パピとママ映画のblog

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ヴィオレッタ ★★★

2014年08月06日 | は行の映画
写真家の母親が5歳から13歳の頃の娘を撮影し、ヌードも含まれた官能的な写真集を発表したスキャンダラスな実話を、当事者の娘が監督となり映画化したドラマ。エスカレートしていく母親の要求に、被写体である幼い娘が母に気に入られようと大人っぽいポーズにも挑み、退廃的な少女へと変わるさまをつづる。監督は、女優として『思春の森』などに出演したエヴァ・イオネスコ。母親を演じるのは『ピアニスト』『愛、アムール』などのイザベル・ユペール。過激な役どころを果敢に演じるアナマリア・ヴァルトロメイの、当時10歳とは思えない繊細な演技に驚嘆する。
あらすじ:写真家のアンナ(イザベル・ユペール)を母に持つヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、母が多忙のため、祖母と一緒にいる機会が多かった。ある日、母に白いレースのドレスを着せられ写真のモデルになるよう誘われたヴィオレッタ。母に気に入られたいヴィオレッタは要求に応え、カメラに向かい大胆なポーズを取るように。そして、衣装とメイクで大人の色香をまとい……。

<感想>1970年代後半から80年代にかけて、実の母親が撮影した自分の娘のヌードというふれこみで、世界中でセンセーションを巻き起こした少女エヴァと母親の写真家イリナ。後に女優となったエヴァ・イオネスコ本人が脚本・監督を務め、当時の自身の体験をつづった作品である。
写真家の母親アンナが、12歳の娘にポーズをつけながら、「バルテュスの絵みたい」と満足するシーンがある。椅子に腰を掛けて、右足を椅子に乗せるというのは、バルテュスが少女を描くときの定番とも言えるポーズなのだから。

ヴィオレッタは、母親の指図どおりのメイクと衣装とポーズで、淫らな少女を演じているのだが、そういう演出部分を剥ぎ取れば、バルテュスの描く「淫らな少女」と殆ど重なって見える。母親のアンナが意図しているのも間違いなく「見てはいけない禁断の世界」であり、それを覗き見させるために写真を撮っていると思う。

この母親アンナは、自分が芸術家であることを確認せずにいられない性格の持ち主で、彼女は日常の生活や、普通の人々を徹底して嫌悪する。娘がテレビの歌番組を見ていると、直ちにスイッチを切り「テレビなんてくだらない箱よ」といい、「保護者面談に来て」と言われると、「ああいうところに行くのは凡人で、私たちは凡人でないから行かない」と平然とのたまう。
母親アンナ役のイザベル・ユペールは、年はいっても見事な演技力で、アップで見ると皺だらけだが、不思議な魅力を放つ女の映画になっていた。

監督エヴァ・イオネスコは、ルーマニア系のフランス人女性写真家の娘だというが、そういう出身や育ちがこの映画を色濃く反映されているようですね。
アンナの写真が本当に芸術なのかという疑惑も、この映画はエヴァ・イオネスコ監督の自叙伝であり、初の長編映画でもある。つまりヴィオレッタは12歳の監督自身であり、アンナは彼女の母親なのだ。トラウマとなっても不思議ではない少女期の異様な体験を、映画という形で再現することの意味は何なのか。
あの狂暴な眼差し。この娘には心がないのではと思わせる妖しさ。体験を客観化できたので撮れたという監督の発言だが、少女を自我形成での母親への反抗という、判り安い物語にまとめてはいないか。

それでも、ヴィオレッタを演じるアナマリア・ヴァルトロメイは、圧倒的に美しく、特に“セックス・ピストルズ”のシド・ヴィシャスと絡むシーンはもっと観たかった。
母親の撮影を拒みつつも、私服の露出度がどんどん増えて派手になっていくヴィオレッタ。お洒落という概念のせいで誤魔化されそうになるが、完全にヤンキー道を突っ走っているように見えた。それすらも、ファッショナブルに見せてしまう。芸術なるワード恐るべし。

カメラの前でセクシーポーズを取るアナマリアちゃん、10歳の色気と演技力に監督の実体験が重なり、作品のテーマと逆行するような危ういさも感じた。だからという分けでもないが、カラックス以外の映画だと、不思議なぐらいまともに見えてしまう、画家のエルンスト役のドニ・ラヴァンには、もはや違和感さえ覚えてしまう。
母親が自分は芸術家よとばかりに、娘が美しく成長しているのを見て、無理やり娼婦のような格好をさせて写真を撮りまくる。それがエスカレートして、下半身まで露出させるようになり、その衝動的な写真をまとめた写真集は絶賛と非難を巻き起こす。ヴィオレッタはアンナの生贄として、もはや無邪気な少女には戻れない刻印を押されてしまう。

真っ赤な口紅を塗り、娼婦のように飾り立てられながら、しかし、ヴィオレッタは普通の女の子に戻る夢を捨てきれない。学校にも化粧してケバイ洋服きてまるで娼婦のような出で立ちに、先生も驚く。
映画の後半では、アンナから距離をおこうとするヴィオレッタの健気な抵抗が描かれるが、死んだように生きているアンナにとっては、何ほどのこともない。娘がモデルを拒むと、自分が少女の格好をして肢体のようなポーズをとり、自動シャッターを押す。何があっても普通ではいられない女が、母親という任務を負わされている皮肉。どうしてアンナは母親になったのか、それは身内の驚くべき過去(祖父による近親相姦で産まれた娘)があったのだが、だからといって、自分の娘にも同じ運命を辿らせることはないと思う。
養育者不適格とされたアンナが、施設に入っているヴィオレッタを訪ねて行くシーンが重く感じた。母親の姿を見つけて一目散に逃げていく娘の姿。イオネスコ監督には間違いなく母親の感性が受け継がれているようで、もはやそこから逃げ切ることは不可能であることを感じ取れた。
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