俳優としても活躍し、『扉をたたく人』などの監督を務めたトム・マッカーシーによるヒューマンコメディー。さえない靴職人が、他人に変身できる魔法のミシンを手に入れたことで人生の喜びを見いだしていく姿を、行方をくらました父親とのストーリーも盛り込んで描く。恋も冒険も諦めていた孤独な中年男の主人公を、人気コメディアンのアダム・サンドラーが好演。共演にはオスカー俳優ダスティン・ホフマン、『ゴーストワールド』などのスティーヴ・ブシェミらが顔をそろえる。
あらすじ:ニューヨークの下町にある小さな靴修理店で働く中年男マックス(アダム・サンドラー)は、老母と生活しながら特に何の変化もない毎日を送っていた。ある日、愛用のミシンが壊れてしまい先祖より代々伝わる旧式ミシンで直した靴を試し履きしたところ、何と靴の持ち主に変身する。魔法のミシンによって他人の人生を体験できる楽しさに夢中になった彼は親孝行を思い立つが、予期せぬトラブルが生じ……。
<感想>トム・マッカーシー監督の「扉をたたく人」が大好きである。こうしたユーモラスで新感覚のニューヨーク映画を撮るとは嬉しい驚きですね。ニューヨークで、靴の修理店を営む男、アダム・サンドラーが、下ネタのおバカなコメディ作品よりも断然良かった。
彼の店は、先祖伝来から営業している靴屋で、今はどうみても儲かっているとはいえない。隣の理髪店のオヤジにスティーヴ・ブシェミが演じて、お隣さんでマックスが小さいころから知っている親みたいな存在でもある。幼い時に、父親が突然家を出てしまいそれっきり帰って来ない。いやはや、このお隣さんがまさかの父親とは、ラストに明かされるのだが魔法にでもかかったみたいだ。
母親は寝たきり老人のようで、家からは一歩も出ないようだ。だからと言うわけでもないが、マックスは結婚もしていないし、母親の世話をして、どうやら毎日の暮らしでせいっぱいのようにも見受けられる。
そこへ黒人のいかついギャングらしき客が靴を磨けと命令し、靴の底の張り替えを頼んでいく。その靴は、黒のクロコダイル皮で高級品のようだ。夕方6時には取りに来るといい、マックスは仕方なく優先でその靴を修理にかかる。ところが、靴の底を縫い始めるとミシンが壊れてしまう。
地下室にある先祖伝来の旧式ミシンで仕上げたその靴、つい高級品ということもあってか、自分の足のサイズと同じなので物珍しさに履いてみる。すると、その靴の持ち主の黒人ギャングに変身してしまうではないか。鏡でその姿を写して、よせばいいのに、オカマの依頼の赤いハイヒールも旧式ミシンで直し履いてみる。オカマちゃんに化けたアダム・サンドラーも楽しいですね。それに、地下室にあるいろんな靴も履いてみると、その持ち主に変身することを発見するのだ。
悪戯心でその靴を履いて変身して、刺激的な日々を満喫するうちに、事件に巻き込まれてしまう。そのことを隣の理髪店のオヤジが目撃していて、心配をしているのが判る。これは何か秘密があるのでは?・・・と思ってしまった。それでも、その秘密は暫く明かされなく、マックスが一人で、母親の願いを聞いて、父親の靴を履き父親に変身して、家で待っている母親の前に現れるのだ。母親は、グリーンのワンピースを着てそれは綺麗で、ダンスを踊る母を見て親孝行をしたねと。そう思っていたら、次の朝に母親は亡くなってしまった。
奇抜なアイデアで始まるわりには、物語は意外と広がりを見せず、中盤たるむのが残念です。でも、靴というアイデアから、ニューヨークの生活感や空気感、ローカルなぬくもりを体感させてくれる魅力がここにはあります。
ここはまずいのではと思ったのが、ギャングの靴を履いて黒人に成りすまし、それがバレテしまう。そこで、赤いヒールを履いてオカマに変身して、殺されそうになったので、赤いヒールでそのギャングを殺してしまうのだ。高いヒールは殺傷能力があり、殺すには十分の武器にもなった。後で判るのですが、父親が生きており、マックスの跡を付けていき、息子の後始末をしてやるという親心というか、頭の切れる父親に感心しました。
チャーリー・カウフマン監督の「脳内ニューヨーク」を柔軟剤にして、優しく丁寧に洗い上げたような映画である。だから、ほっこりとして安心して見られます。
まるでチャーリー・カウフマン脚本の「マルコヴッチの穴」みたいなアイデアがちゃんと活かされているし、なによりも主人公マックスが、靴の持ち主に変身したアダム・サンドラーと分かる、赤と黒の縞模様の毛糸のマフラーをしていて、彼と分かるように醸し出しているのが見事ですから。
エピソードが細切れの数珠つなぎで、だんだんととっ散らかって最後がよく分からない感じになるけれど、父親役のダスティン・ホフマンが相変わらず渋いので、おいしいとこ取りしているような感じでもあった。
そして、監督のニューヨークの街への愛着を感じさせる、ユダヤ人コミュニティの人情劇でもあります。
2015年劇場鑑賞作品・・・150映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:ニューヨークの下町にある小さな靴修理店で働く中年男マックス(アダム・サンドラー)は、老母と生活しながら特に何の変化もない毎日を送っていた。ある日、愛用のミシンが壊れてしまい先祖より代々伝わる旧式ミシンで直した靴を試し履きしたところ、何と靴の持ち主に変身する。魔法のミシンによって他人の人生を体験できる楽しさに夢中になった彼は親孝行を思い立つが、予期せぬトラブルが生じ……。
<感想>トム・マッカーシー監督の「扉をたたく人」が大好きである。こうしたユーモラスで新感覚のニューヨーク映画を撮るとは嬉しい驚きですね。ニューヨークで、靴の修理店を営む男、アダム・サンドラーが、下ネタのおバカなコメディ作品よりも断然良かった。
彼の店は、先祖伝来から営業している靴屋で、今はどうみても儲かっているとはいえない。隣の理髪店のオヤジにスティーヴ・ブシェミが演じて、お隣さんでマックスが小さいころから知っている親みたいな存在でもある。幼い時に、父親が突然家を出てしまいそれっきり帰って来ない。いやはや、このお隣さんがまさかの父親とは、ラストに明かされるのだが魔法にでもかかったみたいだ。
母親は寝たきり老人のようで、家からは一歩も出ないようだ。だからと言うわけでもないが、マックスは結婚もしていないし、母親の世話をして、どうやら毎日の暮らしでせいっぱいのようにも見受けられる。
そこへ黒人のいかついギャングらしき客が靴を磨けと命令し、靴の底の張り替えを頼んでいく。その靴は、黒のクロコダイル皮で高級品のようだ。夕方6時には取りに来るといい、マックスは仕方なく優先でその靴を修理にかかる。ところが、靴の底を縫い始めるとミシンが壊れてしまう。
地下室にある先祖伝来の旧式ミシンで仕上げたその靴、つい高級品ということもあってか、自分の足のサイズと同じなので物珍しさに履いてみる。すると、その靴の持ち主の黒人ギャングに変身してしまうではないか。鏡でその姿を写して、よせばいいのに、オカマの依頼の赤いハイヒールも旧式ミシンで直し履いてみる。オカマちゃんに化けたアダム・サンドラーも楽しいですね。それに、地下室にあるいろんな靴も履いてみると、その持ち主に変身することを発見するのだ。
悪戯心でその靴を履いて変身して、刺激的な日々を満喫するうちに、事件に巻き込まれてしまう。そのことを隣の理髪店のオヤジが目撃していて、心配をしているのが判る。これは何か秘密があるのでは?・・・と思ってしまった。それでも、その秘密は暫く明かされなく、マックスが一人で、母親の願いを聞いて、父親の靴を履き父親に変身して、家で待っている母親の前に現れるのだ。母親は、グリーンのワンピースを着てそれは綺麗で、ダンスを踊る母を見て親孝行をしたねと。そう思っていたら、次の朝に母親は亡くなってしまった。
奇抜なアイデアで始まるわりには、物語は意外と広がりを見せず、中盤たるむのが残念です。でも、靴というアイデアから、ニューヨークの生活感や空気感、ローカルなぬくもりを体感させてくれる魅力がここにはあります。
ここはまずいのではと思ったのが、ギャングの靴を履いて黒人に成りすまし、それがバレテしまう。そこで、赤いヒールを履いてオカマに変身して、殺されそうになったので、赤いヒールでそのギャングを殺してしまうのだ。高いヒールは殺傷能力があり、殺すには十分の武器にもなった。後で判るのですが、父親が生きており、マックスの跡を付けていき、息子の後始末をしてやるという親心というか、頭の切れる父親に感心しました。
チャーリー・カウフマン監督の「脳内ニューヨーク」を柔軟剤にして、優しく丁寧に洗い上げたような映画である。だから、ほっこりとして安心して見られます。
まるでチャーリー・カウフマン脚本の「マルコヴッチの穴」みたいなアイデアがちゃんと活かされているし、なによりも主人公マックスが、靴の持ち主に変身したアダム・サンドラーと分かる、赤と黒の縞模様の毛糸のマフラーをしていて、彼と分かるように醸し出しているのが見事ですから。
エピソードが細切れの数珠つなぎで、だんだんととっ散らかって最後がよく分からない感じになるけれど、父親役のダスティン・ホフマンが相変わらず渋いので、おいしいとこ取りしているような感じでもあった。
そして、監督のニューヨークの街への愛着を感じさせる、ユダヤ人コミュニティの人情劇でもあります。
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