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今日から始まる熊本でのU-22のトレーニングに昨日福元は移動した。その福元に対する期待をこめてニッカンスポーツが特集記事を載せていたので掲載しておく。
少し長文だが全文掲載する。
http://kyusyu.nikkansports.com/soccer/jleague/trinita/p-kt-tp0-20070218-158213.html
■3つの成功誓う大分福元/スポッ人ライト
福元洋平 大分トリニータDF
18日からU-22(22歳以下)日本代表合宿(熊本)に参加する大分DF福元洋平(19)が、今シーズン3つの成功を収める。飛び級で2次予選に招集された北京五輪切符の獲得。7月にカナダで行われるU-20(20歳以下)W杯での活躍。そして、ジュニアユースからすごす大分でのレギュラー定着。世代を越えて飛躍が期待される。
福元 昨年は開幕(正確には2試合目)から試合に出れていたけど、途中から出れなくて悔しい思いをした。(今年は)自分が100%の力を出し切らないと結果はついてこないと思っている。
苦い経験が、福元を変えた。昨年4月の清水戦。FWチョ・ジェジンにあしらわれ、失点を繰り返した。後半38分には交代を命じられ、ロッカールームで泣き崩れた。大分ユースに所属していた高校3年の9月、就任直後のシャムスカ監督(41)に抜てきされ、クラブ初の高校生Jリーガーとしてデビューした新星にとって、初めてと言ってもいい大きなつまずきだった。
福元 コンディションは悪くはなかったが、自分のミスから2点は取られた。変な自信が過信になって、調子にのっていたんでしょうね。プロの世界の厳しさを思い知らされ、かなりへこみました。
フランス2部のグルノーブルでデビューを飾ったMF梅崎、昨年日本代表入りしたGK西川と同じ大分ユース出身。だが、ジュニアユースから大分のユニホームに袖を通して成長したJリーガーは、福元が初めてだ。中学2年でU-14(14歳以下)日本選抜入りしてからは、各世代の代表を歴任。昨年U-20(20歳以下)W杯出場を決めたアジアユースでは主将も務めたクラブ期待の有望株だ。
福元 エリート? そんなことはない。(高校生デビューで)すごくいいスタートを切れたと思っているが、2年前は(梅崎)司より先を行っていたけど、逆転されてしまった。司くんは地道にやってきていた。もっとうまくなりたい。
小学時代までは攻撃選手だったが、ジュニアユースでDFに転向。当時「退屈で仕方なかった」というDFも8年目を迎えた。プロの厳しさを教えられた清水戦後、福元を支えたのがDF三木主将の励ましと、中学時代に指導を受けた吉武博文監督(日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ)からの言葉だった。
福元 人が考えることは3つのこと。過去か、未来か、今か。吉武コーチから言われた「今、この一瞬を生きる」という言葉が、好きな言葉です。
心の過信が隙を生んだ清水戦の屈辱は、もう味わいたくない。目の前の試合に最後まで隙を見せずに、集中する姿勢を植えつけた。シーズン後半はチームで出番を失ったが、主将としてアジアユース準V。今年のU-20W杯出場を決めた。
福元 試合に出れなくても見ていて(評価して)くれる人がいた。モヤモヤしたものがなくなった。本当にアジアユースがあってよかった。
飛び級で参加するU-22(22歳以下)代表では、最終メンバーに残れる保障はない。もちろん、プロ2年目でレギュラー奪取を狙う大分でも同じだ。
福元 自分はチームで一番下。上がっていくしかない。(U-22に)選んでもらって、いろんなことを経験できるのはありがたい。
今年から退寮し、髪の毛も短く刈り込んだ。「自分の気持ちを上げていっています」。アゲアゲムードに乗って、西川、梅崎に続くユース出身の日本代表入りへの階段を登り始める。
◆福元洋平(ふくもと・ようへい)1987年(昭62)4月12日、大分市生まれ。神奈川県川崎市に移住し、東住吉小2年から本格的にサッカーを始める。小6のとき大分に戻り、明野中に進学した中1から、大分ジュニアユースでプレーした。中2のときに初めて選出されたU-14日本選抜を皮切りに、各世代で代表歴がある。U-18に所属して大分高3年のとき、Jリーグデビューを飾る。J1通算21試合出場。181センチ、68キロ。
[2007年2月18日8時51分 紙面から]
注)181センチ、68キロは昨年計測分なので今年は更に一回り大きくなったようである。公式にはまだアナウンスがない。
少し長文だが全文掲載する。
http://kyusyu.nikkansports.com/soccer/jleague/trinita/p-kt-tp0-20070218-158213.html
■3つの成功誓う大分福元/スポッ人ライト
福元洋平 大分トリニータDF
18日からU-22(22歳以下)日本代表合宿(熊本)に参加する大分DF福元洋平(19)が、今シーズン3つの成功を収める。飛び級で2次予選に招集された北京五輪切符の獲得。7月にカナダで行われるU-20(20歳以下)W杯での活躍。そして、ジュニアユースからすごす大分でのレギュラー定着。世代を越えて飛躍が期待される。
福元 昨年は開幕(正確には2試合目)から試合に出れていたけど、途中から出れなくて悔しい思いをした。(今年は)自分が100%の力を出し切らないと結果はついてこないと思っている。
苦い経験が、福元を変えた。昨年4月の清水戦。FWチョ・ジェジンにあしらわれ、失点を繰り返した。後半38分には交代を命じられ、ロッカールームで泣き崩れた。大分ユースに所属していた高校3年の9月、就任直後のシャムスカ監督(41)に抜てきされ、クラブ初の高校生Jリーガーとしてデビューした新星にとって、初めてと言ってもいい大きなつまずきだった。
福元 コンディションは悪くはなかったが、自分のミスから2点は取られた。変な自信が過信になって、調子にのっていたんでしょうね。プロの世界の厳しさを思い知らされ、かなりへこみました。
フランス2部のグルノーブルでデビューを飾ったMF梅崎、昨年日本代表入りしたGK西川と同じ大分ユース出身。だが、ジュニアユースから大分のユニホームに袖を通して成長したJリーガーは、福元が初めてだ。中学2年でU-14(14歳以下)日本選抜入りしてからは、各世代の代表を歴任。昨年U-20(20歳以下)W杯出場を決めたアジアユースでは主将も務めたクラブ期待の有望株だ。
福元 エリート? そんなことはない。(高校生デビューで)すごくいいスタートを切れたと思っているが、2年前は(梅崎)司より先を行っていたけど、逆転されてしまった。司くんは地道にやってきていた。もっとうまくなりたい。
小学時代までは攻撃選手だったが、ジュニアユースでDFに転向。当時「退屈で仕方なかった」というDFも8年目を迎えた。プロの厳しさを教えられた清水戦後、福元を支えたのがDF三木主将の励ましと、中学時代に指導を受けた吉武博文監督(日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ)からの言葉だった。
福元 人が考えることは3つのこと。過去か、未来か、今か。吉武コーチから言われた「今、この一瞬を生きる」という言葉が、好きな言葉です。
心の過信が隙を生んだ清水戦の屈辱は、もう味わいたくない。目の前の試合に最後まで隙を見せずに、集中する姿勢を植えつけた。シーズン後半はチームで出番を失ったが、主将としてアジアユース準V。今年のU-20W杯出場を決めた。
福元 試合に出れなくても見ていて(評価して)くれる人がいた。モヤモヤしたものがなくなった。本当にアジアユースがあってよかった。
飛び級で参加するU-22(22歳以下)代表では、最終メンバーに残れる保障はない。もちろん、プロ2年目でレギュラー奪取を狙う大分でも同じだ。
福元 自分はチームで一番下。上がっていくしかない。(U-22に)選んでもらって、いろんなことを経験できるのはありがたい。
今年から退寮し、髪の毛も短く刈り込んだ。「自分の気持ちを上げていっています」。アゲアゲムードに乗って、西川、梅崎に続くユース出身の日本代表入りへの階段を登り始める。
◆福元洋平(ふくもと・ようへい)1987年(昭62)4月12日、大分市生まれ。神奈川県川崎市に移住し、東住吉小2年から本格的にサッカーを始める。小6のとき大分に戻り、明野中に進学した中1から、大分ジュニアユースでプレーした。中2のときに初めて選出されたU-14日本選抜を皮切りに、各世代で代表歴がある。U-18に所属して大分高3年のとき、Jリーグデビューを飾る。J1通算21試合出場。181センチ、68キロ。
[2007年2月18日8時51分 紙面から]
注)181センチ、68キロは昨年計測分なので今年は更に一回り大きくなったようである。公式にはまだアナウンスがない。
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