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三国志(8)


三国志を語る会・まだ8回目




10回目くらいになったら、孫子か、中国史を語る会をしようかな。



ずっと三国志だけじゃ飽きちゃうよね。



それでは8回目でーす。



孔明は蜀王朝・第二代皇帝になった劉禅を補佐しつつ、



太和 たいわ 元年(227)



魏の文帝(曹丕)が死去。



明帝が即位したのを機に漢中に進軍。



魏への北伐を開始しました。



孔明の北伐は青龍2年(234) 魏の司馬懿を対戦中



五丈原 ごじょうげん で陣没するまで、5回(6回とも言われています)敢行されました。



蜀は、なんだかんだと30年持ちこたえました。



劉禅じゃなかったら、もしかしたら、もっと続いた?かもしれません。



呉では太和三年(229)



孫権が即位(大皇帝)呉王朝をたてます。



ここで、三国になりました~。魏・呉・蜀



三国分立ですね。



孫権は、周りの人に恵まれました。周瑜・呂蒙・陸遜など



最初は順調に手腕を発揮しましたが、後継者の問題で



躓き、晩年はしだいに衰えてきます。



嘉平 かへい 四年(252)孫権の死後、呉では皇帝が交代して



内紛が続きました。





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死せる孔明、生ける仲達を走らす




司馬懿は孔明の死を知らず、何か策があるのでは?と思う



故事ですが



なんか、このへんは司馬懿のことを、面白おかしく書く表現があるけど



正直、魏が好きな私からすれば



はぁ?て感じです。



確かに、孔明は優れていた。



認めよう(何様・・)



しかし、司馬懿は孔明よりも優れていたと私は思う。



あの!曹操が、司馬懿を、ひとめ見たときから



あいつには気を付けろ。



と言ったほどなんですからね。



孔明が五丈原で結局、5回も戦って果ててしまったのも



司馬懿の知略が勝ったから。



そして、三国の最後の覇者は司馬懿一族なのだから



孔明より優れていたということでしょう。




(。-`ω´-)ぅんぅん。




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