまうという一家にとってなんとも悲しい話であるが、その後の展開は何とも摩訶不思議な日頃から信仰をもって生活している方であるからこそ繋がってくる話である。
出羽三山では火防、火難除けとして一般的には知られている牛札があるが、こうした逸話を考えれば家門に貼れば疫病、コロナを防ぎ家内安全となる霊験もあってしかるべきである。
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