お休みは本当にあっという間に終わってしまいますね。この年末年始はほぼ毎晩のようにお酒飲んで夜中の3時くらいまでテレビ見ながら模型いじり・・実家に挨拶に行っては近所の模型屋参り・・布団入ったら展望DVD見てそのまま落ちる。なんて幸せな1週間だったことか・・いやぁ、こんなにどっぷり浸かった生活も本当に久々です。今日からはほどほどにしてアタマもカラダも元通りにしなくてはいけませんね(^^;
さて、唐突ですが・・・
昨年末、弊局にもいよいよ大きい車両が新製配置されました。
弊局にとりましてはちょっとした事件ですので、経緯や、初走行までの顛末なんか書いてみます。きわめて個人的でダラダラと少し長いお話になりますが、お時間ございましたらご笑覧くださいませ・・
HOゲージとの出会い(当時は呼称論争なんて多分なかったと思いますので敢えてHOと書きます。)
HOゲージというモノを意識しだしたのはいつごろだったか・・
はじめて買ってもらった鉄道模型は小学校1年生くらいでしたでしょうか、TOMIXのNゲージでレール、車両まで入った基本セット、大好きな湘南色の113系が4両入ったモノでした。そうです、まだクハのスカートがステンレス製でしたね。従兄弟のお兄さんがNゲージを集めていて、遊びに行くと必ず走らせてくれて、それまで遊んでいたスーパーレールやミニミニレールでは飽き足らなくなってしまったんですね。それはそれは嬉しくて、学校終わると毎日のように友達を家に呼んでNゲージで遊びましたね。スカートが首を振るEF65も電気消して走らせたり・・子供の頃、あの時代の模型の楽しみ方って良かったなぁと思うんですよね。ないものねだりかも知れませんが、今はね、なんといいますか、ちょっと飽食気味というんでしょうか、あらゆる情報がすぐに入手できて、お金さえあればフル編成も簡単に揃ってしまう・・まぁ、幸せといえば、そうなのかも知れませんが、あの頃の、「模型店のショーウインドウの前で穴が開くほど眺め、何年も思い焦がれる」そして、「お小遣いやお年玉を貯めて、少しずつ買い揃えていく」しかし、「青いゴハチがいつの間にか売り切れてしまい、仕方なく、売れ残りの青大将のゴハチを買うw」みたいな欲しいモノを我が手にする喜びというものは今ではなかなか味わえないものです。話が逸れましたが、それから数年後、通っていた学習塾の近所に「日吉模型」というHOゲージとかOゲージしか置いていない模型店があるのに気付きました。そこで初めてHOゲージのあの迫力のスケール感、ブラスボディが醸すあのひんやり感にやられてしまったワケです。勿論、80年代の好景気とはいえ、小学生の小遣いで買えるシロモノではありませんが、もう塾のある日は毎日入り浸ってケースに並ぶカツミだかエンドウだかのキハ82系や111系をいつまでも眺め、店の親父さんは半ば呆れ顔でした・・ある日、いつものように店を訪れると小さいショーケースにHOのローピンEF81とEF65の500番台がむき出しで並べられており、「それはお客さんから委託された中古品だからちゃんと走るかどうかわからないよ」と親父さん。値札を見ると両方とも1万円・・次の日、貯金箱から出した千円札10枚を握り締めてショーケースの前に立つ自分がいました。「本当に走るかどうかわからないよ」と何度も念を押す親父さん。小学生の子供に1万円を出させることに罪悪感でも感じてしまったのでしょうか。さて、どちらを選ぶか?もう小学生にとってはテッパンのブルトレ機65か、ロングボディと退色したような渋いローピンが魅力の81か・・どうせ走らせる環境もないから別に走らなくてもいいんです。頭の中は「とにかくあの大きな機関車をこの手に持ちたい!」という気持ちだけでした。その場で小1時間くらい悩んだでしょうか(笑)青い機関車を袋に詰めながら親父さんは「ちゃんと走らないかもよ・・」とまた言ってました。もう家まで待てない・・これまで味わったことのない満足感と優越感でしたね。TOMIXレールを2本並べてHOゲージ幅にして家の本棚にディスプレイし、たまに手にとって眺めてはニンマリ・・ それから数年後、日吉模型は店を閉じてしまいました。小職も中学生になると、いつの間にか鉄道から気持ちが離れ、ある映画の影響もあって、あろうことか米軍の飛行機マニアになり、毎週のようにカメラを持って横田基地や厚木基地に通い米軍機を追っかけておりました。あのEF65もとうとう一度も走らせることなく、Nゲージとともにいつの間にか家から消えてしまいました。
まだまだ続きます・・
さて、唐突ですが・・・
昨年末、弊局にもいよいよ大きい車両が新製配置されました。
弊局にとりましてはちょっとした事件ですので、経緯や、初走行までの顛末なんか書いてみます。きわめて個人的でダラダラと少し長いお話になりますが、お時間ございましたらご笑覧くださいませ・・
HOゲージとの出会い(当時は呼称論争なんて多分なかったと思いますので敢えてHOと書きます。)
HOゲージというモノを意識しだしたのはいつごろだったか・・
はじめて買ってもらった鉄道模型は小学校1年生くらいでしたでしょうか、TOMIXのNゲージでレール、車両まで入った基本セット、大好きな湘南色の113系が4両入ったモノでした。そうです、まだクハのスカートがステンレス製でしたね。従兄弟のお兄さんがNゲージを集めていて、遊びに行くと必ず走らせてくれて、それまで遊んでいたスーパーレールやミニミニレールでは飽き足らなくなってしまったんですね。それはそれは嬉しくて、学校終わると毎日のように友達を家に呼んでNゲージで遊びましたね。スカートが首を振るEF65も電気消して走らせたり・・子供の頃、あの時代の模型の楽しみ方って良かったなぁと思うんですよね。ないものねだりかも知れませんが、今はね、なんといいますか、ちょっと飽食気味というんでしょうか、あらゆる情報がすぐに入手できて、お金さえあればフル編成も簡単に揃ってしまう・・まぁ、幸せといえば、そうなのかも知れませんが、あの頃の、「模型店のショーウインドウの前で穴が開くほど眺め、何年も思い焦がれる」そして、「お小遣いやお年玉を貯めて、少しずつ買い揃えていく」しかし、「青いゴハチがいつの間にか売り切れてしまい、仕方なく、売れ残りの青大将のゴハチを買うw」みたいな欲しいモノを我が手にする喜びというものは今ではなかなか味わえないものです。話が逸れましたが、それから数年後、通っていた学習塾の近所に「日吉模型」というHOゲージとかOゲージしか置いていない模型店があるのに気付きました。そこで初めてHOゲージのあの迫力のスケール感、ブラスボディが醸すあのひんやり感にやられてしまったワケです。勿論、80年代の好景気とはいえ、小学生の小遣いで買えるシロモノではありませんが、もう塾のある日は毎日入り浸ってケースに並ぶカツミだかエンドウだかのキハ82系や111系をいつまでも眺め、店の親父さんは半ば呆れ顔でした・・ある日、いつものように店を訪れると小さいショーケースにHOのローピンEF81とEF65の500番台がむき出しで並べられており、「それはお客さんから委託された中古品だからちゃんと走るかどうかわからないよ」と親父さん。値札を見ると両方とも1万円・・次の日、貯金箱から出した千円札10枚を握り締めてショーケースの前に立つ自分がいました。「本当に走るかどうかわからないよ」と何度も念を押す親父さん。小学生の子供に1万円を出させることに罪悪感でも感じてしまったのでしょうか。さて、どちらを選ぶか?もう小学生にとってはテッパンのブルトレ機65か、ロングボディと退色したような渋いローピンが魅力の81か・・どうせ走らせる環境もないから別に走らなくてもいいんです。頭の中は「とにかくあの大きな機関車をこの手に持ちたい!」という気持ちだけでした。その場で小1時間くらい悩んだでしょうか(笑)青い機関車を袋に詰めながら親父さんは「ちゃんと走らないかもよ・・」とまた言ってました。もう家まで待てない・・これまで味わったことのない満足感と優越感でしたね。TOMIXレールを2本並べてHOゲージ幅にして家の本棚にディスプレイし、たまに手にとって眺めてはニンマリ・・ それから数年後、日吉模型は店を閉じてしまいました。小職も中学生になると、いつの間にか鉄道から気持ちが離れ、ある映画の影響もあって、あろうことか米軍の飛行機マニアになり、毎週のようにカメラを持って横田基地や厚木基地に通い米軍機を追っかけておりました。あのEF65もとうとう一度も走らせることなく、Nゲージとともにいつの間にか家から消えてしまいました。
まだまだ続きます・・
まさる少年の奮闘記はじまりましたね。
初HOは65Pでしたか
続きが楽しみです。
続きが早く読みたいです♪
実は欲しいんですよね。。。HO(苦笑) PCで眺めてます。これってPCがショーウインドウですよね(^_^;)
心を語るに画像はいらない・・・いいですね、凄くいい。
レスより続きを早く打って欲しい・・・続きが読みたいですね。そんなちょっと心くすぐる愉楽ゆらゆらと・・・ジョイント音が聞こえてきそうです。(微笑)
書きながらあの頃の自分に戻っておりますw
あのEF65もちゃんと大事にとっておけばよかったなぁと今更後悔しております。。
HOいいですよ!音もリアルでお座敷運転でも満足度高いです・・是非導入されることをお勧めします。。小職はNもHOも特性に合わせて展開していこうかなと思ってます。レイアウトとなるとHOでは大きすぎて厳しいですからやはりNですね。
ありがとうございます。。続編アップしましたのでよろしくお願い致します(^^; まだ肝心の車両は登場しませんが・・引っ張り過ぎですかね。。