秋も深まり、柿や栗など秋の味覚が、ひときわ美味になってきた最近でございますが、あなた様におかれましては、いかがお過ごしでしたでしょうか🌰
猫守りの私 しろもりと相方のくろもりは、この時期としては、かつてない程、ゆるりとしたお務めの日々でございました
例年であれば、10月の長崎の街は、毎年7日~9日に開催される『おくんち』という諏訪神社の秋の大祭で、一年の中でもひときわ賑やかなのですが、今年は奉納踊りが来年へ繰り延べとなり、とても静かな街の佇まいでした
このおくんちについては、来年のこの季節が巡ってきましたら、躍動感溢れる街の様子と合わせてぜひ、皆様に詳しくご紹介したく存じます
昨年2019年のおくんちの演し物「川船」
もし!ご都合がつかれるようであれば、是非来年の10月は長崎へおみえくださいまし
私 しろもりが
ここ尾曲がり猫神社にて、それそれは丁重にお出迎え申し上げまする
なにせ、ここ尾曲がり猫神社は、猫と猫に関わる人達全ての幸せを願って建立された神社でございますから、あなた様方がおみえになるとなれば…⛩️
【しろもり しろもり!
そろそろ、本日の語りを始めてはいかがかな?】(く)
…そうでございました‼
前回まで私 しろもり
尾曲がり猫のことや長崎の歴史と尾曲がり猫の関係などについてお話をして参りましたが…
今回は、日本の尾曲がり猫の祖先と推測されるバタヴィア(今のインドネシア)から南蛮貿易の船に乗って長崎へ来た猫達が、なぜ他の地域でも見られるようになったのか、についてお話することになっておりましたね
南蛮人来朝之図 長崎歴史文化博物館収蔵
それでは、早速続きの語りを始めることに致しましょう
…突然ではございますが、あなた様は、妖怪や化け物といった類のものを信じていらっしゃいますか?
え、何とおっしゃいました?
絶対いるとは言い切れないけれど、多分ある程度は、信じています
なるほど❗科学が進歩した現代でも、あなた様と同じように考えられるお方は、世の中に少なからずいらっしゃるようでございます
確かに理屈や科学だけでは、容易に説明がつかぬ不思議なことは、世の中に数多ございます
【(…私があなた様とこうしてお話ができるのもそのひとつかもしれませぬが…)】(し)
ん?何か聞こえたような…
そうそう‼️
不思議と言えば、先日私が猫殿の所へ伺っております途中で、ふと気が付くと…
【しろもり 先ほどの続きをば…】(く)
はっ、私としたことが‼️
つい話が逸れてしまいました…
【(いや、いつものことてはないか…)】(く)
妖怪や化け物についてのお話に戻って…と
…古来より日本では、自然の中に、さまざまな神様がいらっしゃるのと同時に、怪しげな存在も数多(あまた)いると信じられて参りました
これらの不思議で怪しげな存在は、時に妖怪、化け物、お化け等と呼ばれ、恐れられ、息み嫌われることがほとんどである、と言ってもよろしいでしょう
そんな妖怪の類の中に、実は
「猫股(猫又)」と呼ばれる妖怪がいるのでございます
姿は、もちろん『猫』❗
しかしながら、尻尾が二股に割れており、人間に害を及ぼすと言われております
鳥山石燕「画図百鬼夜行」
この猫股、いろいろな資料で確認するに、鎌倉時代頃より信じられていたようでございます
まぁ、猫というものは、光の量により大きさが変化し、更に闇の中ではくっきりと煌(きら)めく不思議な瞳を持っておりますゆえ
古の人々にとっては、時として怪しいものに感じられたのかもしれませぬ
この「猫股」は、時代により言い伝えられる姿かたち等が、少しずつ異なっていたようでございますが、江戸中期の有職家・伊勢貞丈による『安斎随筆』という書物の中で
「数歳のネコは尾が二股になり、猫またという妖怪となる」
という記述が見られることから、江戸時代には
「猫が歳をとると猫股になる」という考えが、広まっていたものと推察されます
鍋田玉英 「妖怪画本」
江戸時代?江戸時代と言えば、尾曲がり猫がバタヴィアから日本へやって来たのが江戸時代ということでしたよね?
お察しが良い❗
前回、江戸時代にバタヴィアから来た猫達のうち、出島から長崎の街へ出て住み着き、繁殖した猫達が長崎の尾曲がり猫の祖先であろう、というお話を致しました
ここであなた様に思い出して頂きたいのでございますが、出島に着いた貴重な南蛮貿易品は、長崎街道と呼ばれる道を通り、江戸へと送られておりました
ちなみにこの長崎街道は、砂糖が運ばれたことから、シュガーロードとも呼ばれ、小倉までの街道沿いの街では、砂糖を多く使ったお菓子が多々生まれることとなります
元禄の頃の長崎街道
そうそう!
甘いもの好きのくろもり にとっては、まさに夢のような道でございますね
【くろもり 一番好きなお菓子は、やっぱりカステラ…】(し)
【しろもり 拙者の好物などどうでもよいゆえ、早う話を進めて参ろう】(く)
ふふふ…えー、長崎街道の話に戻って…
この長崎街道を経由して、様々な物が江戸へと運ばれたのでございますが、実は尾曲がり猫達もこの道を通って、江戸へ運ばれたのではないか、と考えられるのでございます
先ほど申し上げたように江戸時代は、「猫が歳をとると猫股になる」という説が信じられており、江戸より前から日本にいた尻尾が長い猫達は、いつか猫股になるかもしれない…と人々から思われておりました
ところが、バタヴィアからやって来た猫達は、尻尾が曲がっていたり、短かったりしていたものですから、これらの猫を見た人々は、「この猫ならば、尻尾が二股に割れて猫股になる恐れはない!」とその姿形を喜んだであろうと想像できます
そこで、江戸から貿易品の仕入れのために、出島に来ていた商人達が、出島にいる尾曲がり猫達を「この猫ならば、江戸で珍重される!」と、江戸へと連れて行ったのではないかと考えられる訳でございます
江戸へと運ばれた尾曲がり猫達は、珍しいものを好む江戸の人達に、
猫股にならない縁起の良い猫として人気を呼び、更に尾曲がり猫同士で繁殖させることで、徐々に尾曲がり猫が増えていったのでございましょう
結果、多くの尾曲がり猫の姿が、江戸の街に見られるようになったことで、この頃の浮世絵に多くの尾曲がり猫が描かれることになったのではないかと、推測されるのでございます
歌川広重「浮世画譜」
また、江戸は当時から日本の中心でございましたから、江戸で人気のあった尾曲がり猫達は、商売人や旅人を通じて、他の地方へも徐々に広まっていったとも考えられます
いずれにせよ、現在日本にいる尾曲がり猫達の祖先は、長崎ひいては遠くインドネシアから来たのであろう、と考えますと、私 しろもり 歴史の壮大さを感じずにはいられませぬ
言うなれば
「尾曲がり猫は、歴史の生き証人」と言える存在ではないでしょうか
…厳密に言えば生き証猫でございますが、そこはそれ…わかりやすく…と
そうそう、生き証人と言えば…あなた様は…
【しろもり 間もなくお務めの時間じゃ】(く)
そうでした!また話が逸れてしまって長くなってしまうところでした!
…私 しろもり ここまで、尾曲がり猫にまつわる様々なことをお話して参りました
あなた様も尾曲がり猫について、随分と詳しくなられたことと存じます
私、しろもり 嬉しい限りでございます
とは言え、そろそろ、私とくろもりは お務めの時間になりますゆえ 今日のところはここまでにして、お務めに戻ることに致しましょう
次回は現代の長崎の街と猫の関係について、お話し差し上げたく存じます
またあなた様にお目にかかることをくろもり共々、楽しみにお待ち申し上げております
【しろもり 猫祭神様がお待ちになっておるので、急ぎ参ろう】(く)
それでは、これにて失礼つかまつります…
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