水がぬるみはじめると、お水取りがはじまる
奈良の伝統行事
二月堂への石段
静かにその時を待つ
あいにくの雨
出足は遅いようだ
でも、こちらは、もう準備万端
まだ、3時でっせ・・・・・
少しのスペースに身を滑り込まして、待つ
お松明は、7時に始まる
しつこいようですが、今は3時・・・・・
待つのも、修行
火の粉が落ちるので、事前に水をまく
丁寧に
5時半に、舞台は閉鎖
以降、トイレにも行けません
立ったまま、その時を待ちます
しつこいようですが、7時スタートです
そのときは、厳かにはじまる
1260年以上続けられてきた、行事
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う
十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する
※東大寺HPより(以下同じ)※
修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。
天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされた。
東大寺のながい歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきたのである。
この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。
また二月堂の名もこのことに由来している。
行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。
また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされる。
このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになった。
12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備える。
そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂において修二会の本行が勤められる。
お松明は、本来、二月堂に上堂する練行衆の道明かりとして灯されるので、12日の籠松明が有名だが、修二会期間中の3月1日から3月14日に毎日あげられている。
12日と14日以外は19時に大鐘が撞かれ、それを合図に「お松明」が始まる。
11名の練行衆が一人一人、二月堂での行のために上堂するための道明かりであるが、「処世界」という役はすでに準備のため上堂しているので必要なく、通常10本の「お松明」があがる。
ただ、12日だけは、全ての練行衆が上堂するので11本の「お松明」があげられることになる。
12日の籠松明ともなると、長さ6mほどの根付きの竹の先端に、杉の葉やヘギ・杉の薄板で籠目状に仕上げ、直径1mほどの大きさの松明に仕上げられる。
「火の行」とも言われる「修二会」で使われる松明は他にも何種類もあり、すべて、「修二会」を裏で支える「童子」たちによって作られている。
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始された。
そして、
そして、お水取りが終わると、奈良にはようやく春が訪れる・・・・・・・
計3回やった~~
おかんに怒られるところでした・・・・・
実のところ、一回行っただけではあかんかったので、2回行きましたよ~
でも、毎日行かなあかんかったかも~(笑)
でもまあ、3時から延々と・・将に修行ですね。
これで煩悩も穢れもすっかり消え去ったことでしょう。
・・・ん、なわけない?
また来年修行に行かないと、ね~( ̄m ̄)ぷぷぷぷ