井上靖の自伝的小説『わが母の記~花の下・月の光・雪の面~』を「クライマーズ・ハイ」の原田眞人監督が映画化。母に捨てられたという想いを抱きながら生きてきた小説家が、老いた母親との断絶を埋めようとする姿を描く。出演は「聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―」の役所広司、「朱花の月」の樹木希林。
あらすじ:1959年。小説家の伊上洪作(役所広司)は、父・隼人(三國連太郎)の見舞いに行った湯ヶ島の両親の家から東京の自宅に帰ってくる。妻の美津(赤間麻里子)、長女の郁子(ミムラ)、二女の紀子(菊池亜希子)が、伊上の新作小説にせっせと検印を捺している。
それはベストセラー作家の家族の大切な仕事であったが、三女の琴子(宮崎あおい)の姿はない。自室にこもって夕食にも降りて来ない琴子に不満を募らせる伊上。深夜、持ち直したかに見えた隼人の訃報が入る。
1960年。父亡き後、伊上の妹・桑子(南果歩)が母・八重(樹木希林)の面倒を見ているが、八重の物忘れはますますひどくなっていく。1963年。八重の誕生日に、川奈ホテルに集まる一族。伊上のもうひとりの妹・志賀子(キムラ緑子)、夫の明夫(小宮孝泰)、運転手の瀬川(三浦貴大)、秘書の珠代(伊藤久美子)も参加しての盛大なお祝い会。だが、八重の記憶はさらに薄れていた。
1966年。結婚した郁子が赤ん坊を抱いて里帰りした日、湯ヶ島は大騒ぎになっていた。八重が、交通事故に遭って家で療養している明夫を罵倒するというのだ。しばらく伊上が引きとることになるが、八重を冗談のタネにする家族に、琴子が突然怒り出す。さらに話は伊上の子育て批判に発展、紀子までもが初めて父に反抗する。日頃から家族を小説やエッセイのネタにする父への不満が一気に爆発したのだ。
琴子の提案で、八重は軽井沢の別荘で暮らし、琴子と瀬川、手伝いの貞代(真野恵里菜)の3人で面倒を見ることに。
1969年。伊上が5歳の時から8年間、伊豆の山奥の土蔵で彼を育てた曾祖父の妾・おぬいの五十回忌の法要で、顔を合わせる一族。琴子はプロの写真家になり、瀬川と付き合っている。紀子はハワイへの留学を父に許される。八重は夜に徘徊するようになり、もう誰が誰かも分からなくなっていた。
ある朝、おぬいに息子を奪われたという八重の言葉に感情を抑えられなくなった伊上は、初めて母と対決しようと「息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね」と問いつめる。しかし、八重の口からこぼれたのは、伊上が想像もしなかったある“想い”だった。
こらえきれず、母の前で嗚咽する伊上。母との確執を乗り越え、晴れ晴れとした気持ちで紀子を送るハワイ行きの船に乗りこむ伊上。だが、伊上のもとに八重がいなくなったという知らせが届く……。(作品資料より)
<感想>4月12日試写会にて。50年もの間、母親の愛情を疑っていた息子の心の中にあったしこりが、死にゆく母と過ごす14年の中で消えていく様子を、丁寧に描き出している。役所広司、樹木希林、宮崎あおいという実力派が豪華共演。祖母から孫まで、親子の関係を描いた笑いと感動の人間ドラマ。
役所広司扮する頑固な作家、伊上洪作と、宮崎あおい演じる反抗期の娘、琴子が言い争いを始めたかと思えば、樹木希林による物忘れが激しくなった洪作の母親、八重が、強烈なツッコミを入れる。そんな演技の巧い俳優さんたちが、見事なアンサンブルを奏でているような、そんな映画です。
昭和を代表する文豪・井上靖の自伝的小説が映画化と聞けば、一見重厚な物語を想像するが、描かれているのは普遍的な家族の姿や親子の絆。長年、確執を抱えていた母子の関係が、母の老いと共に徐々に緩和されていくさまは、まるで極上のラブストーリーを見ているようだ。
また、洪作の娘たちと八重との世代を超えた“女子トーク”や、洪作と八重との50年越しの感動的な“ある秘密”も描かれるなど、老若男女すべてが楽しめるエンタテインメント性豊かな家族ドラマに仕上がっている。
それにしても、老母に扮した樹木希林のとぼけた演技が絶品です。幼かった息子と離れて暮らしたことを後悔し、彼との溝を埋められずに生きている。
父の死後、妹と暮らすことになった八重と接する機会が増えた洪作。だが、長年抱えた不信感が拭いきれず、母と素直に向き合えない。八重が自分の育ての母を悪く言うことにも苛立つ洪作。
伊豆の妹の夫が交通事故で足を骨折、妹に代わり、今度は洪作の娘琴子が軽井沢の別荘で八重の面倒を見ると言い出し、そんな娘の想いやりに触れ、洪作は親子の絆を再確認する。だが、目の離せない八重の周りに家族が集まるようになる。
八重の物忘れが進み、やがて洪作のことも分からなくなった。
家族が台湾に渡った昔、妹たちだけを連れ、5歳の自分を郷里に置き去りにした母への“捨てられた”という思い込みがある。洪作は、何気なく他人のフリをして息子を捨てた過去について尋ねると、母から意外な言葉が返ってくる。八重は不意に「あの女に預けたのは一生の不覚」と、幼い洪作を手放した後悔をしきりにつぶやく。
それは戦前の時代のことで、後取り息子の長男を台湾まで連れて行くことは出来ない。もし船で病気にでもなったならと、母の心配してのことだった。戻って来てみると、息子は預けた父の愛人の家がいいと戻ろうとしない。しかし、5歳の記憶では、自分だけ何故一人ぼっちにされて置いていかれたのかなんて、知る由もない。この時の若い八重を演じたのは、樹木希林の娘の内田也哉子さんです。どしゃぶりの雨の中、軒下で幼子の妹たち2人の手を握り、息子を一緒に連れていけない辛さと哀しさ。それが、軽井沢の別荘から東京の自宅へ連れて帰った時、毎晩懐中電灯を持って徘徊して歩く八重は、きっとあの時の息子を探しているに違いありません。
痴ほう症は、昔のことは鮮明に覚えているというから、洪作が少年時代に書いた詩のノートの切れ端を大事に持っていた母、その詩をすらすらと朗読する八重の顔に涙が、・・・これさえ持っていればいつかきっと息子に会えるというのだ。その何気ない母の言葉が感動を呼び起こす。
徘徊が酷くなり、浜辺まで歩いていった八重、探し歩いて母を見つけ優しく背中におんぶしてやる洪作。その背中の八重はまるで赤子のように愛らしく、安心しきった顔で息子の背中にしがみつく。このシーンでの樹木希林の嬉しそうな笑顔につい涙がこぼれた。意固地になっていた洪作が、やっと母親の気持ちを知り許すことにした母と子の絆。
誰もが最後は、家族が恋しくなるような、優しい気持ちになれる作品です。
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