ただ今、玉ママ一家、総勢11匹+玉ちゃんです。
玉ママは、昨年秋、やっとの思いでなんとか避妊手術をして、子どもたち、みんな仲良くここで暮らしてます。
母猫は、生まれた子をを守ろうとするのでしょうね。
だから、大きくなった子を追い払ってしまわないとならないのでしょう。
未だに、最初の子、玉ちゃんは玉ママを怖がります、そしてタケぽんはいなくなりました。
玉ママは、みんなが我先に食べ、どっかに行った後、カラのお皿を前にじっと待つのです。
いまだによそよそしいですが、アイコンタクトが取れる気がして、
話しかけると、じっと親のような態度で聞いてくれる玉ママです。。。
しばらくして行くと
誰もいなくなった物置に
丁度、私がいつも座ってる場所の足元に、こんなねずみのおもちゃが・・・
・・・・・・・・・・・・
こんなん見ると、愛おしさがふつふつとこみ上げてくるのです。
どこから見つけてきたのか?
きっと隅っこに入り込んで、忘れ去られてたのを
あの小さな可愛い手で掘り出して、口に咥えて持ってきて転がしたんだな・・・
もしかしたら、私が出入りする戸を見上げて
投げて欲しいと待ってたかもしれない・・・
あー、自分の勝手な想像ばかりしてしまいますが、
愛おしさがこみ上げる・・・
動物虐待の辛いニュースが続く・・・
高校の教師が、生きたままの子猫を・・・
あまりにあまりだ・・・
なんだか思う。
想像力が欠如しているんじゃないか・・・
痛みとか、苦しみとか想像できないんだろうか・・・
あの子たちが産まれてたのは、温室の中だった・・・
きっと、賢い母猫は少しでも暖かい場所をと選んだんだろう・・・
京都の「動物による迷惑等の防止に関する条例」・・・名前を変更したらしいけど、
その根底に流れてるのは、命の尊厳を無視したようなもので、
野良は、迷惑だから餌を与えず餓死させましょうと言っているのではないだろうか。
そのことが、ちまたに蔓延して、
迷惑だと考えることが当たり前になって、
この素晴らしい命が、人の周りにいなくなることが恐ろしい。
私の小さい時は、普通に野良犬も野良猫もそこらにいて、じゃれたりして遊んでた。
空き地で、野良犬にこっそり家から食べ物を持ち出し、あげたりしてた。
その「クロ」と名付けた犬が、ある日保健所の人が来て、網で捕まえられ、車に乗せられるのを見た時、
「連れてかないで」と泣きながら、車を追いかけたこともあった。
幼い私には、どうすることもできなかった悔しさを今でも覚えている。
私たちは、この子たちから多くのことを教えてもらってるのだ。
そして、たくさんの幸せをもらってるのだ。
そんな命を排除するということは、
人も排除されてしまうのではないだろうか?
そんな世の中で、子どもたちに命の大切さを教えられるのだろうか?
春がきたようだと思ってたら、また冷え込みだした。
ストーブを囲んで、何か話し込んでいるような猫たち
手前 のらちゃん推定17才超え、その左、コマルンデス、結構年食ってると病院で言われた
その左、あび この春で14才、そして、さちこ7才
うちの高年齢の猫たちが、いの一番でストーブに集まる。
あびは、ぐったりしてるように見えるけど、
このところ毎日パウチの総合栄養食のご馳走を朝昼晩とたいらげて、体調が安定してきた。
いつも見てくださって、本当にありがとうございます!!
本当にその通りです。
テレビで高校教師が・・の字幕が出た時、息が苦しくなり、消しました。
京都の条例も、何考えんだと。
素晴らしいところだけど、それではうわべだけ良ければいいだけのお話。
安倍さんも自衛隊を軍って?
大丈夫か、ニッポン。ですね。
あびちゃん、安定してきてなによりです。
結婚式用の多肉、すごく素敵。楽しみですね。
お忙しいと思いますが、気温が安定しないのでご自愛くださいませ。
コメント返しは要りませんよ~。
ちょいと一言。
ピピぽぽさんの意見、心情、良く解ります。(なお)さんのコメントも全くの同感です。「京都の動物による・・・」も良く解ります。でもそこで一つの疑問が湧いてきます。今ここで話題にしているのは所謂小動物ですよね。「ノラ」と云うのは、恐らく《推測ですけれど》その多くは元々が人間と関りを持っていた動物でしょう。人の都合が多分に拘っているという前提で考えると、全ては正論で帰結します。しかし、別の条件で考えてみたらどうでしょう。例えば、神戸辺りの「イノシシ」問題、日光の「猿」問題。これらは元々存在していた里山が無くなり、人間がエサを与えた事で、本来持っていた「野生」が或る意味、失われた結果である事は明らか。「ドバト」も同様ですよね。可愛そうだから、可愛いから、・・・などと云う人の勝手な行為から生態系の一部分が乱れています。本来必要であった「人と野生の境界」を崩してしまったのは人間の傲りだと思います。ノラも野生も命の重さは変りないと思います。しかし超えてはならない一線が在るのもまた事実。高校の教師の一件は明らかなる犯罪です。でも、人を襲う様になったイノシシやサルの問題はどうなのでしょう?エサを与えず里山が無くなったとは云え、山へ返す方法を考えるべきでしょう。増えすぎたシカがこれから育つ木々を食い荒らすのを、殺さず防ぐ方法を考えるのも必要でしょう。
長々と書きましたけれど、私の言いたい事は、大事な生命をどの様に線引きするのか・・・という事です。人と野生動物の共生をどうやって守るかという事です。その為の教育や啓蒙はとても大事な事。そういった事を踏まえずに、或る種の生き物だけを養護するのは不自然な気がします。
先ずは人間が他の動物達と(野生動物を含めて)どの様に付き合うのかを学ばなければいけませんね。そう云った教育が出来ていないから今度のような悲惨な事件が起こるのだと思います。 ぴぴぽぽさんの場合は猫達に人と同じ様な愛情を以って同居していますよね。いつも、「いい関係だなァ」思い拝読しています。時々現れるタヌキさんにも暖かな目を向けられていますよね。では、先程触れた、里山が無くなった後の、人を脅かすイノシシやサルやシカとの問題を、どのように解釈しているのでしょうか?同じく平等な生命。方や愛玩で方や害獣。人間が作り出したこの異いは何なのでしょう? 私は・・・私にもその答えは判りません。
こんな人が子供を教育してると思うと怖いですね。
キット別の学校で教壇に立つ様に成るのでしょうが、
人格に問題が有りそうで教職には、付いて欲しく無いですね。
さちこ、未だ未だ若いですね。(笑)
例の事件、知りたくない!!と思ってほとんど読んでいません。こんなやつ、同じ目に合わないとわかんないんだ!!って思って、自分の気持ちが黒くなってしまう。
動物との関わり、見方によっては益獣、見方によっては害獣。人がどう動物を見るかによって同じ動物でも捉え方が違ってしまう。
人間は動物の運命を握っているのだから、もっとその命について考えたほうがいいと思うのです。
今は生き物と接する事なく育ってきた人も多いのかな?と思ったり。
私も昔、父か生き物嫌いで飼う事が出来なかったけど近所で飼ってる犬と遊んだり、野良猫が懐いて抱っこしたり、その柔らかさ温かさに命を感じた記憶があります。
ただ犬、猫と侮るなかれ、この子達はちゃんと人の感情を理解してくれます。人よりも敏感に。
私も色々息詰まると実家の猫に会いに行きます。察してくれて目を見ると「いいよ、抱っこして」って言ってるような^^;癒して貰います。
好き嫌いはあるけど全て人間目線で行う事は違うような気がします。
餌付けをして増えて人を怖がらなくなったり、、ペットとして飼っても都合で捨てたり・・・悲しいです。
高校教師が仔猫を生き埋め?
フランスから買った放射能除去装置(仮)が故障?(原発国フランスの使用想定基準を遥かに超えた線量とは?)
住民がダメじゃと言っても埋め立てが進む海(法的に問題なくても、人道的に問題あるんじゃ?)
ペットショップで買った仔猫が大きくなったので、「もう可愛くないからいらない。小さいのと交換して」と持ってくる客。
世の中、どうなっちゃったのってニュースばっかりです。
タケポンのことを思うと寂しいけど、玉ママには玉ママの仁義があるし(仁義?)。
さちこのでっかい背中と、コマルンの味のある表情に救われている昼下がりです。
玉ママですか?ねずみのおもちゃ
飼い主に喜んでもらいたくて持ってくるって言いますよね。
彼女もぴぴぽぽさんに日々感謝を感じているのでしょうね。
痛ましい事件がまた発覚してしまいましたね。
私も詳しくは知りません。辛くなるからあえて触れませんでした。この手の話は各地で四六時中起きてるように思います。命を軽視する傾向は人にも向けられてます。
野生動物や家畜など尊ぶべき命はたくさんあります。
すべて人間のためにいろんな形で犠牲に遭っている命です。
幼き頃の野良犬の思い出、私も似たような経験をしました。自分の無力さを子供ながらに感じましたね。
世の中には善より悪のほうが圧倒的に多いそうです。
笑われるかもしれませんが、悔しい想いや悲しい想いをしながら旅立った命の無念が輪廻転生して増幅してるのだと私は思っています。
人々がいろんな命の形についてもっとちゃんと考えられる時代が来る日を願って止みません。
ストーブを囲むにゃんズの姿に癒されますね。
桜が待ち遠しい今日この頃です。
痛ましい事件、本当に心が痛みます・・
昔は野良犬も野良猫も普通にいましたよね。
私も小学生の頃、帰り道にいた野良犬に給食のパンの残りをよくあげていました。
「シロ」と呼んでいた野良犬がいて、子供が大好きで小学校によく来ていました。
でも学校の先生が保健所に連絡してしまい、休み時間遊んでいた生徒達の目の前で、ワイヤーみたいなもので捕まえられ、引きずられるように連れて行かれました。
あの時の光景やシロの悲痛な鳴き声は、数十年経った今でもはっきり覚えています・・ショックでした。
だけど、どうして先生が保健所に連絡したかは分かります。
子供の頃は「かわいそう」としか思えなくて、納得できなかったんだと思います。
一番悪いのは先生でもなく保健所の人でもなく、シロを捨てた人間なんですよね。
最近は、「命」の重さ大切さが分からない人が多くなってきているんでしょうか・・悲しいですね。
暗いニュースが多い世の中ですが、動物達を見ていると癒されます。
猫ちゃん達にとっても良い季節になりましたね。
また寒の戻りがあるみたいですが、体調に気を付けて下さいね。