みんなと別れてひとりになった途端、やはりやってくるのが・・・。
やっぱりね
旅館から京都駅までそんなに遠くないのだけど、雨の中荷物とかる。さんと傘を持つのはけっこうキツイものがありました。
でもこれも雨女のサダメと諦めて、近鉄電車に乗って奈良へ向かったのでした
高の原の駅でBeeママさんを待ちます。
駅の横にこんな碑が
さすが古都・奈良ですなぁ。
【長皇子といえば父は第40代天武天皇、母は天智天皇皇女の大江皇女。同母兄弟には弓削皇子、子女は栗栖王、智努王、長田王、大市王らがいる。
長皇子は、皇位継承順では第4位にありながら政治の表舞台に立つことなく、もっぱら旅や狩りを楽しんだという。
この歌も志貴皇子と催した宴から「秋になると、今見ているように妻を恋しいがり雄鹿の鳴く声が盛んに聞かれますよ」と自宅近く、高野原の上の自然を詠み、実は来年も宴を開きましょうと誘う。】
ちょっとさみしい歌である。
この地に飛鳥の人たちも立っていたのかなぁ、と思うととっても感慨深い。
【さて、宴を共にした志貴皇子は四季の移ろいに心寄せ、静かに世を送ったといわれている。長皇子とともに天皇の血を引きながら、冒頭にも触れたように2人は政治の世界とは無縁。言い換えれば、自己に忠実だったのかも。だからこそ、共鳴する点が多々あり気持ちが通じ合ったのだろう。長皇子が五首、志貴皇子は6首の歌を「万葉集」に残している。立冬が過ぎ、暦の上では冬到来。枯れ葉が舞う。】
かる。さんの存在も忘れて感慨にふけっていたら、Beeママさんが迎えに来てくれました。
かる。さんを預けて、私はひとり古都の旅へと出かけて行きました~
で、やって来たのは・・・。
薬師寺ざんす。
【薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)
現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。】
もちろん大雨の中の観光です。
でも観光客も少ないから写真を撮っても他の人が写らないのがよい
三蔵法師。
つい、夏目雅子とか深津絵里とか思い浮かべちゃうけどね。
去年は東大寺へ行ったっけ。
天気もよかったしメジャーな観光地なので、観光客もたくさんいました。
薬師寺もそこそこメジャーのはずだけど、なんでこんなに人がいないのかなぁ。
連休明けで大雨の平日だからかな。
でもこういうお寺なら人は少ないにこしたことはない。
絵とお寺は静かに見るのがいいかもね。
なんだか奈良にはまりそぉだなぁ。
また奈良へ来たいなぁ。
できれば飛鳥とか斑鳩の里とか吉野とかいろいろ・・・。
そぉそぉうちの先祖が北海道へ来る前に住んでいたのは奈良の十津川村だった。
ここは別に行かなくてもいいや。
近くに大池(勝間田池)というのがあり、そこから撮影をしたかったのですが・・・
雨がスゴかったのであきらめました。
こぉ~んな感じで撮りたかったのよね。(HPよりパクリ)
やっぱ雨はイイコトばかりぢゃないな。
勝間田池といえば思い出すのが万葉集のあれだよね。
天武天皇第10皇子の髭面の新田部親王が浮気の朝帰りに、
「お前の様に蓮が美しく咲く池の畔を通って帰ったよ」と妻に嘘をついたら
妻が返したこの句。
『勝間田の 池はわれ知る蓮無し 然言ふ君が 鬚無き如』
(嘘おっしゃい、勝間田池に蓮はありません。貴方の顔に髭があるのに、無いと云うのと同じね)
当時もこういうやりとりがあったのかと思うと、なんかおかしいね。
そんな楽しいひとり旅でしたが、かる。さんを迎えに行かなくっちゃ。
DOG SALON BEEさんへおじゃまして、とってもおいすぃスイーツをごちそうになりました。
マヂウマだった~
すっきりかわいくしてもらったかる。さんはルーシーと戯れてました。
BBQではややビビり気味だったルーシーもホームでは強気で遊ぼう攻撃。
かる。さんは長旅とトリムでお疲れだったせいか、仕方なくって感じ。
最後は前足で押さえ込みしてたしぃ・・・。
Beeママさん今回もかわぃくしてくれてありがとうございました。
送迎もありがとうございました。
次回もよろしくお願いします
そして京都へ戻り、新幹線で東京へと戻ってきたのでありました。
4泊5日の電車での関西の旅も お友達の善意に支えられて無事に終えることができました。
お世話になった皆さま心より感謝申し上げます。
ふぅーーーーっ
やっとアップも終わったぁ。
1ケ月以上かかっちゃったよ。
だってこれを作成終了したのが6月18日だもん・・・。