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めいぷるアッシュEnnyの日々是好日

やがて哀しき外国語

1994/2 刊

著者がプリンストンにいた時のおはなし。

日本語の歌が上手に歌えないのに英語の歌が上手に歌えるわけがないし、日本語かツラツラと口から出でこないのに英語がツラツラ喋れるわけがないというようなことが書かれていて
"そうだよな"と思ってしまう。

この本が書かれた二十数年前には無かった小型の翻訳機が長足の進歩を遂げているのでそれにすがるしか無いかと思う始末。



タイトルについて最後に触れています。

『自分にとって自明性を持たない言語に何の因果か自分が取り囲まれているという、そういう状況自体がある種の哀しみに似たものをふくんでいるということだ。

そしてたまに日本に戻ってくると、今度はこう思って哀しい気持ちなる。
「僕らがこうして自明だと思っているこれらのものは、本当に僕らにとって自明のものなのだろうか」と。』



外国生活を経験したことが無いので自分が日常使っている日本語に自明かどうかなんて考えた事もないぞ。
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