『ブロークン・フラワーズ』などのジム・ジャームッシュが監督を務め、『沈黙 −サイレンス−』などのアダム・ドライヴァーが主人公を演じたドラマ。詩をつづるバスの運転手の日常を映し出す。共演は『彼女が消えた浜辺』などのゴルシフテ・ファラハニや、ジャームッシュ監督作『ミステリー・トレイン』にも出演した『光』などの永瀬正敏ら。アメリカの詩人ロン・パジェットによる詩の数々が、作品に趣を与えている。
あらすじ:ニュージャージー州パターソンでバスの運転手をしているパターソン(アダム・ドライヴァー)は、朝、妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをすることから始まる、変化のない毎日を過ごしている。そんな日々の中でパターソンは、周囲の会話やマッチ箱といった何げない物事に着想を得た詩をノートに書き留めていた。
<感想>アダム・ドライバー演じるバスの運転手の名前が、パターソンで、住んでいる街の名前もパターソンという設定に、実にユニークな面白味がある。不機嫌じゃない仏ちょうずらも魅力的ですし、毎朝、妻の作った弁当を持って出勤しバスを運転する。白黒のモノトーン色が大好きなおくさん、カーテンも壁紙もみな白黒に、自分で白い布や紙に描く奥さんの趣味、そしてお喋りや、料理、白黒のカップケーキといった趣向がいい。
つい、毎日が同じように進むので、もしかして「バスジャックに狙われるのでは」とか、犬が散歩中に立ち寄るバーで、可愛いワンコを外に結んで置くので盗まれるのではないかとヒヤヒヤするが、何とも言えない不穏な気配を放っていることには違いない。
しかしいつどうなるか分からない危険性をはらんだまま、それが爆発しない時間を一日でも長く伸ばすことこそが、「平和」の状態を保っているわけ。そんなことは起こらないし、淡々と同じ毎日を規則正しく進んでいく。
ジム・ジャームッシュ監督はこうした言葉の韻に敏感だし、それは彼自身が詩人だからでもあるからだろう。そして、この主人公パターソンもまた、趣味で書き続ける詩人なのだ。彼の日常は一見、ただのルーティンのようにも見える。
毎朝の同じ時間に起きて、同じルートを運転して帰宅し、そして、帰宅後に主人公が毎晩のように愛犬のブルドックの散歩に、立ち寄るバーで飲む一杯のビールといった、判で押したような規則正しい毎日が描かれる。
終末に寝坊をしたり、陽気な妻の予期せぬ行動にサプライズをもたらされる以外は、同じことの繰り返し。しかし、彼にとってはそんな毎日が発見に満ちているのだ。何でもない風景からインスピレーションを得て、その頭のなかは常に空想で一杯なのだ。強いて言えば、奥さんが、夫の詩をコピーしておいてと頼んでいたのに、ラストで「パターソンが書いていた詩のノートを、犬がを食い散らかした」という災難には、もう笑うしかない。
パターソンのありふれた1週間を描いた本作では、いわばイマジネーションの礼賛であり、詩人ひいてはアーティストに対するささやかなオマージュといっていいくらいなのだ。デビュー当時から一貫して、緩くユーモラスでドリーミングな作品を生み出してきた、ニューヨーク派、あるいはアンチ・ハリウッドの巨匠は、本作でついにその至高の境地に到達したといいであろう。
ラストに登場する永瀬正敏とアダムの微笑ましいシーンに至るまで、一瞬一瞬に愛おしさを感じさせる珠玉の作品でもありました。
2017年劇場鑑賞作品・・・232アクション・アドベンチャーランキング
あらすじ:ニュージャージー州パターソンでバスの運転手をしているパターソン(アダム・ドライヴァー)は、朝、妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをすることから始まる、変化のない毎日を過ごしている。そんな日々の中でパターソンは、周囲の会話やマッチ箱といった何げない物事に着想を得た詩をノートに書き留めていた。
<感想>アダム・ドライバー演じるバスの運転手の名前が、パターソンで、住んでいる街の名前もパターソンという設定に、実にユニークな面白味がある。不機嫌じゃない仏ちょうずらも魅力的ですし、毎朝、妻の作った弁当を持って出勤しバスを運転する。白黒のモノトーン色が大好きなおくさん、カーテンも壁紙もみな白黒に、自分で白い布や紙に描く奥さんの趣味、そしてお喋りや、料理、白黒のカップケーキといった趣向がいい。
つい、毎日が同じように進むので、もしかして「バスジャックに狙われるのでは」とか、犬が散歩中に立ち寄るバーで、可愛いワンコを外に結んで置くので盗まれるのではないかとヒヤヒヤするが、何とも言えない不穏な気配を放っていることには違いない。
しかしいつどうなるか分からない危険性をはらんだまま、それが爆発しない時間を一日でも長く伸ばすことこそが、「平和」の状態を保っているわけ。そんなことは起こらないし、淡々と同じ毎日を規則正しく進んでいく。
ジム・ジャームッシュ監督はこうした言葉の韻に敏感だし、それは彼自身が詩人だからでもあるからだろう。そして、この主人公パターソンもまた、趣味で書き続ける詩人なのだ。彼の日常は一見、ただのルーティンのようにも見える。
毎朝の同じ時間に起きて、同じルートを運転して帰宅し、そして、帰宅後に主人公が毎晩のように愛犬のブルドックの散歩に、立ち寄るバーで飲む一杯のビールといった、判で押したような規則正しい毎日が描かれる。
終末に寝坊をしたり、陽気な妻の予期せぬ行動にサプライズをもたらされる以外は、同じことの繰り返し。しかし、彼にとってはそんな毎日が発見に満ちているのだ。何でもない風景からインスピレーションを得て、その頭のなかは常に空想で一杯なのだ。強いて言えば、奥さんが、夫の詩をコピーしておいてと頼んでいたのに、ラストで「パターソンが書いていた詩のノートを、犬がを食い散らかした」という災難には、もう笑うしかない。
パターソンのありふれた1週間を描いた本作では、いわばイマジネーションの礼賛であり、詩人ひいてはアーティストに対するささやかなオマージュといっていいくらいなのだ。デビュー当時から一貫して、緩くユーモラスでドリーミングな作品を生み出してきた、ニューヨーク派、あるいはアンチ・ハリウッドの巨匠は、本作でついにその至高の境地に到達したといいであろう。
ラストに登場する永瀬正敏とアダムの微笑ましいシーンに至るまで、一瞬一瞬に愛おしさを感じさせる珠玉の作品でもありました。
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