パピとママ映画のblog

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顔のないヒトラーたち ★★★

2015年11月27日 | アクション映画ーカ行
第2次世界大戦下のナチスドイツによる罪について問われた「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」の初公判までの経緯などが描かれたドラマ。終戦からある程度の期間がたち、人々の関心が薄れている状況で、アウシュビッツの真相を究明するために若き検事らが生存者の証言集めや実証を重ねていくさまを活写する。主演は、『ゲーテの恋 ~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~』のアレクサンダー・フェーリング。数々の圧力に見舞われながらも、ドイツ人が自分たちの手でアウシュビッツの真実に迫る姿に圧倒される。
あらすじ:1958年の西ドイツ・フランクフルト。第2次世界大戦の終結から10年以上が経過し、復興後の西ドイツではナチスドイツの行いについての認識が薄れていた。そんな中、アウシュビッツ強制収容所にいたナチスの親衛隊員が、規約に違反して教師をしていることがわかる。検察官のヨハン(アレクサンダー・フェーリング)らは、さまざまな圧力を受けながらも、アウシュビッツで起きたことを暴いていく。

<感想>50年代末から60年代前半を舞台に、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判を描いている。当時の西ドイツ社会には、旧ナチの残党が過去を隠し、市民生活を送っていたというのだ。日本に比べてドイツは、自国民による戦争責任の問い方が厳しいと言われているけれど、この作品を描いているのを見ると、50年代から60年代のドイツでもナチス犯罪の記憶が忘却されかけていたことが分かります。

アウシュビッツ強制収容所にいたナチスの元親衛隊員、つまり戦犯として裁かれるべき立場にあったと思われる人間たちが、何事もなかったような顔をして社会復帰を果たしているのだ。犯罪者たちは平然と市民生活を楽しんでいて、作者はそんな時代の気分をリアルに演出しているのがいい。
交通違反ばかり担当している若い判事のヨハン。彼が自ら名乗り上げて調査を始めたのだが、元ナチスが教職についている、という訴えだった。周囲の反対を押し切って調査を進めるヨハンが突き当たった真実とは、・・・。

戦争裁判の是非は別に論じられなければならないことではあるのだが、ヨハンは「正しいことをせよ」という父親の教えに背中を押され、また検事局では、ただひとりの彼の側に立ってくれた検事総長の励ましを受けながら調査を続行する。
しかし、驚愕の事実が明るみに出てきて、真相を調べれば調べるほど、暗い過去をあばく青年検事は疎外されて苦悩するのだが、自分の父親がナチス党員だったことくらいで、賢い少年時代に分かっていたはずで、この辺は嘘を感じました。
歴史に置いてもキャリアにおいても新人ゆえの素直さと正義感で戦争犯罪の裁きにのめり込む主人公のパーソナルなドラマを主軸に語った脚本が上手いですよね。
調査と取り調べの過程をスリリングに演出し、ところどころにユーモアを散りばめることも忘れず、ホロコーストを扱った映画としてジャンルに収まらない見せ方に工夫の跡が見えるのもいいです。

実際の被害者たちがそこにいて、手を下したものたちがなんのお咎めも受けない状態をどう考えるのか。それに、もし自分が当時の兵士だったらどうしただろうか。
戦争が終わってしまえば、ヒトラーが悪かったで済むのか、私たちは何も知らなかった、という人たちも出て来るだろう。彼らは、ヒトラーの仮面を被って戦争遂行に意識的に協力し、戦争に負ければ何食わぬ顔でさっさと仮面を外す。
何事もなかったかのように社会復帰を果たしていたかつての加害者たちは、みんな普通の人たち。普通の父親だったと言う現実もヨハンは目のあたりにする。
それこそが戦争の悲劇だ。普通の人が普通でなくなる。それが戦争なのだろう、と思います。だから、普通の人たちを戦犯として裁きの場に引きずり出さなければならないことも悲劇の一つなんですね。

それにしても最大の標的でありながら、姿を現さないナチスの医師メンゲレの強烈な存在感たるや。悪夢のシーンで自分の手や目が糸で縫い合わされているという悍ましい映像にホラー映画を感じた。
作品として、過去に向き合うという今日的なテーマであることは認めるが、正義を絵に描いたような堅物検事という、魅力に乏しい主人公を持ってきたせいもあるが面白みにかけていて、本来ならば、ドキュメンタリーで扱うべきものではなかろうか。。
今週も「ヒトラー暗殺、13分の誤算」や「あの日のように抱きしめて」など、あの戦争をどう生き抜いたのか、何故、戦争を止められなかったのか、という映画が上映されるので、これから楽しみです。
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