江戸東京博物館所蔵 於竹大日如来の伝
一説により5月19日は於竹(お竹)さんが亡くなった日とされる日であり、東京近郊の於竹大日如来をお祀りされてる寺院で法要がなされている。
しかし、幕末に羽黒山より出開帳をした江戸期の縁起には5月19日という日はなく、そのほとんどが3月21日と記されている。
その縁起も亡くなったではなく、昇天したという記載もある。
赤羽善徳寺にある於竹さんの墓と伝わる如意輪観音の彫られた石碑には5月19日と彫ってあり、また過去帳には5月19日と記載されているという。
とにかく謎に包まれている。
現在東京の善徳寺、心光院、大安楽寺ともに5月19日を目安として縁日法要が営まれている。
そして、羽黒山の於竹大日堂では今も3月21日を命日としてささやかな法要がされている。
どちらが本当と白黒つける必要もなく、謎は謎のままその於竹さんの信仰をそっと見守りたい。
かつて板橋区立郷土資料館で開催された「江戸の旅と流行仏-お竹大日と出羽三山-」に一通りの史料や考察がまとまっている。
善徳寺にある於竹さんの墓石を見ていて思ったのが、如意輪観音が彫られたものであるということ。
江戸期の女性のお墓としては時折見られるものであるが・・・
北総の石仏を調査されている方のブログ
庚申塔を調査されている方のブログ
こちらのブログを拝見させてもらっていると、
千葉や葛西、そして埼玉近郊に於竹さんのお墓に非常に似た十九夜講、女人講中の石仏が見られる。
於竹さんは女性の信仰を集めていたので、もしかして19日という日にちが重要なのではないか?
関東で十九夜講の日、女人講中の日として集まる日に於竹さんのお墓が建立されたものとして考えられるのではないか・・・。
ふと考える夜更けの時間。
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