いつのまにまにアラフィフ

徒然なるままに 日々の雑記

TGIBD

2021-07-15 10:44:33 | 日記
50を超えて2度目の誕生日を迎えた。

先月のシフト希望提出には、誕生日にどこかへ泊まりに行くことを考え、連休を取っていた。

せっかく取った連休の誕生日、何をしよう。
どういう過ごし方をしよう。
自分が楽しめる事をひたすら考えていた。

そんなある夜、NHKで献血ルームの24
時間を追った番組を見た。
コロナ渦の中でも様々な人が献血をしに来ていて、番組では献血ルームへ来た人へ何故献血ルームへ来たかの理由をインタビューしていた。

人それぞれの理由を持っている事を知れたが、そういう理由なんだと頭の隅をかすめる程度で、大半は私の記憶に残っていない。

ある女性は、ここへ来るとゆったり過ごせるからと。
献血後には、お茶を提供され、好きな席に座り、献血ルームのある高層階の窓から見える景色を眺めながら過ごして、日常生活へ帰る。

毎月献血する事を自分に果していた女性もいた。
もう少ししたら献血出来ない年齢に達すると語り、何年もずっと献血されていたそうだ。
献血ルームへ来る前には仕事をしてきて、献血の後も仕事へ向かうとか。
献血する事が特別でなく、その女性には日常生活の一部のようで驚いた。
何てパワフルなんだろう。

今日が誕生日だと言う男性。
自分の誕生日には毎年献血をしに来ていると。
普通に話している。
誕生日に献血するなんて何て崇高な人なんだろう。

私も、もう少しで迎える自分の誕生日をどう過ごすか考えていただけに、感銘をうけた。
自分が楽しむ事や、自分の記念として残る事ばかりを考えていた。
誕生日は、自分への祝いでなく、この世へ自分を産んでくれた母親への感謝を伝えよう。
という事は聞いた事があるが。

自分の誕生日に、わざわざ他人の為に行動をする事が、カルチャーショックを受けた感覚。
行動よりも、その考え、そういう気持ちが出てくる事に。
その番組を見た後は、自分もこれからはそういう誕生日を過ごそうと決めた。

ただ残念な事に、私には献血はできない。
血管が細くて血が取りにくい身体になっている為に。

健康診断の血液検査では、なかなか採血できず何度も針を刺される。
下手な看護師さんに当たると、指した針を肉の中でぐりぐりさせて血管を探そうとする。
これをされるととても痛くて、後で青アザになる。

高校生の時、同じクラスの男の子が交通事故にあったと授業中に連絡が入り、献血できる人いないか?と先生が言った。
同じ血液型だった私も手を挙げ、数名のクラスメートと共に病院へ向かった。
病院へ到着し、ベッドに横たわり腕に針を刺されたけれども、血が勢いよく流れ出てくれず。
200cc だか400ccだか知らないけど、パック1つ分も満たすことが出来なくて、残念で悔しかった。

その男の子は亡くなられて。
後日お線香をあげに伺った。
その子の母親が話した内容は。
一人っ子だった事。ラジオカセットが欲しくて、アルバイトに新聞配達をしていたこと。
事故当日は新聞が足りなくなって、急いで取りに戻って、トラックに跳ねられたそう。
こんな事になるなら、ラジオカセットを買ってやれば良かったと。
子供が先に亡くなるのは、親不孝だと。
絶対親より先に死んではいけないと。
毎日、家にやってくる野良猫にエサをあげている。
野良猫だってお腹がすく、お腹が空いたら、悪さをする。
お腹がいっぱいなら、悪さはしないと。

私の通っていた高校はアルバイト自由だった為、私自身もアルバイトをしていたが、
学校へ行く前に新聞配達のアルバイトしていたのは偉いと思ったが、その母親の子育て論というのか、戦後の物が無い時代を生き延びてきた世代によるものなのか、その思想的な、何かを悟ったような思考に、この母親だから、きっと立派な息子さんに育ったのだろうと想像できた。

献血の話しからズレてしまった。

思えば、中学生頃から、生命の大切さを学ぶ環境に遭遇してきている。

誰にでも身内の死や、ニュースなどで、死に接する機会は必ずあるけれども。
たまたまという偶然にしては、インパクトが強すぎる経験が私にはある。
同じく高校時代、ある日帰りの電車に乗っていて、隣の駅のホームへ入るといきなりドーーーンと物凄い震動がして、電車が停車した。
人身事故を伝える車内アナウンスが流れ、長いこと車内に閉じ込められた。
1時間位だったのか。
いつも一緒に帰宅している友人も一緒に乗車していた為、心細くはならなかった。

私は、死ぬ?本当は早くに死ぬ運命だったのかもしれない?
今思い返すと、そうなのかもと思う節があれこれ出てくる。
死にそうになった瞬間が、自覚しているだけで数回ある。

幼き日、家族で海水浴へ行った。
浮き輪に乗って浅瀬で泳いでいた時、波が襲ってきた。
私の身体はいきなりひっくり返り、浮き輪は離れて、宙に放り出されたような、上も下もどこか分からない状態。
父が傍にいた筈だから、もがきながら水中でお父さんと呼んだ。
だが父は全く私を見ていず、私が溺れていることに気がつかない。
暫くバタバタしていたら手に地面が触れた、足を地面の方向へ伸ばしたら、足が地面に着いた。
立ち上がると、何の事はない、顔も身体も余裕で出る位の水位だった。

夏になると、水の事故のニュースを聞くが。
こんな浅瀬でどうして?と思われる所でも事故は起こる。
私は実際に経験してるので、よく解る。
泳げない子供は、浅瀬でも、転んだりして足が着かなくなるとパニックになり、必死に泳ごうともがいてバタバタしてしまう。
冷静になって足を地面へ伸ばせば、足が着ける事に気づくが。
バタバタしているだけでは、どこが地面なのかも分からず、苦しくて、焦って、疲れて。。
兎に角パニックになってしまうと言うこと。

二度目の死にそうにな体験は、小学生の時。
体育の授業で逆立ちのテストの日。
順番に名前を呼ばれて、テストをする。
逆立ちの出来ない私は、順番が来るまで練習をしていた。
クラスメートが支えてあげると言って、私が逆立ちした足を掴んでくれる事になっていた。
それでも怖くてなかなか思い切り足を上げられずにいた私だったが、クラスメートから大丈夫だから、思い切り足を蹴って、と言われて。

やっと思い切り足を蹴った瞬間、彼女の名前を先生が呼んだ。
はーいと返事をして、彼女は先生の元へ去り、私は勢いのあるまはまマットにひっくり返り、背中をしっかりと打ち付けた。
瞬間に心臓が停まった。数秒。
息ができない。どうしよう。苦しい。動けない。
数秒後、息ができ、安堵した。

なぜあのタイミングで彼女の名前が呼ばれたのか。
それまでは力いっぱい踏み込めなかったのに、私が力いっぱい踏み込んだ瞬間に限って。

怪我もしてたなぁ。
おてんばだったからか。
ジャンプして下水溝に嵌まったり、マンションで追いかけっこして、曲がる時に足を滑らせて顔面を階段に強打したり。
映画館で時間潰しに窓から顔を出して、頭を打って出血したり。
幼い時、兄と男の従兄弟に囲まれて、自分も兄達と同じだと思ってたからなぁ。
ままごと遊びも人形も全く興味無かった。
相撲ごっこは楽しくて。
前世は男で、落ち着きのない暴れん坊だったんだろうな。

数々怪我や死ぬかもな経験をしてきたけれども、それでも今まで生きていられるのは、誰かに護られているのかなと感じる。
それとも何かやるべき使命が果たされてないのかな。

護ってくれる存在に感謝します。
また一歳重ねられました。
もし何か果たすべき使命があるのなら、何なのか教えて下さい。