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刀に魂を吹き込む人々

■刀匠

―― 武士道を支えた職人・芸術家 ――

刀を武士の魂とする観念的習俗が生まれたのは、刀が武士の占有する身分標識となり大小の式制が定められてからだった、とは先に述べたが、その淵源は古代の神剣思想、あるいは霊剣思想に求められる。

古代神話に見られる天と地とを結ぶ剣として神聖視された草薙剣 (天皇位の象徴とされて名古屋市の熱田神宮に祀られている)、邪悪を排除する師霊剣(ふつのみたまのつるぎ。奈良県天理市の石上(いそのかみ)祀られている)といった、古代の信仰に結びついた剣の観念は、武家の世となってからも受け継がれている。

源家重代の宝剣「髭切」と「膝丸」、平家重代の宝剣「小烏丸」(こがらすまる)にこめられた剣の精神性に見ることができる。刀が武士の魂とされるようになる道筋は、こうして大昔につけられていたことになる。
 
さて、武士の魂であり、また、治国、修身の威徳が古代より尊信されてきた刀剣の作り手、刀工たちは、それゆえに「単なる工人ではなくして霊感を受けたる芸術家」(新渡戸稲造『武士道』)であった。その仕事の工程の一つ一つは、だから「宗教的行事」ともいえた。

刀工は仕事を始める前に斎戒沫浴をし、あるいは水垢離を行じて、心身を清浄にする。かれの仕事場である鍛冶場は「至聖所」であって、ここには祭壇を設けて鍛冶の神が祀られているし、四方には注連が張られている。そこで用いる最初の火は、昔は細い鉄棒を鉄床の上にのせて槌でこれを打って、その摩擦熱で発したものを、火口に移した。

こうしたすべての工程において、清浄をもってして、心魂を注いで鍛えた刀を、作者は祭壇に供えたという。

アーチザン(職人)であると同時に、刀工はアーチスト(芸術家)とみなされたためであろう、かれらは武器・武具の製作にたずさわる他の職人(たとえば、甲冑師など)と違って、早くに世間から注目されている。そのことは鎌倉時代の初期に成立した『平家物語』以下の軍記物に認められるし下って南北朝時代の『太平記』に至って顕著となる。これは一つには、鎌倉時代初期に後鳥羽上皇が刀剣に趣味があり、自ら鍛刀したばかりではなく、諸国の名工を上皇の鍛冶場に召し出し、一ヵ月交替の勤番で刀を打たせた、いわゆる「御番鍛冶」の影響もある。

ともあれ、かくして「刀匠」という尊称がしばしば用いられる刀工、刀鍛冶は、さむらいと、その道徳――武士道を支えた存在だった、といえるのである。

※図説 「大江戸さむらい百景」渡辺 誠 著 株式会社 学習研究社
より転載。

《転載終了》

前出の草薙剣(くさなぎのつるぎ)はスサノウのヤマタノオロチ退治の際に、大蛇の尾ら出てきたと言われる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のことであるが、現在は熱田神宮の神体となっている。この剣には様々な伝承が残されている。その中でも最も興味深い話は、太平洋戦争末期にルーズベルト大統領の呪詛に用いられたという話である。詳細は「伊勢白山道 天叢雲剣に関するよもやま話」をご覧いただきたい。

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