また一つの時代を盛り上げた選手が引退することになった。
殆どこの2年近くは両膝の手術・リハビリと再起を願って努力してきたが、ついに限界を悟り引退を決意したようだ。
思い起こせばW杯での日本人初ゴールは、しっかりと目に焼きついている思い出多い選手である。
それに引き換え、同年代のもう一人の選手は『勝手気ままに振舞う傾奇者』のようで、フットサルの世界選手権に出たいとくだをまき、終ればコフェデに出たいという。
本当に困った御仁もまだいる。早く止めてもらいたい。何人もに迷惑を掛けていることを知っているのだろうか?既に陳腐化したフエントを使い、あんなものでごまかされるDFはいない。
華やかな時代に生きた選手は、その余韻(残像)があるうちに引退を考えた方が、記憶に長いこと残るよね。
中山選手、お疲れ様でした。次の人生のスタートラインに付いたところです。これからも頑張りましょう。
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ゴン中山、今季限りで引退 4日にも会見
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11月24日、横浜M戦の後半45分から出場した中山(右) 札幌の元日本代表FW中山雅史(45)が今季限りで現役を引退する決意を固めたことが3日、分かった。2010年に手術した両膝の状態が思わしくないことから決断した。4日にも記者会見する予定。
98年フランスW杯ジャマイカ戦での日本人W杯初ゴール、ギネスブックにも掲載されている4試合連続ハットトリック―。多くの記録を持つレジェンドが、22年間の現役生活に別れを告げる。今月2日には「いろんな思いが交錯しています」と話していた。フットサル日本代表としてW杯に出場した1学年上の三浦知良(45)=横浜C=の活躍にも刺激を受けていたが、体は限界だった。
11月24日の横浜M戦では1092日ぶりのJ1出場を果たし、自らの持つ最年長出場記録を45歳2か月1日に更新したばかりだが今季はわずか1試合に出場しただけ。両膝は今季も炎症を起こしており「朝になると膝が固まっていることもある」と話していた。現在も練習後は自転車トレで膝や腰を温めてほぐす日々。夜遅くまでトレーニングを続けるなど、懸命の努力を続けてきた。陽気なキャラクターで誰からも愛された45歳は、静かにピッチを去る決意を固めた。
◆中山 雅史(なかやま・まさし)1967年9月23日、静岡県生まれ。45歳。藤枝東高、筑波大を経て90年にヤマハ(現・磐田)に入団。FWとして黄金期の磐田をけん引し、98、00年Jリーグ得点王。98年の4試合連続ハットトリックはギネス記録。09年シーズンに磐田を戦力外となり、翌10年に当時J2の札幌に移籍。J1リーグ戦通算354試合157得点。日本代表では98、2002年W杯に出場。A代表通算53試合21得点。妻は女優でタレントの生田智子。178センチ、72キロ。
追加記事
【札幌:中山雅史選手引退会見 】 J’sGOALより
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会見の冒頭で、今シーズン限りでの引退を発表した札幌FW中山雅史。得意の“ゴン節”は最後まで健在。熱い引退発表となった。
間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イランがイスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めてください。
もしもクリスチャンが消えた後の世界に取り残されたら、黙示録14章を確認ください。絶対に獣の刻印(666)を受けないでください。