こんにちは、こんばんは、orangeの夫です。約一年ぶりに記事を書きます。忙しかったとかではなく、このブログを見ると、家内のことを思い出してしまい、気持ちが沈むので見ないようにしていました。
私の生活はだいぶ変わり、家内をなくしてからの心境もさまざまありました。私を含め親族にとっては、初盆を終えてから最初に迎える法要である一周忌法要、無事に終わり、一息ついているところです。
2021年6月6日(日)、祥月命日は6月7日ですが、月曜日で各々仕事や学校がありますので、一日繰り上げ、四十九日法要を執り行った浄土宗の寺院にて、家内の一周忌法要を執り行いました。こんなご時世ですので、オンラインや中止という選択肢もあるのですが、私をはじめ親族全員が一周忌法要を望んでいると考えていたため、私を含め8人の少人数で執り行いました。四十九日法要のときと同じく、会食は行わず、折詰弁当をお持ち帰りいただき、自宅で食べてもらったと思います。
終わってみればなんてことなく終えましたが、一周忌を迎えるにあたり、法要や会食をどうするか、準備や手配など、精神的な負荷がかかっていたのか、この週は本当に無気力でした。かろうじて前日に、御供物として、家内が好きだった野菜や果物、お菓子等をスーパーへ買いに行ったのですが、それもよくなかったです。
私の勤務先で展開しているスーパーマーケット事業のお店、家内とよく行っていました。家内の好きだったものをちゃちゃっと買って帰ろうなんて甘い考えでした。家内の好物を手にすると思い出すたくさんの思い出。。。「オレはなんで、自分より年下の嫁さんの御供物を買い揃えてんだろう。最低な気分だ。」と落ち込み、目を真っ赤にしながら会計を済ませ、自宅へ帰るなりおもいっきり泣きました。
メンタルクリニックより処方された薬を飲み、相変わらず効果がないことにむなしくなりましたが、翌日の法要のために、白いバスケットに夢中で盛り付けをしました。
メンタルクリニックの話しを出しましたが、家内をなくしてからの私の生活で一番大きな変化が、休職です。
2020年12月初旬を最終出勤日とし、2021年1月より今現在も休職をしています(12月は保有する年休をすべて取得)。
メンタルクリニックの初診は10月でした。初盆を終えて、命日6月7日からバタバタ駆け回った数ヶ月で燃え尽きたというかなんというか、私の中ではりつめていたものが切れたような感覚になったんです。
それでも、時の流れは残酷で、納骨先の検討や、遺産等の整理に着手していました。気持ちというか、気分というか、精神的にふわふわしていたのか、少し手をつけたところで、激しい虚無感に襲われました。「オレはなんで嫁さんの納骨や資産目録を作成しているのだろう。」
そんな虚無感が強く、徐々に仕事にも影響が出てきたので、メンタルクリニックを受診するに至りました。
先生とお話する中で、離人症、抑うつ傾向について教えてもらいました。一旦、納骨や遺産整理は中止したらどうかとアドバイスをもらい、効き目の弱い薬を処方してもらいながら、平日は仕事に行き、休日は自宅に引きこもってダラダラする、そんな生活をしていました。
その頃から、職場でも、忌明け後の腫れ物に触るような扱いもなくなり、私の現状とは真逆に、以前と同じように業務が回ってくることに苛立ちを覚えていました。
とどめは、年末調整と冬の賞与でした。配偶者控除の申請書で、久しぶりに家内の名前と生年月日等を記入したところで、
「あ、もういないんだ。」
たかが税務書類におもっきり現実を見せられました。
そして、12月10日の賞与支給に先立って明細が配付されました。
「昨年は冬のボーナスで布団一式を買ってあげたな。今年は。。。」
もう、ここで最後の糸が切れました。「イヤな思いをしてまで仕事をする意味がない。オレ一人食う分、家内の線香と供花さえ買えるだけあればいい。」
もう、人事部の懇意にしてもらってる人に退職の相談をしていました。彼も奥さんを脳腫瘍でなくしており、私の理解者でした。
「気持ちはよくわかる、退職の前に、休職をしたらどうだい?仕事から離れて何もせずに考える期間があってもいい。退職するのはいつでもできるから。」
そうアドバイスをもらい、規定に沿って、休職願と医師の診断書を提出しました。
そして、今現在、2ヶ月おきに人事担当者と相談しながら、まだ休職をしています。最長2年までは休職が可能とのことで、また仕事をしたい!仕事をしなきゃ!という意欲が出るまで、待ってもらうことで承認してもらってます。
やっぱりダメですね、一度、自分以外のために仕事をしてしまうと。20代は自己実現やキャリアアップを考え、ひたすらに昇進、昇格を目指しました。30代、家内と結婚してからは、脳腫瘍であろうがなんであろうが、家内を食わせるため。
30代の私が嫌いな経理職(私、経理部員です笑)をしていたのは、家内のためでした。
それを失ってしまえばもう意欲なんてありません。今の会社を退職し、たとえ待遇やら給与がク○みたいな仕事に就こうが、すべて自己責任、わりを食うのは私だけです。まだ母が健在なので、母さえ看取れば、子どももいない、住宅ローンもない私が財産を残さなければならないことはありません。私の人生の役目が終われば、喜んで家内の遺骨と位牌と遺影を胸に、五島列島の激流に身を投げます。
今はそんな心境です。
なんか、家内のブログでネガティブなことばかり書きましたが、家内の一周忌法要と遺された夫の現在です笑
あ、そう!6月になってから、Twitterを再開しました。アカウントは2010年から作成していたのですが、使い方がよくわからず放置していました。
なんかの記事で、「遺族のTwitterより引用」みたいなのを目にして、いろいろ検索をしてみたところ、脳腫瘍の方やまたそのご家族やご遺族がたくさんいらっしゃって、夢中で検索してしまいました。
家内を看取った緩和ケア病棟に「家族の会」という、その病棟で家族を看取れさった方の集いが月一で開催されていたのですが、このコロナ渦もあり、開催ができないということなんです。
初盆後に、緩和ケア病棟の看護師さんから、私宛に手紙が届きました。そこにそういった旨が書かれており、ぜひ行ってみたい、同じ体験で悲しんだ方が、どういう心境なのかお話を聞いてみたい、と思っていました。
Twitterはリアルではなく、SNSですが、患者さんやご家族、ご遺族の心境は本当に共感することばかりですし、また、共感もしてもらえて、今は私の身近なグリーフケアとなっています。
このブログを通して、orangeの病気や治療、人柄など、ご興味があった方はお気軽にフォロー、DMをいただけたら嬉しいです。
また気が向いたら記事を書いてみようと思います。これから猛暑や新型コロナウィルスの蔓延など、厳しいときではありますが、みなさまも元気に明るく過ごしたいものですね。
↑
メンタルクリニック患者が言うか笑
orangeの夫より
お掛けすることばがありません。ご心痛のホンの一部なら分かる気がいたしますが軽々に申し上げられません。
またの投稿を楽しみにお待ちしています。
とんでもないです、寄り添っていただきありがとうございます。
ネガティブなことも書きましたが、大っぴらに仕事をしなくてよい時期なんて一生に一回ですから笑
またお立ち寄りください。
一年経ってここに書けたってことはorangeさんが「思い出してくるのは嬉しいけど、毎日悲しむのはちょっと…」って夫さんにツッコミを入れたのかなと思います。
私は両親を別々の時期に無くしましたが「お腹すいた!生きなきゃ」と考えて今に至るので両親としては「もうちょっと悲しんで!」とツッコミをしてるかもしれません。
そうですね、一周忌を終えたからなのか、薬が効いているのかは自分でもわかりませんが、ようやくこのブログを開く気持ちになりました。
私の人生で、私の命よりも大切なものを失ってもなお生きなければならない、、、そんな人生を生きたくもないのに、、、苦悩しているところです。もし、立場が逆で、私がorangeを見守る側だったとしたら、如月まひるさんの言うように、「そんなに悲しまないで」と声をかけたいでしょう。
そうですか、ご両親を。お気の毒です。大切な人とのお別れはとても辛いですよね。「お腹すいた、生きなきゃ!」いいですね、遺された者の残りの人生、苦悩しながらも全うしたいですね。
コメントいただきありがとうございます。
そうですか、一周忌法要お疲れさまでした。
一年、さぞ悲痛と苦悩があったかと思います。
扶養すべき子がいてもなお、明るく過ごせないこと・・・ツラいですね。私のように、自己責任で好きなように生活できるわけではないですもんね。
伴侶に先立たれててもなお生きている先人の心境にたどり着きたいですが、難しいですね。
今は、「家内にこの悲痛を味あわせなくてよかったのだ、家内が先、私が後、これが最良だったのだ」と落とし込んでいます。
いつか・・・苦悩から解放される日を迎えられたらよいですね。またお立ち寄りください。