玖波 大歳神社

神社の豆知識

人霊について

2015-07-25 10:04:30 | 悩み
人霊について

 人霊でまず思い浮かぶのが、天皇の御霊を祀ることである(天皇そのものが神であるから人霊と言っていいのか疑問があるが)。

 天皇以外では、平安時代以前では、大和政権が征服を進める際に敵方の霊を弔ったという隼人塚がある。

 また、①祟りによる災いを鎮めるため(日本三大怨霊である菅原道真・平将門・崇徳上皇など)・②威光を示すため・③偉功を称えるため・④祖霊の様に人霊を祀ることが通例であろう。

 ①として、霊魂が肉体から遊離して災いを与える生霊・突然、肉体だけが滅びた状態になり、霊魂は行き場を失い、空中をさまよう浮遊霊なども人霊と言えるのではないか。

 江戸時代に至ってもなお、庶民は一般的に怨霊に対する畏怖感、恐怖感を抱いていたため、祟りによる災いを鎮めるために人霊を祀るケース(お岩さんなど)は見受けるが、近代・現代になるほど少なくなっている。災いに対して個別の存在による祟りと考えるよりは、自然などに起因し、お祓いによって取り除こうとする方が一般的になったのではないだろうか。

 ②・③として、国家・藩・家などに尽力し、偉業を成し遂げた人を、祀ることによって、その威光を利用したり、肖ったりする流れは続いていくだろう。

 ④に関しては、仏教伝来以降、祖先祭祀が薄れてきていたが、神葬祭が一般に普及してくると、威光・偉功などに関係なく、「子孫を残したこと・生まれてきたこと」だけでも祀られる様になっている。「戦没者の霊・被災者の霊」なども同様である。

「風の音の遠き神代に天津神の奇しくも妙なる御産霊もちて、万の物を成り出せしが中に、人という人は天津神の天津御霊を受けて、此の世に成り出でたる者なり、倭姫命は「人は生まれながらに神なり」と宣り給へり」・「日の本に生まれ出にし益人は、神より出て神に入るなり(伊勢・豊受大神宮の江戸時代の神官・中西直方)」などからも、
全ての人は、死んでしまえば皆「人霊」であると言える。

自然環境に対する神道教学の可能性

2013-08-24 14:16:45 | 悩み

自然環境に対する神道教学の可能性

 前書・能書

 友人に「自然環境について何か思っていることはあるか。」と尋ねたら、「自然環境についてと言うことは、保護することを前提にしているのだろう。自然環境を保護することは、「自然環境保護」・「地球に優しい生き方」「3RE」「ECO」という美辞麗句によって利益を得ている者・これから得ようと考えている者にとっての自然環境保護であって、人間がいかに公害を出そうとも、原発事故を起こし、放射線を撒き散らそうとも、それで地球の寿命が短くなるわけではない。寧ろ、自然は人間の力より遙かに大きい復元力を持っており、人間が自然環境を云々しようなどと言う事こそがおこがましい。人間が経済力の維持を捨てることが出来ない限り、自然環境保護などとは決して言ってはならないことだ。」と言われてしまった。私も理解できる部分が可成りあったので反論できなかった。しかし、これでは議論の余地が無くなってしまうので、普通に自然環境について考えてみたい。

 自然を克服したがる人間

 「自然とは何か」との問いに、ある人は「山川草木・動物など人間社会を取り巻き、人間と何らかの意味で対立する全ての物」と答え、ある人は「人の手の加わった物は山でも川でももはや自然ではない、人間の手の加わっていない物こそが自然である。」と答え、またある人は「人間そのものも自然であり人工物も自然の変化系である。」と答える。自然を定義することは人それぞれに思いがあり、定義することは難しい。しかし、敢えて私なりに自然を定義すると「人間の意志によって左右されていない存在・左右された状態から解放された存在」としたい。なぜこのように定義したいのかというと、古代から人間は快適な生活環境を構築するために在るがままの自然に対して様々に手を加えてきて、その手の入った状態を自然とは別の存在と見做すことが自然を浮き彫りにしてくれると思うし、何らかの理由でほったらかしにしていると長い年月の間に客観的に自然と思える状態になり、その状態も自然と表現した方が自然と自然でない物の違いが明らかにできるからである。ということは、人工の存在であっても人間の意志に左右されない存在と認識されるものであれば自然と見做すことになる。
 この様に定義した「自然」は人間にとって非常に不安定な要因である。しかし、「自然が無ければ人間は生きていくことが出来ない。」ということはおそらく真理といっても良いだろう。田・畑は人の手の加わった物であるが、天日・雨・風等々は人間の意志によって左右されない存在であり、それらがなければ生きていく糧を得ることが出来ないだろう。だから人間はその自然の影響を最小限度にとどめる努力をし続けている。つまり、「自然が無ければ人間は生きていくことが出来ない。」という概念を崩そうと人間は悪戦苦闘してきている。生きていくための食料を必要なとき必要な量を得るために治山治水など手を加えられるだけ自然に対して手を加え、品種の改良を行い、道具を発明してきている。技術・道具が進化して来るに連れて、更に人間のための快適な生活空間を目差して、自然を管理し、邪魔な自然を排除したり、自然であった物を自然もどき的な姿に整えて自然環境としている。

 一 ある時は恩恵を与えてくれ、ある時は荒ぶ自然

 自然は「人間の意志によって左右されていない存在・左右された状態から解放された存在」であるから、人間が誕生してから長い間、恩恵を与えてくれる存在であると共に災害をもたらす畏れの対象でもあった。人間の力で自然を改良することに限界のあった時代に、災害を罪・罰と考え、それが起こるのは、自分たちの誰かの何かの言動が自然を怒らすことになっていると見做し、災害を避けるために、人間は自然それぞれに神格を付与し、聖域を設けて、崇め・奉り、喜んで貰える努力を行っていた。
 「自然崇拝」をあらゆるものに対して霊性を認め、その神霊の加護を信じ、祈願し、また報賽の誠を捧げることであると定義すると、逆説的に考えれば、人間の意志によって何とかなるものに対して、人間は加護を信じたり、祈願したり、また報賽の誠を捧げたりすることはない。つまり自然崇拝はその価値を失いつつあると言える。

 二 自然を制御できると考える現代

 現代文明は一見自然を克服したかのように見える。否、それ以上に人間の感覚が自然と乖離していると感じさせられる現象が発生している。それは、「人間の意志によって左右されていない存在・左右された状態から解放された存在」に対して謙虚であった人間が、自分の意志でどうにもならないものを否定し始めたことである。その原因は、戦後の技術革新によって共同作業を必要としない環境が整い、更に、自由主義・個人主義の一般化によって我慢することがださい事であって、権利を主張する事が持て囃される時代になったことにあると思う。
 例えば子供である。自分の思い通りになる子供なら欲しいと思うが、一般的に子供は親の意志通りにはならない存在であるから欲しくない、寧ろ邪魔な存在と思っている。配偶者にしても同じで、痘痕も靨の状態で永遠に付き合えれば問題はないだろうが、あくまでも別の人格を持った人間で自分の思い通りになるはずがない。だから結婚したがらない。結婚しても思い通りにならない現実を実感するとすぐ離婚になってしまう。言い換えれば自然と共に生きるためには努力・辛抱・根性・我慢が必要でありながらそれを避け、何とか楽な方法はないかと現代人は考えているという事である。
 それに加え、社会価値とは、人間の行動に影響を与える存在であって、影響を与えないものには価値が無く、現代においては換金できない存在は価値がないということになってしまっている。創祀年不詳の神社ですら道路を造るから、発電所を作るから移転しろと言われる事は、「社地については価値を認めるが、信仰の対象としての価値は認めない。」といわれているのと同じ事である。 
 だとすると、自然崇拝はどうなってしまうのだろうか。カード1枚で生きていくために必要なものは殆ど手に入る状況において人間はボタンを押すような行為だけで生活が成立すると錯覚してしまっている。人間の意志で全てが成立すると錯覚しているのだから「加護を信じたり、祈願したり、また報賽の誠を捧げたりすること」の意味は、快適な生活空間が成熟するほど、失われて行くのであろう。

 三 自然と共に

 しかし、実際には世界のどこかにおいて自然と向かい合いながら誰かが生産をしていなければ成り立たないのが人間社会である。どんなに努力しても、完全に自然を排除することは出来ない。更に言えば、自分自身も自然の一部であり、そこから逃れることは出来ない。それ故に人間は調和できるラインを模索しなければならない。「自然保護」・「環境保護」といっても手つかずの自然を守ろうとしているわけではないだろう。
 調和できるラインの模索を思考させるために、自然を制御し、ボタン一つで快適な生活が未来永劫出来ると錯覚している人々の目を覚まさせることをまずしなければならない。
 「人間も自然の一部だから失敗や予想外の行動をするのも当たり前・人間が作った物だから故障して当たり前と思える様になる。」思うこと、「人間は、自然の前では無力になることがあり、失う物がどんなに大きくても、悔しくても、悲しくても動植物が自然の脅威に遭おうとも負けることなく生きる姿を手本に生きていかなければならない。」と日頃から思う気持ちに戻していかなければならない。文明が如何に進もうとも、人工物は、年月と共に色あせ、自然の猛威の前では崩れ去ることも起こりうることを皆が自覚しなければならない。その様な思いに到達してこそ「自然崇拝」に価値が生まれてくる。そう成れた時に、自分たちが快適と思える状況との調和できるラインの模索を正しく行えるだろう。
 自然環境のあるべき姿を受入ながらも、自分たちと調和できるラインにまで近づける為の努力・辛抱・我慢を直向きにし続けてこそ、後々の大きな喜び感動を得ることが出来る(言うまでもないが、結婚・子育て・人間関係も含めての自然環境である。)ことを説いていく事が大切だと思う。

   終わりに

 山自体・島自体を神そのものとして、立ち入りを禁じていたために、手つかずの原生林である神社の森もある程度存在しているけれど、江戸時代まで余裕のある神社の森は、人間の手が加わり、松林又は杉などの針葉樹林だったらしい。しかし、明治に入ると、政府の命令によって鎮守の森に手を入れることが出来なくなり、折角の松林又は杉などの針葉樹林がクスノキやアラガシなどの常緑広葉樹の原生林に類似した森になってしまったと聞いたことがあります。庶民も意識の中に、古代から常緑広葉樹の原生林であったように思い込んでしまっています。原生林は昔からそうであったように原生林であるべきだが、松風が吹き抜ける人の手を加えた森と百数十年ほどで形成された原生林もどきの森のどちらを鎮守の森のあるべき姿かを考えると、あるべき姿に崇敬の念を持ちながら、謙虚な態度での調和出来る範囲の手を入れた姿こそそれである。
 


災いについてふと思う 

2012-10-28 19:04:34 | 悩み

 災いについて、まず、自然のもたらす現象として、「かしこきものへのつつしみやもてなし」が非礼・不敬なく喜んで貰えたときに豊かな恵を受ける事が出来ることに対して、心ならずも(感覚が麻痺し非礼・不敬をそれと感じない場合も含める)怒りや悲しみを与えた場合に降り掛かる災いと、人が触れてはならないものに触れた場合(良い事だと思えても端から見るとそう思えるものも含む)に起こる災いが有ると思います。
 前者には、『備後の国風土記』の裕福な巨旦将来が武塔の神に宿も貸さず、もてなしもしなかったが、貧しい蘇民将来は、快く泊め、親切にもてなし、その後再び訪れた武塔の神は、八柱の神を連れてきて、蘇民将来に『茅の草を輪にしてお前の娘の腰に付けさせよ。』と申し、その夜、その娘以外の子供らは、疫病で悉に殺されてしまった逸話等が良い例だと思います。
 後者には、多くの糧を得ようと入ってはいけない三輪山に入ったために蛇神の祟りで疫病等々災いがあった事や、蘇我稲目が、物部大連尾輿・中臣連鎌子の意見を聞かず、欽明天皇から「願人の稲目宿禰に授けて、試しに礼拝させてみよう。」と言われ、喜んで小墾田の家に安置し、向原の家を清めて寺としたが、この後国に疫病が流行ったことなども例として挙げることが出来る。
 大津波が襲ってきた事は、戦後経済的に豊かになってきた中で驕り、知らず知らずのうちに「かしこきもの」への非礼・不敬な事を行ってはいなかったかを反省する事から自分たちの生き方の検証をし正していく事から考えなければならないと思う。
 福島第一原発の事故は、大津波の可能性を無視した事、老朽化した時どのようにすれば完全廃炉することが出来るのかも結論が出ないままに、町おこし・雇用・経済財政等の糧を餌に各地に原発を造っていき、原発に頼らざるを得ない状況にしてしまった事が、触れてはならないというか、まだ触れるには早すぎたことによるものと考えなければならないと思う。
 この様な、反省を行った後で、生き方そのものを見定めた上で、「ムスビ」という生成発展の霊力としての神(自身を起源とする生命の連続が今日に及んでおり、その時代時代に存在するものにとって、血と心の繋がる祖神であり、祖霊崇拝の根拠であり、現生活の中で生成発展していくことを前向きにしてくれる確信を与える存在であり、恵みを与えてもらえる根元。)の加護により未来に向かうべきだと思います。