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日本人に謝りたい その1

宗教が「闇の勢力」の人類支配の道具として利用されてきたことを、カテゴリー「宗教の真実」でおおむねご紹介できたと思っている。一方、闇の勢力の日本への歴史的、政治的な関与は、カテゴリー「ユダヤの陰謀」で戦前までの流れをダイジェストでご紹介」している。今回からは戦後篇をご紹介したいと考えている。




最初にご紹介したい書籍はモルデカイ・モーゼ(著)『日本人に謝りたい』(1979年初版) である。帯のキャッチコピーには「ユダヤの長老が明かす戦後病理の原点」とある。 戦後病理とはもちろんわが国の抱える問題点である。第二次大戦後のユダヤ勢力の動きを扱った書籍は多数あるが、この本の著者はモルデカイ・モーゼというユダヤ人の長老であることが特徴である。

モルデカイ・モーゼとは如何なる人物だろうか。その経歴を調べてみると。

1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親しかったようである。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日。とある。

この経歴が事実であるなら。ロシア革命を指導した革命家を父親に持ち、革命下のロシアで育ち、後にヒットラーが台頭するドイツで暮らし、上海に亡命して日本研究を行い、アメリカに亡命後は対日戦争戦略立案と対日戦後処理(GHQ政策)の中枢にあった訳である。まさにユダヤの仕掛けた歴史の目撃者であり、当事者でもあった訳である。

今からおよそ30年程前の本ではあるが、戦後日本の抱える問題点の原点、が明快に理解できる、大変興味深い内容となっている。モルデカイ・モーゼなる人物は実在しないという人もいるが、書かれている内容の真実度は大変高いと思われる。

では裏の裏を知り尽くした著者ならではの衝撃的な告白を数回に分けてご紹介しよう。



■『日本人に謝りたい』モルデカイ・モーゼ(著)(1979年初版)より引用

[第1章]戦前の日本に体現されていたユダヤの理想

戦後すでに30数年を経た今日、日本人は真の日本歴史を構築してきたという実感を全然感じない、とよくおっしゃる。私にはその意味がよく分るような気がするのである。

それの意味するところは、経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象とこの二者にみる跛行性のことではないだろうか。戦後は虚妄だといわれて久しい。
私がここで考えることは、何よりもこの跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないのではないかということである。この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは至極当然であろう。

日本をこよなく愛する私としては、この問題を解明して日本人が真の日本歴史を生き生きと構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感におそわれるのである。

何故か。それはこれら病巣のルーツがほとんど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに他ならないからである。我々は信じ難いほど頭が悪かったのだ。もともと、我々が犯した誤ちはごく単純そのものの誤ちだったのだ。

しかるに、この小さな誤ちの及ぼした影響は想像以上に大きかった。それは、戦前まで日本が世界に冠絶した類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまう結果となったのであった。

このことを知るに及んで、我々の心は痛むのである。しかも、その日本が戦前もっていた類い稀れな長所というものが我々ユダヤ民族の理想の具現化されたものでもあったことを知り、ますます我々の苦悩は倍加されるのである。

我々ユダヤ民族は、西洋人にない高尚な理想を常に頭に画いていたのである。しかし日本の皆様もご存知のように、ユダヤ民族は永い永い迫害の悲しい歴史の中ではこれら理想を具現化する余裕など全くなく、ただどうして生命の安全を全うするかということに心血を注ぐのが精いっぱいであった。第二次大戦終結までは我々の解放のための闘いは絶えず続いていたのであり、そのような理想を追求する余裕は残念ながらなかったのであった。

しかるに第二次大戦後、日本が占領政策の結果大幅に改革された結果初めて、戦前の日本に我々の理想とするものが多々実在したことを発見したのであった。これは我々にとって大きな驚きであった。
 
最近、日本でいろいろ比較文化論的にユダヤ人と日本人を対比した論調が出回っているようであるが、それらはいずれも軽桃浮薄なものばかりのようである。もっとも、それらは若い同胞やユダヤ人の仮面をかぶった日本人の書いたものであるから、その程度のレベルにとどまっているのもむしろ当然かも知れない。

たとえば、イザヤ・ベンダサン(山本七平)氏もその一人かも知れない。彼は、日本の戦後史の非連続性を嘆くかの如きポーズをとり、日本人の小善人的な性質をくすぐり、日本の病理は指摘しつつも、我々の犯した過誤に頬被りしようとしている。しかし、日本の戦後史は、我々ユダヤ人が過去の過ちを真摯な態度で告白しなければ解明できない性質のものなのである。

私は、今後末永く日本人と親しく友好関係を保たせていただきたいと心から願うものとして、日本の戦後の歴史的非連続性、いいかえれば何故戦前の理想的な数々の長所が失われたのか、そのために真の日本歴史の構築を阻まれている日本人の深い苦悩からの脱出をお助けするために、これら病巣のルーツを解明する作業を進めたいと思うのである。それはまた同時に将来我々ユダヤ民族の理想を追求するときにも再び大きな助けとなるであろうと信ずるからである。

ハーマン・カーンの『21世紀は日本の世紀』、最近のエズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などは哀心よりの親日的な論調であることは日本の皆様もご理解願えると思う。しかし私にいわせれば、これらの前にどうしてもしておかなければならない大切なことがあるのである。それをとばして今後の日ユ親善はあり得ないと思うのである。もしユダヤ人が最も大切なことに頬被りしたままで日ユ親善を求めるなら、それは間違いなく失敗に終わるであろう。

私は今後の末永き日ユ親善のためこの筆をとったのである。この拙稿がささやかな日ユ親善の礎となれば望外の喜びである。
 
続く

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔

日新報道

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