日ユ同祖論と源平藤橘

明治維新は失敗

鎌倉時代、北条氏(桓武平氏直系)は百済天孫族ユダ族からの繋がりは当然知っていました。
だから鎌倉北条氏名越流は尊氏に裏切られた後、百済王族子孫大内氏を頼りました。
話を戻して北条氏の御家人で取り立てられたのが諏訪氏(モーゼ子孫物部守谷直系子孫)から出雲族の流れを聞き、
出雲族と天孫族を整理したものを、伊勢神宮に奉納、キリスト系善光寺建立で守谷を慰め、御家人用の道徳本吾妻鏡にも記述しました。
日ユ同祖は皇族源平藤橘の直系と時の権力者しか知りませんでした。
吾妻鏡の愛読者、徳川家康はその記述箇所を欠本としました。
南北朝分断で皇族でこの知識が途絶えたが、明治天皇に鎌倉北条氏横井小楠が上奏して、
ユダ族直系ロスチャと共に調査して本当と分かったため開国=明治維新が決まりました。

ただ残念なことに、明治天皇のDNAは男系ではなさそうですし、李要三(岸)の李氏もいた田布施外国商人部落出身のため今日、安倍李晋三が政権をにない日本を壊しています。
明治維新は失敗でした。
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