日本橋署に異動してきた新参者の刑事・加賀恭一郎の活躍を描く東野圭吾原作、阿部寛主演の“新参者”シリーズの劇場版第2弾にして“新参者”シリーズとしては完結編となるミステリー・ドラマ。同じ頃に発生した2つの殺人事件の捜査に乗り出した主人公・加賀恭一郎が、事件の真相に迫る中で自らの過去とも向き合っていくさまを、親子の絆を巡る人間ドラマを織り交ぜ描き出す。共演は溝端淳平、田中麗奈、山崎努らレギュラー・キャストのほか、松嶋菜々子、伊藤蘭、キムラ緑子、烏丸せつこ、小日向文世。監督はTV「半沢直樹」「下町ロケット」などの演出を手がけ、映画は「私は貝になりたい」に続いて2作目となる福澤克雄。
あらすじ:ある日、東京都葛飾区小菅のアパートで女性の絞殺死体が発見される。被害者は滋賀県在住の押谷道子で、現場アパートの住人・越川睦夫は行方不明となっていた。松宮脩平ら警視庁捜査一課の刑事たちが捜査を進めるが、道子と越川の接点がなかなか見つけられない。やがて捜査線上に舞台演出家の浅居博美が浮上してくるものの、事件の核心はいまだ掴めぬまま。
そんな中、越川の部屋から日本橋を囲む12の橋の名が書き込まれたカレンダーが発見される。それを知った加賀恭一郎は激しく動揺する。同じメモが、かつて加賀と父を捨てて蒸発した母・百合子の遺品の中にもあったのだった。自らがこの事件の最大のカギであることを悟り戸惑いを隠せない加賀だったが…。
<感想>7年間にも及ぶ「新参者」シリーズのフィナーレとなるこの作品。阿部寛さんの当たり役の一つでもある、加賀恭一郎。クールな洞察力を持ちながら、容疑者に対するスマートな思いやりを欠かさない男。カリスマ刑事でも、人情刑事でもない「加賀」としか呼びようのない人物像を、阿部寛はTVシリーズ、2本のスペシャルドラマ、そして映画「麒麟の翼~劇場版・新参者~」で体現してきた。
その加賀の亡き父親(山崎努)との確執要因である母親の謎が解き明かされるのがこの映画であります。母親には伊藤蘭さんが演じていました。
今回の事件は、日本橋周辺にある12の橋の名前がヒントとなる。そのひとつ、常盤橋で、加賀が亡くなった母親の遺品のカレンダーにも橋の名前があったことを突き止める。ということは、母親は、浅居博美の父親と仙台で暮らしていたことがあるのだと。そのことに気が付くシーンから映画が始まります。
加賀は橋の上で、相棒の松宮(溝端淳平)と再会。松宮の軽口から事件の糸口を掴み、かれに詰め寄っていくのだ。マイペースな大人の男の雰囲気を漂わせながらも、頭脳が回転し始めると途端に獰猛になる加賀なのだ。その豹変ぶりには、人間的なおかしみが溢れている。この演技なんかは、阿部ならではの造形になるほど阿部ちゃんらしさがでていると同時に、松宮を演じる溝端の巧みなリアクション芝居にも舌を巻くのだ。ちょっぴり成長した松宮が、シリーズの年月を感じさせルと同時に、完結編の予兆ともなっていた。
そして、母親の住んでいた仙台へと足を運び、母親がそこのボロアパートの部屋で亡くなったことを知る。冒頭のシーンで、80年代に仙台のスナックで店のママ(烏丸せつこ)に身の上を語る女のシーン。この女性こそが加賀の母親であり、夫と離婚をしてここで働かせて欲しいと頼む女が、蒸発した母・百合子であった。実は、母親は東京での生活の時は、鬱病を患っており自殺を考えていた。それでも、家を出て仙台まで行き、一人暮らしをすることで決着をつけたのだろう。
今回のテーマはあえて言えば、因果な親を持った子供の悲劇ということだろう。母親の遺骨を、生前の父親に預けに行く恭一郎。今でも父親を憎くて溜まらないのだ。その仙台の亡くなった母親がスナックで知り合った電力関係の仕事をしていた男と暮らしていたことなど。その男がまさか、浅居博美の父親だとは、この段階では気づかなかった。
そして、捜査線上に舞台演出家の浅居博美が浮上してくるのだが、浅居博美の幼いころに、母親(キムラ緑子)が借金を作って男と夜逃げをし、残った父親と娘の博美は、母親の作った借金を払えずに夜逃げをする。親子心中を考えての旅路は、松本清張原作の『砂の器』を彷彿とさせてくれ「泣けるミステリー」という宣伝文句にふさわしい作品の出来だと思います。
旅先で親子が出会った、原発で働く男と知り合い、口車にのった中学生くらいの娘・博美が売春まがいのことをして、挙句に男を刺し殺してしまう。そこへ、父親が来て、その原発男に成りすまして、名前を変えて生き延びるという。娘の博美はその後、孤児院にでも入ったのか、学校を出て女優になり、演出家となる。加賀が浅居博美の部屋を訪ねると、壁が不気味な赤部屋のシーンなどは、まるで狂気じみた色であり、とても安心して寝られる部屋ではない。
この親子の逃避行は、泣かせようとしている演出ではあると思っていても、涙が出て止まりませんでした。壮絶なる父子の別れをした父親には、小日向文世さんが扮してましたね。それに、娘役の桜田ひよりさんの熱演は素晴らしかったです。自分が他人に成りすましても、娘の成長を見守るために、自分が生き残るために人を殺す。それに、娘が心を鬼にして父親の首を絞め、焼き払う。
人は社会から突然姿を消すことがある。そのことを我々は“蒸発”と呼んでいるが、決して存在そのものが消えてしまった訳ではないのだ。というのが本作の大前提であり、人は他人から認識されて初めて“存在する”。
この人間の存在証明を命題にしながら、複雑な人間関係を提示してゆくのであります。そして、観客を混乱させないためにも、捜査会議で使用される相関図が何度も映い出されている。ともすれば説明的なのだが、観客も脳裏に相関図を描きながら一緒に謎解きを、楽しむという効果を生んでいるということなのだ。
クライマックスでは、原作でも重要な舞台となる明治座を貸し切っての撮影。女優出身の演出家である浅居博美を演じる松嶋菜々子と加賀恭一郎との場面。
別なシーンでは、真正面から向き合って対峙していた二人だが、ここでは横並びで静かに会話をする。松嶋菜々子の、博美の決意を宿した静かなる覚悟の芝居に胸を打たれます。と同時に、加賀ならではの、彼女をそっと見守る優しさを滲ませる阿部の演技も巧いのだ。
2018年劇場鑑賞作品・・・19アクション・アドベンチャーランキング
「映画に夢中」
トラックバック専用ブログとして、エキサイトブログ版へ
トラックバックURL : http://koronnmama.exblog.jp/tb/29403912