資料館では「琵琶湖哀歌」の経緯についての展示もあります。
<本文より>
今津浜に遭難の追悼碑、四高桜があります。
当時の四高桜は今では数える程しか残っていないと聞いています。
この事を忘れないようにと四高桜の子孫を植樹しているグループがあります。
四高桜を守り育てる会・滋賀県人会他
来春、満開の「四高桜公園」が楽しみです。
五木寛之著 金沢散歩より
第55景 雄々しき姿、いずこ【旧制四高】
校舎そばにひとつの追悼碑が建つ。「雄魂碑」と刻まれたその碑は、名門として名を馳せた四高漕艇部の春の悲劇を静かに語り続けている。昭和16年(1941)4月、四高漕艇部員ら十一人が滋賀県琵琶湖でのボート練習中に「比良八荒」と呼ばれる突風に襲われ、転覆、遭難する事故が起きた。青春真っ只中のスポーツマンたちの悲劇は、全国的に報道され話題となった。生死不明のまま警察による捜索が打ち切られた後も、金沢から駆けつけた金石漁協の組合員たちによって懸命の捜索が続けられ、ようやく二ヶ月後に全員の遺体が引き揚げられた。琵琶湖の湖岸沿いに植えられた千本のソメイヨシノは「四高桜」と呼ばれ、毎春花を咲かせている。
事故の直後に作られた「琵琶湖哀歌」は十一人の死を悼むもので東海林太郎と小笠原美都子のデュエットは全国的に流行した。
比良の白雪 溶けるとも
風まだ寒き 志賀の浦
オールそろえて さらばぞと
しぶきに消えし 若人よ